珠洲市鵜飼集落で見た、地震と津波の壊滅的被害
佐藤 斗夢
日経クロステック/日経コンストラクション
真鍋 政彦
日経クロステック/日経コンストラクション
2024年元日に発生した能登半島地震で、
地震の揺れや津波によって甚大な被害を受けた石川県珠洲市。
現地の状況を確かめるために、1月5日、日経クロステックの取材班は被災地に入った。
石川県珠洲市宝立町の鵜飼集落付近の被害状況。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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場所は、
珠洲市内の津波被災地で最も南側に位置する
宝立(ほうりゅう)町鵜飼(うかい)集落付近だ。
一部報道では、
市内で最も津波の被害が大きかったといわれる。
鵜飼川右岸沿いを海側に歩いていくと河口から300m手前の付近から、
津波をかぶった家屋が続いた。
堤防に打ち上げられた漁船が横たわる。
石川県珠洲市宝立町の鵜飼集落付近の被害状況(出所:国土地理院の地図データに日経クロステックが加筆)
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鵜飼川の堤防に横たわる漁船。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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石川県が18年に公表したハザードマップで、
同集落は津波浸水想定区域内にあり、
最大津波高は5.3m、
津波到達時間は4~24分だ。
同集落の今回の津波高は専門家による簡易な分析などで、標高3m程度といわれている。現地の住民の証言によると、津波はマグニチュード(M)7.6の地震発生後、数分で同集落に到達。平屋建ての住宅はもちろんのこと、2階建ての住宅も波をかぶった痕跡が見られた。
鵜飼集落内。倒れかけた電信柱には、
「想定津波高7.8m以上」という表示が見える。
2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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前日に降った雨か海水かは不明だが、
鵜飼集落内の多くの範囲で水が残っていた。
2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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地震で飛び出たマンホールの躯体。
この周辺はグーグルマップで見ると、
2階建ての家屋が立っていた。
ほとんどが倒壊していた。
024年1月5日撮影(写真:日経クロステック
集落内へのアクセスが難しい左岸
鵜飼漁港に行くと、
漁業協同組合の施設が見えてきた。
基礎部が津波で洗掘されたのだろう。杭がむき出しになっていた。
宝立町漁業協同組合の施設。津波によって基礎部分が洗掘されたと見られる。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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漁港の防波堤も一部が損壊していた。
遠方に、観光名所である見附島が見える。
今回の地震で島の一部が崩れてしまった。
鵜飼漁港の防波堤。一部が壊れていた。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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鵜飼漁港の防波堤。上部コンクリートが破損している。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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珠洲市宝立町の見附島。石川県の天然記念物や名勝に指定されている。能登半島地震で島の一部が崩れた。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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漁港から鵜飼川の左岸に目を向けると、
川沿いに壊滅的な被害を受けた集落が見えた。
近寄って様子を見るために橋を渡ると、
倒壊した家屋の上に津波で
流された複数の車が積み重なっており、アクセスできなかった。
鵜飼川左岸を見る。津波で壊滅的な被害を受けた集落が見えた。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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鵜飼川の左岸。橋の先の道路が塞がっていた。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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鵜飼川の左岸側の様子。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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集落には温泉旅館や民宿などが多数あった。2024年1月5日撮影(写真:日経クロステック)
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11年の東日本大震災の津波被害は、
家屋が津波で流されて跡形もないという印象が強い。
一方、今回の能登半島地震で
珠洲市宝立町の鵜飼集落では、
波が直撃したもののその場にとどまっている家屋がほとんどだった。
そのため、「人がそこで暮らしていたという雰囲気」を感じずにいられなかった。
地震と津波による複合災害の恐ろしさを改めて実感した