河村真木子さんの「当たり前を手放す勇気」。会社員から日本一のオンラインサロン運営者へ

Profile

河村真木子

1976年、奈良県生まれ。高校3年生の春にロサンゼルスの高校へ転入を決意。帰国後、関西学院大学に入学するも自主退学し、UCバークレー校に進学。卒業後は米系投資銀行に就職。2度の転職を経て、2021年8月にオンラインサロン「Holland Village Private Salon」の運営者となる。

 

 

 

 

人生100年時代と言われる昨今、働き方や家族のあり方、学び方など生き方そのものが多様に変化してきている。人生の転機をチャンスに変えた人たちは、次のステップをどう踏み出したのだろう?

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第1回は、コロナ禍で1万人以上の女性の心を惹きつけ、オンラインサロンを開いた河村真木子さんにフォーカス。

月1万円の会費で3000人が殺到!?

「会社を辞めること、とても怖かったですよ。外資系金融の中で、ある程度の立場でやらせてもらっていたので。それが全部なくなるなんて、自分の居場所がなくなるというか、社会からの信用もなくなるというか、自分ではなくなるという恐怖がありました」

そう語るのは20年近くにわたって外資系金融機関でキャリアを築き、“バリキャリ金融女子”と呼ばれている河村真木子さん。“バリキャリ”という言葉に少し違和感を覚えるほど、ソフトな口調とやさしい笑顔が印象的だ。

河村さんがオンラインサロン「Holland Village Private Salon(ホーランドヴィレッジプライベートサロン)」をスタートしたのが2021年。スタートと同時に、3000人もの会員が入会した。それから1年半たった現在、国内外で1万人以上のサロンメンバーを有する。月額1万円、かつ紹介制の仕組みにもかかわらず、多くの会員を魅了している。

「金融の仕事は、まだまだやるつもりでいたんです。オンラインサロンと同時並行で走らせるつもりで。でも、オープンしたら想像していた10倍もの会員の方が来てくれて。あわてて会社に電話しました、辞めさせてください!って(笑)」

インタビューに応じる河村真木子さん。会員限定のカフェ『Holland Village Private Café』にて

20代で描いた地図は“40歳でリタイア”

米国の大学を卒業し、外資系金融会社に入社した24歳の当時、河村さんはすでに40歳でリタイアを決めていた。それは、外資系金融という心身ともに負荷がかかるハードな労働環境も影響していたそう。

「ものすごい競争社会で、いつでも誰でもクビになる環境だったので。バイタリティーのある若いときしかできない仕事だから、みなさん40歳くらいで別の仕事に行くんです。なので、私も40歳ぐらいまでに、人生で次に何をしたいか決めないと、と漠然と考えていました」

最近になってようやく日本でも浸透してきた“副業”でさえも、外資系企業に勤める河村さんにとっては20年前から“普通”であった。いつか副業を始めて、それが波に乗ってきたら本業として始めたい、とぼんやり考えていたという。ところがその後、結婚・出産・離婚・転職と、人生の大きな波を乗り越えていくことになる

 

 

 

 

シングルマザーで転職。プレッシャーで鬱に

「29歳の時に、まだ小さな子どもを抱えてシングルマザーになりました。さらにその2年後、業界最大手と言われる会社に転職し、プレッシャーもものすごくあって。実は鬱になりかけたんです。でも20歳の時に一度経験していたので、リサーチしていいお医者さんをすぐに紹介してもらい、幸い早めに回復することができました」

男性社会の中で、バリバリ働いてきた河村さん。とはいえ、「自分は鋼のメンタルを持っているわけではない」という。

「よく、“強そうだね”なんて言われるんですが、実はそれもバランスで、強く見える人は同時に弱くもあるんです。落ち込む気質が自分にあるって分かった今では、予防を心がけていますね。40歳の時にも鬱になったのですが、その時は子宮の手術をしたあとだったんです。ああ、ホルモンバランスって大事だなと思って。それ以来、運動や食事、起床時間など規則正しい生活でセロトニンの量を減らさないように心がけています」

SNSで本名のまま本音を発信すること

24歳の頃から、漠然と思い描いていた“40歳でリタイア”。いよいよ目の前に迫ってきた39歳の時に、インスタグラムをスタートする。当時はまだ匿名で“インスタ映え”するきれいな写真をアップする人が多い中、河村さんは本名で本音を出す場として活用した。

「もしも私が芸能人や立場のある人だったら隠していたかもしれないけれど、何者でもないただのサラリーマンだったので、隠さなきゃいけないことが何もありませんでした。逆に、本名で発信することによって、皆さんに自分が誰なのか、リアリティーをもって分かってもらえると考えたんです」

その後、順調にフォロワーを増やしていった河村さん。時に、フェイスリフトの手術もリアルで配信する“リアルさ”に、多くの女性を惹きつけた。そして世の中がコロナ禍の45歳の時、ついにオンラインサロンをオープンする。

「ほかのサロンを見てしまったら、それが“当たり前”になる」と、事前リサーチはなし。自分が入りたいものという感覚を信じた

「それまで一度もほかのオンラインサロンに入ったことはありませんでした。友人のホリエモンや勝間和代さんが先んじてオンラインサロン運営をされてましたが、先輩方のサロンを見てしまうとどうしても影響を受けてしまうと思い、お二人だけじゃなくどなたのサロンも見ないでゼロから作りました。

また、従来のオンラインサロンというよりは、コミュニティー運営の方に興味がありました。よく『オンラインサロンなら、メルマガみたいに月500円とかそれくらいじゃない?』と言われたんですが、私が発信する情報や良質なコミュニティーには月1万円の価値があると思って、貫きました」

“バリキャリ”と聞くと、仕事だけを頑張っているような印象をもつが、河村さん自身がそれに違和感を感じていたという。働く女性であっても、おしゃれをしてキレイでありたい、遊びにも行って、恋愛や人生も謳歌したい。だからこそ、そんな女性たちが潜在的に持っていた声を拾い上げ、河村さんを中心としたコミュニティーは拡大していく

 

 

 

 

 

オンラインからオフラインに広がる輪

会員3000人でスタートしたオンラインサロンは口コミで瞬く間に広がり、現在は会員1万人以上に。東京のみならず、日本全国の地方都市や北米やヨーロッパなどにも「同好会」という形で輪は広がっているそう。そしてオフラインで交流ができる場として、2022年11月に会員制のカフェをオープンする。

「会員制なので、食材は高くてもできる限り、オーガニックや無添加・無農薬に挑戦しています。添加物をとらないのは、幼い頃から母が実践していた河村家の方針なんです。子どもの頃は駄菓子屋のお菓子を食べられず、おやつはさつまいもや手作りクッキーばかりで嫌でしたが、不思議と子どもを持った時にまた食べたくなり、添加物が気持ち悪いと思うようになりました。そこは、カフェでもこだわりましたね」

カフェでは、渋谷区や港区などの地域の会、インターナショナルスクールに子どもが通うママの会、医師・歯科医師、クラシック音楽好きの会など、さまざまなメンバー同士の交流がリアルに行われているそう。そんな日本最大のオンラインサロンを作り出した、河村さんの原点とは?

「当たり前なんていらない」価値観を変えた留学

「留学の際は、経験者の本をたくさん読みました。何かを始める時は、必ず多くの本を読んでリサーチします」と河村さん

人生を振り返って、大きなターニングポイントとなったのはいつ?という問いに、「17歳の時。単身でアメリカの高校へ留学したこと」と即答した河村さん。

「もやもやしていた霧が、パーッとすべて晴れたのがアメリカ留学でした。違う世界があるということは、違う常識で走っている人たちがいるってことで。日本の常識がすべてではないなということも分かったし、いろんな常識を破ってチャレンジしていくのも怖くなくなりました」

昨年発売された自身の著書『超フレキシブル人生論 “当たり前”を手放せば人生はもっと豊かになる』(扶桑社)にも、河村さんの人生の中で、不要と思って手放してきた数々の“当たり前”がつづられている。

「最も必要ないと思う“当たり前”は風習かな。年賀状とか、名前の画数とか、お祝いの半返しとか。やらないと非常識とか言われちゃうんですけど、それはもう鬼スルーして(笑)。自分が意味ないと思うことは、誰に何と言われようと手放していきました。手放しても、たいしたことは起きなかったですね」

非合理的なことにこだわらないのも、河村さんのポリシーのひとつ。そして、もうひとつ大切にしていることがある。それは「意見が違っても人格を否定しない」ということ。

「この考え方は、欧米ではすごく一般的な考え方なんです。私の意見に『ノー!』とガンガン言ってくるので最初は感じ悪いと思っていたけど、違う意見を言うことが価値ある行動なんですよね。“建設的=違う意見を言うこと”だったんです。でも、それと人格とは別と考えなければいけないんです」

オンラインサロンでも、会員同士のルールとして「意見が違っても人格を否定しない」を設けている。“当たり前”であることを疑って、本音で発言する。河村さんが人生の中で大切にしてきたことは、次なる扉を開けるための原動力にほかならない。

photo: Tomoko Hagimoto text: Akiko Yoshida

 

 

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