冬眠しているツキノワグマを引きずり出して食べるんだよ」25年にわたって研究し続けた博士も驚愕した、クマを捕食する“獰猛な生物”の正体とは
ツキノワグマの捕獲に向かった研究者が体験した“恐怖の6時間” 「大型哺乳類研究者の死因ナンバーワンは…」 から続く
日本にいると、クマの死体を見ることなんてほとんどないし、ほかの動物に捕食されることもまずありえない。しかし、海外ではクマが捕食される生態系が築かれている環境もあるという。はたして、クマをも捕食してしまう動物とはなんなのか。 ここでは、25年間にわたってクマの糞を拾い続け、ツキノワグマの謎に包まれた生態を明らかにしてきたクマ博士・小池伸介氏の著書『 ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら ツキノワグマ研究者のウンコ採集フン闘記 』(辰巳出版)の一部を抜粋。ロシアで行ったフィールドワークのもようを紹介する。(全2回の2回目/ 前回 を読む) ◆◆◆
ロシアのクマはトラに食われる!?
海外調査といえば、2012年から始まったロシアでの調査も思い出深い。ロシア沿海州のウラジオストクから700kmほどの場所にあるシホテアリン自然保護区は、ちょうど日本の稚内の対岸あたりにあって、アフリカのセレンゲティやンゴロンゴロと並び多様な食肉目の哺乳類が生息する地域として知られている。そこはオオカミやアムールトラ、アムールヒョウ、そしてヒグマとツキノワグマが暮らしているという世界でも非常に珍しい場所なのだ。 私がロシアに行ってみようと思ったのは、いつも国際会議にやってくるロシア人の研究者のイヴァン・セオドーキンさんが、「シホテアリンではクマがトラの主食なんだぜ。冬眠しているツキノワグマをトラが引きずり出して食べるんだよ。だから、そこのツキノワグマの冬眠穴は木の高いところにある」 なんて物騒な話をしているのを聞いたのがきっかけだ。 クマが食べられてしまうってどういうことだよ!? しかも、ヒグマとツキノワグマが同居する場所なんてロシアと北朝鮮にしかないのだ。どうやって住み分けているのか、この目で見てみたいじゃないか。これは行くしかない! 同じような思いに駆られたクマ研究者は私ひとりではなかった。そして、みんなで力を合わせてロシアでの現地研究プロジェクトが動き出したのであった。 ところがその準備は予想以上に難航した。何がそんなに大変だったのか
手続きに時間がかかりすぎて調査開始までに2年経過
まずは、道具の調達である。もともと、ロシアではクマを捕獲する際には「くくり罠」という道具を使っていた。これは、ワイヤーロープを輪の形にしたものを地面に置き、その先にエサを置くという形式の罠である。エサを食べにきた動物が輪の中に手足を踏み込むと、罠が踏まれてワイヤーが締まる。すると、動物の手足がくくられて動けなくなるのだ。動物をつかまえやすくはあるのだが、時間が経つにつれてワイヤーがどんどん締まっていくので、すぐに外してやらないと動物が傷つきやすい。
しかも、くくり罠を使うと、クマだけでなく希少なトラも捕獲されてしまうということで、ロシアでは使用が禁止されるようになってしまったのだ。 仕方がないので、日本で使っていたドラム缶を連結した捕獲トラップを使うことにした。このトラップはちゃんとした図面があるわけではなく、いつも同じ鉄工所に作ってもらっていた。言葉の壁があって仕事ぶりもよくわからない現地の工場に発注するのは無謀である。 そうなると、日本で作ってロシアに持っていくしかない。あとはどうやって運ぶかだが、ちょうど当時はロシアから日本に木材を輸入していたため、その船がロシアに帰っていくときに載せてもらうことにした。 ほかにも、首輪の電波を使う権利など、海外で研究を進めるためには政府や現地の役所へのさまざまな申請が必要になってくる。しかし、こういった一連の手続きというのは、いちいち許可をもらうのにお金(いわゆる「袖の下」)を要求されるのである。 しかも日本の役所では考えられないほど時間がかかる。そんなこんなで、気が付いたら実際の調査が始まるまでに2年が過ぎていたというわけだ。
「パスポートを見せろ」地元住民に怪しまれて通報される
調査開始までも時間がかかったが、日本から現地に行くのも時間がかかる。ウラジオストクまでは直行便がないため、当時は韓国経由でウラジオストクに飛んだ。朝6時の羽田発の飛行機に乗らないと間に合わないので前泊は必須である。ウラジオストクに着いてからは約12時間バスに乗って数百kmの距離を行く。そのうちの1/3は舗装されていないデコボコ道である。車に酔いやすい人にはおすすめしない。 いきなりバスが止まり、憲兵かKGBと思しき制服姿のいかつく眼光鋭い男たちの一団がずかずかと乗り込んできて、まっすぐに私たちのもとにやってくる。恐ろしげな口調のロシア語で何かをまくしたてる。何をいっているのかは詳しくはわからないが、どうやら「パスポートを見せろ」と要求しているらしい。 いわれた通りにすれば彼らは降りていくのだが、なかにはパスポートを没収されそうになって、面倒なことになった人もいた。そういうことがかなりの頻度で起こる。おそらく、ロシアの田舎道を走るバスに、見慣れぬ外国人が乗っていることを怪しんで、地元の人が通報しているのだと思う。そんなわけで、目指す自然保護区には、たどり着くのに3日もかかったのだった。往復するだけで6日かかるようなフィールドなので、日本の大学や研究機関などで仕事をしている私たちが長期滞在できるタイミングはあまりない。そこで、研究者仲間で行く時期をずらし、1~2週間ほどリレー形式で滞在することにしていた。私は大学の仕事が一段落する秋に10日ほど滞在することになった
シュールストレミングの10倍臭い肉
現地では、ツキノワグマとヒグマの両方を捕獲し、接近感知センサーを搭載したGPS受信機付きの首輪を付ける。この首輪は、通常は2時間に1回、居場所を衛星に通信するのだが、首輪を付けた個体同士が近づくと5分間隔で通信するようになる。つまり、ヒグマとツキノワグマが接近すれば、お互いが避けたり追いかけ合ったりする行動が把握できるわけだ。さらに、心拍数を計測できる装置を首輪に付けておくことで、クマ同士が緊張しているかどうかもわかる。 ロシアでのクマの捕獲方法はエサからして日本とは違った。どうやら私が調査に参加したのが秋だったことも大きかったようだ。日本のクマも秋になるとあんなに好きだったハチミツに興味を示さなくなり、ひたすらドングリを食べようとする。ロシアのクマも同じで松の実ばかりを食べているのだ。冬眠に備えるためだろう。ならば、松の実と同じかそれ以上に栄養価が高い食べ物をしかけたいところだ。しかも、今回は同じトラップでヒグマも捕獲したい。 そこでロシアでは動物の肉をエサとして調達した。狩りで獲ってきたり、道路で車にひかれたシカの脚を拾ってきたりしてエサに使うのである。ほかにもイルカの内臓やイノシシの脚などもエサに使われた。
ロシアのクマは腐敗したクジラの肉が好き
ときには、浜に打ち上げられたクジラの肉を使うこともあった。こちらは腐ってドロドロに溶け、鼻がひん曲がりそうなほど臭かった。そのニオイは、世界で最も臭いといわれる発酵食品のシュールストレミングを5~10倍強烈にしたようなレベルである。腐敗にともなってガスが発生しているので、クジラのお腹にナイフを入れると、すごいニオイの液体がブッシューッと飛び散って服にかかる。私の前に調査に来たチームは、「服にあの汁がつくと、ニオイが取れないよ」と教えてくれたので、捨ててもいいような服を着ていくことにした。手のニオイもなかなか取れないので、ゴム手袋をして、さらに隙間から汁が入り込まないようにガムテープでふさぐ必要もあった。 そんな完全防備をした上で、腐ったクジラの肉をナタで20cm角程度の大きさのブロック状に切る。そのブロック数十個をバケツリレーのような格好で運んで冷凍庫に保管する。これを冷凍庫から取り出してトラップに入れるのである。こんな臭いものをよく食べる気になるなと思うのだが、現地の人たちによれば、「これを一番クマが食べるんだ」ということだから従うしかない。 実際にロシアのクマは腐敗したものが好きなようで、私と入れ違いにシホテアリンに入ったチームはこのエサで捕獲に成功したようだ
小雪舞う川で半裸のロシア人が水垢離に誘う
ロシアでの調査で泊まったのは、国立公園内の見回り用の小屋や、モンゴルのパオのような移動式のテントである。ここにはガスも水道も電気もないため、沢から水を汲み、薪を燃やして料理を作った。ロシアの調査をアテンドしてくれるカウンターパートのイヴァン・セオドーキンさんは、とても親切だったがドン引きするような習慣を押し付けてくることもあった。なぜだか知らないが、「これをやらないとクマが捕まらないんだ!」と信じていて、夜に川に入ることを強要するのである。 「ロシアでは夜に川に入らされるぞ」というのは、夏に行ったチームから聞いていた。 まさか秋にはやらないだろうと高を括っていた。いやはや甘かった。実に甘かった。 秋にロシア入りした私たちにもイヴァンさんは川を指さし、ロシア語で何かいい出すのである。イヴァンさんは英語が苦手だ。そして私たちはロシア語がわからない。身振り手振りと断片的に聞こえる単語から推測するに、これはやはり川に入れということらしい。 10月から11月のロシア沿海州の気温は一桁である。雪も舞っている。川の水温は4℃である。正気の沙汰じゃない。
次から次へと出てくるウォッカのオンパレード
やはり、さすがにこの時期は川に入れというわけではなかった。バケツで川の水を汲んで水垢離するというスタイルだった。イヴァンさんは私にバケツを押し付けていった。 「スリー!(3杯かぶれ)」 困った。ろくに言葉でのコミュニケーションが取れないから、角を立てずに「無理です」と伝えられない。ロシアの調査はイヴァンさんの厚意で成り立っているから、彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。 ええい、もうやるしかない! 私は水をかぶった。秋のロシアの川の水は本当にヤバかった。体に水がかかった瞬間、フラッとして危うく卒倒するところだった。冷たさで平衡感覚を持っていかれたのは生まれて初めてだ。 このように過酷な調査と願掛けが終わり、そのあとは部屋に入ったところでウォッカの酒盛りとなるのがお決まりのコースである。 イヴァンさんをはじめ現地のスタッフの多くはウォッカに目がなく、私たちに次々と振舞ってきた。しかし、そのウォッカが何だか怪しい。本来ウォッカは無色透明のはずなのに、彼らの持っているウォッカは麦茶のような茶色だったり薄い緑色だったりする。よく見ると、瓶の蓋には市販品で見られる密造防止のキャップが付いていない
「これを飲んで、あいつは目がつぶれたんだよな」 なんて物騒な話を聞いた気がした。彼らは「ヴォドカ!」と主張するが、これはもしやサマゴンと呼ばれる密造酒ではないだろうか。 念のため、自分たちはあらかじめ店で買ったウォッカを飲むことにして、イヴァンさんのすすめるお酒はやんわりと断っていた。怪しげなウォッカがようやくなくなりそうになってホッとしていたら、彼はまたどこかから1本持ってくる。どこかに四次元ポケットでもあるんじゃないかというくらい、次から次へと出してくるのだ。そして喉の奥にブラックホールでもあるんじゃないかというくらい、出してきた瓶をことごとく飲み干していくイヴァンさんなのだった。
トラのウンコの中にはツキノワグマの毛や爪が入っていることも
ロシア人の酒の強さは、日本の酒豪が真っ青になるレベルである。そう思っていたが、やはりイヴァンさんの酒量はそのロシア人の中でも桁違いだったらしい。あるとき、毎晩の飲み過ぎを国立公園の職員にこっぴどく叱られて、酒盛りは私たちの歓迎会(初日)と送別会(最終日)の2回だけになった。 このように刺激的な体験がてんこ盛りだったわけだが、私のロシア滞在中にクマは1匹も捕獲できなかった。水垢離のご利益とは何だったのだろうか。とはいえ、シホテアリンで得られた経験はかけがえのない財産になった。ロシアのツキノワグマは、日本よりもずっと大きいが、やはり行動はほとんど同じで、木に登って果実を食べることもわかった。 また、トラのウンコを見つけるとツキノワグマの毛や爪が入っていることもあった。それを見るたびに、「そうか。おまえ食べられちゃったんだな……」というしみじみとした切ない気持ちになったものだ。日本にいると、クマの死体を見ることなんてほとんどないし、ほかの動物に捕食されることもまずないのだから。
日本では味わえないドキドキ感は貴重な経験に
なお、実際に現地に行ってみてわかったのだが、野生のトラを見るのはクマを見るより難しい。トラは非常に用心深いので、なかなか姿を現さないのである。 それでも、朝起きてテントの周りを見ると、トラの足跡を見つけることがあった。 しゃがんで掌を当てるとほとんど同じ大きさである。 「やっぱりいるんだな!」 トラのいる森でフィールドワークをするドキドキ感は、日本では味わえない貴重なものだった。 ツキノワグマがトラやヒグマと共存する森。いつになるかはわからないが、また調査に行ける日が来るよう祈っている。
小池 伸介/Webオリジナル(外部転載
「冬眠しているツキノワグマを引きずり出して食べるんだよ」25年にわたって研究し続けた博士も驚愕した、クマを捕食する“獰猛な生物”の正体とは(文春オンライン) - Yahoo!ニュース