「シンナーも、ヤリマンも禁止」中学時代は万引きもタバコもすべてやったけど…16歳で女暴走族を立ち上げて“真面目になれた”「かおり」の壮絶人生

「伝説のレディース・かおり」令和になぜバズった? #1

倉科 典仁

「シンナー禁止」「ヤリマン禁止」「仲間を警察に売ること禁止」「万引き禁止」……そんな独自の哲学と、どこか色っぽいルックスで、平成の不良少年・少女から人気を集めたレディース暴走族総長のかおりさん。そんな彼女が時を越え、令和の時代にSNS総再生回数2000万回を超えるほどバズった理由とは?

 前編では、元ティーンズロード3代目編集長の倉科典仁氏が「かおりさんとの出会い」、「彼女の半生」を綴ったコラムをお届けします。(全2回の1回目/後編を読む)

伝説のレディース「貴族院女族」の元2代目総長・かおりさんが歩んできた人生とは? ©大洋図書

伝説のレディース「貴族院女族」の元2代目総長・かおりさんが歩んできた人生とは? ©大洋図書

伝説のレディース暴走族雑誌「ティーンズロード」

 30年以上前に私が3代目編集長をやっていた伝説のレディース暴走族雑誌「ティーンズロード」。簡単に言えば、全国の暴走族(特に女性)たちを取り上げ誌面で紹介する読者参加型のティーン誌です。

伝説の暴走族雑誌「ティーンズロード」(写真:筆者提供)

伝説の暴走族雑誌「ティーンズロード」(写真:筆者提供)

《特別グラビア》16歳でレディース総長→CDデビュー→そして今は…「かおりさん」の人生を一気見する

 当時、私は25歳。「ティーンズロード」の立案者であり、初代編集長の比嘉健二氏に「車の雑誌の編集者にならないか」と誘われ、車好きだったこともあり、何も考えずにこの出版業界に入ったわけですが、いざフタを開けてみれば、車は車でも「暴走族の専門誌」(苦笑)。

 しかもその時代、すでに東京では暴走族を見かけることも少なく、正直「もう暴走族なんていないでしょ~」とまで思っていました。

 案の定、雑誌が創刊してから4号目までは全くと言っていいほど売れず。編集長だった比嘉氏も「次が売れなかったらオレ会社辞めるから……」と言っていたのを覚えています。

 しかし、そのころ1通の封筒が届いたのです。封筒の中にはサラシにニッカポッカ姿の少女たちが20人近く写った紙焼きの写真と、「私たち気合入っているんで取材に来てください」という内容の手紙が同封されていました。

 当時は「レディース暴走族」という存在が世間でまだ認知されていなかったので、編集長と私は彼女たちの存在に疑問をいだきつつも、「この子たちに最後の望みを託そう」と取材に行きました。

 取材現場に着くと、メンバーは13~17歳くらいの少女たちが20名ほど。全員が紫のニッカにサラシを巻いた出で立ちで、私たちの目にはとても新鮮というか衝撃的でした。

 無事取材を終え、巻頭グラビアで彼女たちの特集を組むことが決まりました。いざ発売日を迎えると、その号から実売が一気に伸び、首の皮一枚で繋がった私たちはホッとしました。

 

 

 

元2代目総長かおりとの出会い

 レディースを取り上げるようになった雑誌の勢いは止まらず、たちまち10万部を突破。まさに「レディース暴走族ブーム」の到来です。

 全国のレディースを名乗る女の子たちから「ウチらのチームを取材してくれ」と毎日何十本もの電話が入り、私たちは休みなく全国のレディースを取材しに駆け回りました。

 今回、紹介する「貴族院女族」元2代目総長かおりさんは、そんな数多くのレディースの中でも、読者から絶大な人気を得ていた女性でした

 

 

 

「ティーンズロード」のファッション企画ページに出演していたころのかおりさん(写真:筆者提供)

「ティーンズロード」のファッション企画ページに出演していたころのかおりさん(写真:筆者提供)

ファンから届いた似顔絵(写真:筆者提供)

ファンから届いた似顔絵(写真:筆者提供)

 当時、彼女は17歳。目は切れ長で、妙に色っぽさを感じる女の子でした。私たちと喋っていても感じがよく、喋り慣れている様子でしたが、どことなく言葉がカタコトな気がしたので「かおりちゃんは日本の人?」と聞くと、「違います、台湾人です」と返します。

 しかも、16歳のころから栃木のスナックで雇われママをやっていたといいます。どおりで、大人との会話も上手いはずです。

 その生い立ちは少し複雑です。生まれは台湾の台北市。早くに両親が離婚して、彼女が小学校低学年の頃に、母親は単身日本に出稼ぎにいきました。小学5年生のときに来日するまで、台湾の親戚の家をたらい回しにされていたとのことでした。

 さらに夢にまで見た母親との生活は、母親の仕事が多忙だったため、日本に来てからも“ほぼ別居状態”で叶わなかったといいます。

グレはじめた中学時代(写真:筆者提供)

グレはじめた中学時代(写真:筆者提供)

 心のよりどころがない寂しさと、「自分は誰にも必要とされていない……」という思いから、徐々に同じ境遇の仲間たちとツルむようになります。

 中学時代には、ケンカやシンナー、万引きなど、非行の道へ進んでいった彼女ですが、ただ、ここからが普通の不良少女とは違うところ

 

《写真あり》

16歳で女暴走族を立ち上げ→人気を集めてCDデビュー→引退後は夫のDV

に悩まされたことも…「伝説のレディース総長・かおり」のその後

倉科 典仁

「シンナーも、ヤリマンも禁止」中学時代は万引きもタバコもすべてやったけど…16歳で女暴走族を立ち上げて“真面目になれた”「かおり」の壮絶人生 から続く

 16歳でレディースを立ち上げ、さらにはCDデビューまで果たした、元総長のかおりさん。かつて全国の不良少年・少女に愛された彼女は、暴走族を引退後、どんな人生を歩んだのか?

 後編では、元ティーンズロード3代目編集長の倉科典仁氏が「引退後のかおりさんの人生」と「30年ぶりの再会」について綴ったコラムをお届けします。

「レディースだけの音楽ユニット」を作ったことも

 「ティーンズロード」掲載後、レディース暴走族「女族」の知名度は上がり、特に人気の高かったかおりさんの似顔絵やファンレターが編集部にたくさん届くようになりました。

 もちろん「ティーンズロード」では、ほかにも人気のあるレディースの子たちはたくさんいましたが、かおりさんは格別です。読者の質問コーナーや、ヤンキーファッション企画、映像作品にも出演したことで、人気もうなぎ上りでした。

 絶頂期には、あるレコード会社から「本物のレディースだけで音楽ユニットを作りたい」とのオファーがあり、結成されたのが「鬼風刃」(きふうじん)でした。

リアルヤンキーガールズグループ「鬼風刃」時代のかおりさん(写真:筆者提供)

リアルヤンキーガールズグループ「鬼風刃」時代のかおりさん(写真:筆者提供)© 文春オンライン

 当時、読者人気の高かった全国から選ばれたレディース総長、副総長だけで構成された、まさに「ガチンコ不良ガールズグループ」だったわけですが、かおりさんもメンバーの1人に選ばれました。とにかく目立つことに飢えていた、有名になりたいという気持ちは人一倍だったと記憶しています。

 鬼風刃はその後2年で解散し、それぞれのメンバーが地元に戻っていくのですが、かおりさんだけは芸能界を諦められず、その道を目指すため上京することになるのです。

 編集部とかおりさんの関係は事実上そこで終わるのですが、数年後、彼女の結婚式で再会します。幸せそうな笑顔が印象的でした。それ以来、30年弱、彼女と会う機会はほとんどありませんでした。

かおりさんを苦しめた夫のDVや離婚…

 結婚後のかおりさんの人生は決して順風満帆ではなかったようです。夫のDVや離婚、シングルマザーでの子育て、子どもの非行など、さまざまな困難に悩みながら、必死に自分の居場所を求め続けていたことが、ある出来事をきっかけに明らかになります。

 それは一昨年のこと。現在、私が所属する出版社(大洋図書)で、動画チャンネルをスタートさせることになり、プロデューサーという立場で関わることになりました。

 チャンネル名は「ナックルズTV」。ダークサイド系のネタを扱う雑誌「実話ナックルズ」から派生したチャンネルで、その中にかつて私が編集長をしていた「ティーンズロード」の企画も入れることになったのです。そこで出演を依頼したのが、かおりさんでした。

 彼女は快く引き受けてくれて、30年ぶりの再会を果たしました。その溌剌とした様子は若い頃とまったく変わらず、一方で大人の魅力も兼ね揃える素敵な女性になっていました。

 30年ぶり、しかも人によっては過去の汚点にもなりかねない不良時代の話を掘り下げる企画です。私が「インタビューしても大丈夫?」と尋ねると、「昔の話は子どもたちにも話しているし、隠したってしょうがないじゃん。自分がやってきたことだからさ!」と相変わらず、さっぱりとした様子で承諾してくれて、インタビューに進むことに。

 そこで、離婚やDVなど、私が彼女と会うことのなかった空白の30年間の壮絶な人生を知るわけです。

 驚くべきは、それだけではありませんでした。彼女のインタビュー動画を配信したところ、再生数がみるみる増えて、配信1ヶ月70万回再生を達成。

 そこから派生した、かおりさんをリポーターにして改造車のイベントや取材を行う動画も軒並み10万回再生を超えました。そして最も驚いたのは、動画を短く再編集したショート動画がYouTubeとTikTokでともに400万回再生を達成したのです。

動画は2000万回再生、本も出版

 この異常な盛り上がりには、さすがに私を含めYouTube担当者たちも驚きを隠せませんでした。YouTubeは40~50代の視聴者もいるからまだわかる。でも、10代がメインのTikTokでなぜバズったのか……と頭をひねるほど。

 もしかすると、『東京リベンジャーズ』や『クローズZERO』といったヤンキー漫画がウケたように、今の10代には昭和のヤンキーの生き様やエピソードを面白がる土壌があるのかもしれません。

 最終的にSNSでの動画再生数は、2000万回を超えるだけじゃなく、今月13日にはかおりさんの人生を綴った『「いつ死んでもいい」本気(マジ)で思ってた…』を出すことができました。

 かつて不良少女だった女性の、純粋で、泥臭い、リアルな人生が世の中にどんな影響を与えるのか? 同じ時代を生き、彼女を間近に見てきた1人として、楽しみにしています。( 前編「万引きもタバコもやった少女時代」編 を読む)

(倉科 典仁/Webオリジナル(外部転載

 

 

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