フランス在住30年 記者生活を語る 元産経パリ支局長、山口昌子さん

産経新聞

パリ駐在ジャーナリスト生活30年を語る山口昌子さん=21日、日仏会館(佐渡勝美撮影)

 

 

 

 

元産経新聞パリ支局長でフランス在住のジャーナリスト、山口昌子さんの講演会が21日、東京都渋谷区の日仏会館で開かれた。講演会は「ミッテランからマクロンまで-パリ駐在記者生活30年」と題され、激動の時代の現場に立ち会った記者の「証言」に参加者たちは熱心に聞き入った。

 

 

 

 

 ■5代の大統領に取材 

山口さんは1990年5月から2011年9月まで産経新聞パリ支局長を務め、その後もパリに在住し、フリージャーナリストとして精力的にメディアへの発信を続けている。 30年を越す在仏記者活動では、ミッテラン、シラク、サルコジ、オランド、マクロンの5代の大統領を取材。各大統領にまつわる興味深いエピソードの数々が講演会では披露された。 ミッテラン氏は湾岸戦争(90~91年)時に和平工作を盛んに行ったが、「これはフランスの(大国としての)地位を守るための行為だ」と豪語し、国民から喝采された。また、欧州連合(EU)の創設を定めたマーストリヒト条約(91年)に合意した際の午前1時の記者会見では、がんで体調が悪化し、ふだんは顔色が悪かったミッテラン氏がこの時ばかりは満足感で顔をバラ色に染めていたのが印象的だったという。 シラク氏は就任(95年)早々に核実験を強行し、イラク戦争(2003年~)では開戦に反対して対米追従を拒むなど硬骨漢として知られたが、一方で大の知日派で、その博識ぶりは在仏日本人記者や日本大使館員も舌を巻くほどだったという。08年に日仏修好通商条約締結150年の記念イベントが行われたのは、在任中のシラク氏自らの提案がきっかけだった。 サルコジ氏は在任中(07~12年)に離婚と再婚を経験した。前妻が実業家と米国に駆け落ちした際には記者会見で「(妻の家出は)選挙にもマイナスの影響があるのではないか」と問われると、「いや、数百万人のフランス人と同じことが私にも起こったまでだ。むしろ共感されてプラスになる」と平然と言ってのけたという。 オランド氏の在任中にはシャルリー・エブド襲撃事件やパリ同時多発テロ(ともに15年)などの大事件が起きたが、ロスチャイルド銀行の投資顧問だった全く無名のマクロン氏を34歳で政権幹部に引き抜き、登用したことも仏政界を揺るがす「大事件」だったという。 

 

 

 

 

■「パリ日記」5巻を完結

 フランス関連の多くの著書がある山口さんは、日記風に仏在住30年を振り返る「パリ日記 特派員が見た現代史記録1990-2021」(全5巻、藤原書店)の刊行を一昨年9月から始め、先月、第5巻の刊行を終えた。今回は刊行完結に合わせて一時帰国した。 「パリ日記」は400字詰め原稿用紙で1万枚を超す大作で、フランスから眺望した克明な現代史の年代記になっている。また、個人的な経験もふんだんに述懐され、パリ赴任6日目の90年6月4日の日記には、外信部長から「上層部は(赴任に)反対している。ダメだったら1カ月で戻す」と言われたので「即帰国できるように荷物は最小限にし、家具ありのアパートを探した」が、なかなか見つからないとある。 また、95年1月10日には、レジスタンスの闘志で仏紙ルモンドの創設者、ブーヴ=メリーに「良き新聞記者の条件は何ですか」と仏留学中にたずねると「好奇心」と一言の回答を得て、「この言葉が新聞記者としての生涯の指針になり励ましになった」と思い出がつづられている。 「好奇心」を座右の銘に長年、記者活動に励み、今年1月にはフランス政府から「卓越した功績」を表彰するレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章した。日本の女性ジャーナリストが同勲章オフィシエを受章するのは初めてで、アブドゥルマラク文化相は「日本とフランスの違いを細微に伝え、両国の距離を縮めた」と称えた。 「受章は、まだ頑張れという激励の意味だと、覚悟を決めました」という山口さんは、近日中にパリに戻り、価値ある発信を再開する。(佐渡勝美

 

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