60代のウクライナ避難民、神戸・有馬温泉で働く理由は? 母国に残した家族への愛、「支えてくれる日本で役立ちたい」

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有馬温泉の旅館「兆楽」で働くウクライナ避難民のヴィクトル・バギンスキーさん(左)とナタリア・グリゴローヴィッチさん=神戸市北区有馬町

 

 

 

 コロナ禍以前のにぎわいが戻ってきた神戸・有馬温泉の旅館で、2人のウクライナ避難民がこの春から働いている。ロシアの軍事侵攻を受け、日本に身を寄せた2人。いずれも60代半ばを超えながら、慣れない異国で働くわけは? 返ってきた答えは、今も母国に残る家族への愛。そして、受け入れてくれた神戸に恩返ししたいという気持ちだった。(安藤真子)

 

 

 

  【写真】翻訳機を使って日本人の同僚と会話するヴィクトル・バギンスキーさん 

 

 

 「銀水荘 兆楽」(神戸市北区有馬町)。

 

庭先でヴィクトル・バギンスキーさん(65)が落ち葉をかき集め、

客室ではナタリア・グリゴローヴィッチさん(68)が客を迎える準備に忙しい。

 

 

  避難民を支援するNPO法人「神戸定住外国人支援センター」(同市長田区)と

神戸市が、

「力になりたい」という兆楽の意向を知り、

働き口を探していた2人を紹介した。  

 

 

ヴィクトルさんは3月から勤務。

 

大工だった経験を生かし、

手すりなど施設内のちょっとした修理や、

景観管理、

清掃を任されている。

出勤は週4日ほどで、

日本人のスタッフとは翻訳機を使ってコミュニケーションを取る。  

 

 

家族と暮らしていたウクライナ中部の都市ジトーミルは、

爆撃によって大きな被害が出た。

25歳だったおいは戦地に赴き、命を落としたという。  

 

 

「本当は、祖国を守るため軍に入隊したかった」と話すヴィクトルさんだが、年齢や耳が聞こえにくいことを理由に断念。

日本のことは、娘が暮らしているという知人から自然の豊かなところだと教えてもらっていた。

 

「役に立たず、高齢者扱いされながらウクライナに残るより、日本に行こう」。

 

ポーランド経由で昨年6月に来日した。  

 

3人の娘がおり、

 

 

長女と

次女は

戦争前からロシアのシベリア地方に移り住んでいる。

 

ジトーミルに残る三女(18)とは

スマートフォンで連絡を取り合っているが、

「爆弾が飛んでいる」と聞くことも。娘の身を案じる日々が続く。  

 

「娘たちに少しでも仕送りがしたい」。

 

そう繰り返すヴィクトルさんに理由を尋ねると、

「三女は妊娠4カ月なんだ」。

胎児のエコー動画を少し自慢げに見せてくれた。  

孫の誕生を待ち望むヴィクトルさんの表情はしかし、

晴れない。赤ちゃんの父親であり、娘の婚約者でもある男性は戦場で負傷し、生死の間をさまよっているという。

 

「この先どうなるか分からない。僕ももう若くはないから、今のうちに少しでも稼いで娘を助けてやりたい」  

 

同じく3月から働くナタリアさんは、

皿洗いや客室の整頓を担う。

「同僚はみんな優しく、ずっとここで働きたい」と笑みを浮かべた。  

出身地である南部ヘルソン州は、

ロシアが侵攻後、一方的に併合を宣言した。

ピアノ教師をしていたナタリアさんは振り返る。

「朝起きたら、窓の外を戦車が走っていた」。

キーウで学生生活を送る孫を頼って逃げ、集合住宅の廊下で息を潜めて生活した。

 

 

  長女の夫は、戦時下では必要とされる医者で、

長女夫婦らはウクライナに残る決断をした。

 

 

ナタリアさんは次女とともにポーランド、

そしてアラブ首長国連邦へと渡り、

昨年12月、全く縁のない日本にたどり着いた。  

 

旅館で「おもてなし」の仕事についたのは偶然だが、

「私たちを温かく迎え、支えてくれる日本で何か役に立ちたかった」とナタリアさん。

 

「泣いてばかりではだめ。人間として自立したい」と前を向く。  

受け入れた兆楽も、翻訳機の配布など2人が働きやすい環境づくりに努める。

 

當谷有平常務取締役(37)は

「意欲ある人が来てくれてうれしい。これからも旅館としてできることを考えていきたい」と話した

 

 

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