根深く残る「帝国主義」と「真珠湾」の記憶

“地獄谷”と呼ばれたハワイの「日系人強制収容所」が歴史から忘れられた理由

 

 

Olivia Tasevski

 

太平洋戦争中の米国では、敵国・日本の支持者と疑われた12万人以上の日系人が強制収容された。そのなかには、ハワイ在住の日系人も含まれていたが、戦後になるとその事実は長く忘れ去られた。

ハワイの悲しい歴史が見過ごされてきた背景には、国家の意図的な「黙殺」があったという。


1941年12月7日(日本時間12月8日)、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃すると、米国政府は数年にわたって本土に住む日系人を強制収容した。

だが、ハワイ在住の日系米国人も家を追われ、強制収容所に入れられた事実はこれまで無視されてきた。
 

「地獄谷」と呼ばれた収容所


1942年2月、ルーズベルト米大統領は特定の地域を軍管理地域に指定し、そこからの強制退去を承認する「大統領令9066号」に署名した

 

 

 

強制退去の対象となる民族は特定されていなかったが、標的にされたのは日系米国人だった。「日系人はスパイで、日本軍のために破壊工作をしている」という恐怖が米国中に広まっていたのだ。

こうした外国人嫌悪の蔓延により、12万人以上の日系人が収容所に送られた。大半は、西海岸の出身で米国の市民権を持っていたが、日系だというだけで米国の安全保障を脅かすと見なされた。

1898年に米国に併合されたハワイでも日系人は強制収容された。第二次世界大戦時、日系人はハワイの人口の3分の1以上を占めていた。米軍がハワイで収監した日系人は約2000人と、規模は本土よりもはるかに小さかったが、そのなかにはコミュニティの指導者や日本語教師、神主などが含まれていた

 

 

1943年にオアフ島に開設されたホノウリウリ収容所は、ハワイ最大の強制収容所で、日系人の間では「地獄谷」と呼ばれていた。

 

 

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