======================================
なぜ「サマンサタバサ」はここまで追い詰められたのか 「4°C」との共通点
「Samantha Thavasa(サマンサタバサ)」が崖っぷちらしい。 最終赤字が8期連続で、12月のボーナスも支給されないということで、「いよいよか」と話題になっている。
かつて一時代を築いた日本発バッグブランドがここまでひどいことになってしまった原因について、経営コンサルタントの皆さんがあれやこれやと分析されている。そこで多く指摘されているのは、やはり稼ぎ頭のバッグがコロナ禍の外出自粛で大打撃を受けたということや、アパレル事業への進出や、低価格帯ラインなど増やしすぎたという「多角化」の失敗である。 そこに加えて「トレンド」を指摘する専門家も多い。サマンサタバサといえば人気絶頂期にCMに起用されていた、エビちゃんこと蛯原友里さんやミランダー・カーのように肩出しワンピースにピンヒールという女性らしいファッションに似合うバッグというイメージが強い。しかし、今街を歩いても当時のエビちゃんのようなファッションの女性には、滅多にお目にかからない。 それを象徴するのが、「セシルマクビー」だ。SHIBUYA109のギャルブランドの代表だった同ブランドも運営会社が撤退を発表をして、2020年11月に全店閉店してしまった。こちらも直接の原因はコロナ禍ということだが、それ以前から「トレンドとの乖離(かいり)」で低迷が続いていた。 ちなみにその後、セシルマクビーは別会社がマスターライセンス契約を結んで復活を果たしているが、往時に愛用していたファンからすれば、まったく別ブランドという印象になっている。 このように「時代の寵児」としてもてはやされたブランドが衰退するには、さまざまな要因がある。ただ、一世風靡(ふうび)した後も多くのファンに愛され続けているブランドがあるのも事実だ。サマンサタバサはそれができず、なぜここまで追いつめられてしまったのかというと、もっと根本的な原因があると思っている。 それは、「ブランドの大衆化」である
「ダサい」「安っぽい」と心ないディスり
分かりやすく言えば、「女子が欲しいと思うバッグ」だったものが、バカ売れして「女子がみんな持っているバッグ」となったことで、口の悪い人たちから「ダサい」「安っぽい」と心ないディスりが増えてしまったのだ。 大衆が気軽に買えてしまうもの、大衆が気軽に所持できるものというのは、もはや「ブランド」ではない。単なる「メーカー」だ。そんな大衆化によるブランド価値の急落が、サマンサタバサ衰退の最大の原因ではないか。 と聞くと、やはり最近なにかと話題になっているジュエリーブランド「4°C」を思い出す人も多いのではないか。 4°Cもかつて一世を風靡してライバルブランドの業績が低迷する中で「ひとり勝ち」だった。しかし、16年2月期の528億円に売り上げピークとなって以降、5期連続で売上高も営業利益も減少した。 この要因とされているのが、サマンサタバサ同様の「ダサい」「安っぽい」という心ないディスりだ。 ググっていただければ分かるように近年この時期になると、「クリスマスにいい大人が4°Cをプレゼントをするのはいかがなものか」というような“4°C論争”が行われるのが風物詩になっている。 このあたりについて同ブランドを展開するエフ・ディ・シィ・プロダクツグループの瀧口昭弘社長は、このように要因を分析する。 『4°Cはジュエリー業界の大手ブランド。価格が手ごろで、ブランド名が世の中に浸透していることから、男性が「このブランドを贈っておけば間違いないだろう」と相手の好みを十分に把握せずに贈るギフトとして、フォーカスされてしまったのではないかということだ』(日経クロストレンド 12月18日) やはりこれも「ブランドの大衆化」と言っていい。「女子がもらって喜ぶジュエリー」としての地位が確立したことによって、皮肉にも「男たちが安パイなプレゼントとして買い求めるジュエリー」という大衆化を招き、ブランド価値が暴落してしまったのだ
ブランド価値が地に堕ちてしまう
さて、このような話を聞くと、ブランドビジネスをしている人たちは頭を抱えるはずだ。 サマンサタバサにしても、4°Cにしても、ブランドとして栄華を誇ったことに異論を挟む者はいないだろう。しかし、そんな風に大成功して爆発的に売れてしまうと「みんなが持っている」という大衆化が進行して行き着く先には、「ダサい」「安っぽい」というディスりが待っている。 つまり、盛者必衰ではないが、苦労して成功を果たしても、その後にはブランド価値が地に堕ちてしまうという非情な運命が待ち構えているのだ。 それは日本発ブランドだけではない。例えば、ティファニーだ。かつては世界5大ジュエリーブランドの一角に称えられたが、その圧倒的な人気が災いして、「プレゼントといえばオープンハート」「結婚式の引き出物にはティファニーの食器」という大衆化が進んでしまう。 つまり、「オードリー・ヘップバーンが映画の中で憧れた高級ブランド」から「ちょっと高いけれど、わりとみんな持ってるベタなブランド」となっていくのだ。業績低迷からLVMHグループに身売りをしたのは、このようなブランド価値の低下と無関係ではない。 そんな世界的ハイブランドでさえも「大衆化」のワナに堕ちてしまうという現実がある中で、どうにかして、これを避ける手はないのか。 結論から先に言ってしまうと、実はそのヒントは、世界的大衆ブランドにある。スポーツブランドの「ナイキ」である。 ナイキは「大衆ブランド」だ。そのへんの立ち飲み屋で昼から酒を飲んでいるようなおじさんもナイキの帽子をかぶっているし、小学生もスポーツ用品店で購入したナイキの靴を履いている。
ナイキの価値は下がっていない
しかし、渋谷を歩く若い女性が、ナイキの服を着て、ナイキのスニーカーを履いていて「ダサい、安っぽい」などとディスられることはほとんどない。ハイブランドの服に合わせている人もたくさんいる。 つまり、ナイキはゴリゴリに「大衆化」しているにもかかわらず、ブランド価値がまったく落ちていないのだ。もっと言ってしまえば、「ラグジュアリーブランド」という顔もある。 世界最大級のブランド価値評価機関である英ブランドファイナンスが発表した「ブランドファイナンス Apparel 50 2022」でナイキはルイ・ヴィトン、グッチ、シャネルという世界の名だたるラグジュアリーブランドを抑えて、8年連続ナンバーワンを獲得している。 なぜこうなったか。ひとつは低価格の汎用スニーカーやTシャツなどを出す一方で、自分たちの「ブランド価値」を体現するような高額なスニーカーやスポーツアパレルを世に送り出し続けたことだ。つまり、顧客から高いとそっぽを向かれることに日和ることなく、「高級化」もしっかりと進めた。 分かりやすいのは17年2月、米Business Insiderが配信したDennis Greenというテクノロジーと小売の関係性について取材を進めているシニア記者の「ナイキがいつの間にか“ラグジュアリー・ブランド”に!」という記事だ。 『最近、ナイキ(Nike)のシューズや服を買ったり、新しい店に足を運んだ人はもう気付いているだろうが、ナイキはこのところ、高級志向にシフトしている。Forbes(フォーブス)誌のランキングによると、2016年、ナイキは世界で最も高級なアパレル・ブランドとしてルイ・ヴィトンを超えた』(Business Insider 2017年2月3日) ここまでしっかりと高級化すれば、いくらスポーツ店で2980円のスニーカーがあっても、ナイキの価値は下がらない。それをよく示すのが、高級ラグジュアリーブランドとのコラボだ。 例えば、22年にはルイ・ヴィトンとコラボしたスニーカーはMidが42万5700円、Lowが34万1000円でも飛ぶように売れている。ナイキの価値が、ヴィトンの価値と釣り合っているからできたコラボだ。 サマンサタバサのバッグは高価格帯であっても5万円ほどだ。ブランドバッグとしては「お求めやすい」というカテゴリーなので、それなりの売り上げは見込めることと引き換えに、どうしてもブランド価値がチープになっていく。ストレートに言ってしまうと、「大衆的なバッグブランド」というイメージが広がって「憧れを抱けない」のだ
「高級化」と「希少性」を追い求める
そう聞くと、「じゃあ売れなくなっても頑張って高級化すりゃいいのか」と思うかもしれないが、もちろんそういう簡単な話ではない。ナイキの場合、高級化に合わせて「希少性」をしっかり守っている。レアスニーカーだ。 ご存じのように、ナイキのスニーカーはレアなモデルはプレミアがつくので、コレクターの間では数百万円の高額で取引されることもある。だから、ナイキのレアスニーカーが喉から手が出るほど欲しくてたまらないというファンもたくさんいる。そんな「枯渇感」こそがブランド価値を釣り上げていく、というのは多くのマーケーターが指摘するところだ。 例えば、デジタルメディア「DIGIDAY日本版」の記事の中で、デジタルマーケティングエージェンシーHugeで分散型コマースのグローバル責任者を務めるキム・グエン氏はこう述べている。 『価格はたしかにそれを達成するためのひとつの方法だ。しかしナイキやイージーのようなブランドは希少性を活用して、似たような欲求やステータスを示す感覚をもたらしてきた。希少性は精神的近道として機能する。要するに私たちはレアだと認識されているものに高い価値を見出し、豊富にあると思われるものは価値が低いと考える』(GLOSSY編集部 22年4月21日) 高級化と希少性。この2つを追い求めることは、並大抵のことではない。しかし、そんな困難な道だからこそ、それを突き進むときに、ナイキの「Just Do it」(やるだけ)というブランドアイデンティティーも生きている。アディダスやプーマよりも尖っているイメージが、さらにブランド価値を釣り上げているのだ。
かつての「輝き」はどうなる
さて、この高級化と希少性という2つのキーワードを踏まえてあらためて、これまでのサマンサタバサや4°Cに定着したといわれるイメージを振り返ってみよう。 「お求めやすい価格でおしゃれなデザイン」「若い女性がみんな持っているので男性も定番のプレゼントに選ぶ」。ナイキが生き残るために選んだ道と、まさしく「真逆」のブランド戦略となってしまっているのだ。 安いニッポンで高級化は難しいという意見も多いが、安いニッポンで激安でもなく高級でもなく、「お求めやすい」を狙うほうがよほど破滅行為だ。人口激減、つまり消費者が激減しているこの国で、「中途半端なブランド」を一体どの層が支持するのか。価格ひとつとっても、ラグジュアリーブランドに比べてたらかなり割安だが、ファストファッションブランドに比べたら高級だ。「どっちつかず」ということは「どの層も支持しない」ことでもあるのだ。 今もなかなか暗闇から脱せないサマンサタバサはさておき、4°Cは店舗を大量閉店するなど経営のスリム化を図り、ブランドの再構築に着手し始めている。 かつての「輝き」を取り戻すことができるのか、注目したい。 (窪田順生)
ITmedia ビジネスオンライン
なぜ「サマンサタバサ」はここまで追い詰められたのか 「4°C」との共通点(ITmedia ビジネスオンライン) - Yahoo!ニュース