運賃値上げに応じない」大手と取引終了 運送会社の意識を変えた米企業のドライバーファースト

ツギノジダイ

アイ・ティー物流の代表取締役、田中仁一さん

 

 

 

 アイ・ティー物流(千葉県大網白里市)は、港に届く輸入貨物を関東一円に運ぶ運送会社です。代表取締役の田中仁一さん(57)は、創業以来続けてきたある大手企業との取引を、2023年3月にやめました。背景には物流の2024年問題、さらに米国企業との取引で実感した、日本の荷主の運賃の低さがあったといいます。「社員に安全教育をするにも費用がかかる」と話し、適正な運賃の実現を訴えています。

 

 

 

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「トラック野郎」にあこがれドライバーに

 横浜市出身で、子供のころからトラックが好きだったという田中さん。菅原文太さん主演の映画「トラック野郎」にあこがれ、大学を中退後にトラックドライバーとなります。いくつかの運送会社での勤務後に独立し、2007年にアイ・ティー物流を立ち上げました。  現在のアイ・ティー物流は従業員26人、4トントラックなど32台を抱えます。海外からの輸入貨物を主に扱い、大井ふ頭に届く電子部品などを関東一円の工場に運んできました。

 

 

 

 

「このままだと大赤字」大口取引から撤退

 田中さんは2023年3月、創業以来荷物を運び続けてきた、ある大手企業との取引を終わらせました。  「とにかく、運賃値上げの交渉に全然応じてくれない。そのまま続ければ大赤字となるのは目に見えていました」  この荷主の仕事は1件あたりの輸送距離が比較的短く、運賃も少なかったため、利益を確保するためには他の運送業務と組み合わせる必要がありました。しかし2024年4月からは、トラック運転手らの時間外労働に年960時間の上限が適用され、1日あたりの拘束時間も最大15時間となります(いわゆる物流の2024年問題)。これまでと同様に1日に2件の依頼をこなそうとすると、1日あたりの拘束時間が上限を超過する可能性が出てきたのです。規制に違反せず、赤字が出ないよう大口荷主の仕事を続けるためには、運賃をあげてもらうしかありませんでした。  田中さんはこうした事情を荷主に説明し、「運賃が損益分岐点を超えられるようにしてください」と運賃アップを訴えました。しかし「アイ・ティー物流さんは、損益分岐点が高すぎます」と取り合ってもらえず。多い時で会社の売り上げの1割ほどを占めていたこの荷主との取引を、打ち切ることにしました。幸い、他の取引での売り上げ増もあり、大きなダメージにはならなかったといいます

 

 

 

 

下がり続けていた運賃

アイ・ティー物流のトラック

 この決断に至るまで、田中さんはかねて、荷主から受け取る運賃の低下に頭を悩ませていました。  「私がトラックに乗り始めた若いころは、ドライバーは月あたり60~70万円くらいの給料をもらっていた」と田中さん。しかし1990年、競争の促進と輸送の安全確保を目的とした、いわゆる「物流二法」が施行されます。  運送事業への参入がしやすくなって事業者の数が大幅に増え、さらに運賃についても、それまでの認可制からより自由度の高い事前届出制(現在は事後届け出制)となりました。一連の規制緩和によって業界は過当競争に陥り、運賃は下がっていきました。「ドライバーの給料も90年代から下がり始め、40万円、30万円を切るようになっていった」と話します。  独立してアイ・ティー物流を立ち上げてからも、営業利益率は1~3%ほどという厳しい水準が続いていました。原価割れの仕事であっても、荷主から次の依頼が来なくなることを恐れて、引き受けざるを得なかったといいます。  そうした中、アメリカ企業との仕事で、田中さんはカルチャーショックを受けました。

米国企業とのやりとりで深まった問題意識

風力発電装置の設置の様子

 アイ・ティー物流は2010年~18年にかけ、風力発電機の部品を運ぶ仕事を手がけていました。アメリカから船便で届いた部品を港でトラックに積み込み、全国各地の設置場所に運ぶという内容で、初めてアメリカの企業が荷主になったといいます。  「『年間通して、君の会社が食べていけるだけの金額を言って』というのが、向こうの企業の基本姿勢でした。とにかくドライバーファーストだった」  夜中に大量のメールに対応しないといけなかったり、細かい無理難題を言ってきたりといった大変さはあったものの、相応の対価をもらえたと言います。利益率が大幅に改善して経営は上向き、18年には過去最高益を達成しました。  「彼らは我々を、ビジネスパートナーとして対等に見てくれていました。一方で日本国内の荷主の多くが、われわれ下請業者のことをいかに考えていないか、よくわかりました」  国内の運送事業者に適正な運賃が支払われていない状況については、国土交通省も問題視をしています。20年4月には、荷主への交渉で参考にできるようにと、適正な事業の継続のために必要な運賃水準を「標準的な運賃」として定め、告示しました。  近年は燃料価格の高騰などがあり、以前よりは運賃値上げに前向きな荷主も出てきていると言います。それでも、国交省が示した「標準的な運賃」の水準には届かず、「水準の8割をもらえればいいほう」と田中さん。依然、十分な額は確保できていないと言います

 

 

 

 

安全にはお金がかかる

 運賃が上がらないままでは、ドライバーの給与も上げられず、人手の確保が難しくなるなど、経営上も様々な課題が発生します。それだけでなく、「利益が出ないと、安全確保が難しくなる」と田中さんは訴えます。  「運送事業者にとって、安全は一番の売りであり、商品でもあります。その実現のためには、最新の安全装置がついたトラックを導入するだけでなく、動かす人間をしっかり指導しないといけません。うちでは新入社員には2週間、経験者でも最低5日、安全運転の研修をしています。指導役の人件費や場所代なども考えたら、1日8万円くらいはかかる。30人規模の小さな会社にとっては、決して少なくない負担です。こうした負担をまかなえる余裕がないと、研修をさせず一日でも多くドライバーを稼働させたほうがよい、となってしまう」  アイ・ティー物流の営業利益率は1~3%。安全な運転を続けていくには、「8%は必要」と田中さん。十分な利益がないなかでも、安全教育に必要な費用をなんとか捻出しているのは、過去に事故が原因で会社をたたんだ同業者を見てきているからだといいます。  「安全にはお金がかかる。でも、我々の自助努力も限界に来ています。安全のために適正な運賃が必要だということを、多くの人に知ってほしいと思います」

高橋尚之