人は、いつでも死ぬ可能性があるから…
小さな村を飛び出して、徒歩で7年かけて世界一周した男が見つけた「人生の本質」
Photo:© Marco Bottigelli / Getty Images
ガーディアン(英国)
Text by Simon Hattenstone
「生きる」とは何か。予期せぬ友人の死を受けて、人生について考えた1人の青年は、「今日を生きる」と決めて世界を歩く旅に出た
17歳のトム・ターシッチは、素晴らしい人生を送っていた。素敵な両親と友人たちに恵まれ、学業優秀で才能あるスポーツマンでもあった。それでも悩みのタネは2つあった。自分が極度の怖がり屋だと思っていたこと、そして「死」を恐れていたことだ。
幼い頃は、夜になると両親が息をしているかが心配でたまらず、階下に駆け下りては確認していた。11歳のときはベッドに横になって、死を疑似体験しようと試みた。心の準備をしておこうと思ったのだ。
そんな彼の人生が一変したのは2006年だった。当時のことは隅々まで覚えている。それは、友人のニック、ケヴィン、フィッツと車に乗っていたときのことだ。運転していたのはケヴィンで、車は彼の父親のコンバーチブル。彼らは当時、ニュージャージー州ハドンタウンシップの学校の1学年下の女子生徒らとよく遊んでいた。ケヴィンと付き合っていたシャノン、アン・マリー、アマンダ、そしてジェスだった。いずれも7歳の頃からの幼なじみで、切っても切れないほど仲が良かった
カーラジオの音量を目一杯上げてはしゃいでいたそのとき、ケヴィンの携帯にシャノンから電話がかかってきた。携帯を手にした彼はうろたえていた。
「ケヴィンはラジオの音楽を小さくするように叫ぶと、『アン・マリーが死んだ』と言ったんだ」
それは16歳のアン・マリー・リンチが、ジェットスキーで事故死したことを知らせる電話だった。彼らを乗せた車はシャノンの家に向かった。
「僕らは家の前の庭に座りこんでいた。10人くらいだったと思う。どうしていいのかわからなかった。その日の夜ベッドに横になると、霧に包まれたような感覚になったのを覚えている。その状態は、半年くらい続いたよ」
ターシッチは単に死を恐れたのではない。自分も、いつ死んでもおかしくないことを知ったのだ。だが、それがアン・マリーのような幼なじみの身に起こったとは、どうしても受け入れることができなかった
ターシッチは友を失っただけでなく、彼女の事故死によって生きる意味に疑問を抱き、死への恐れはますます強くなった。10代にして究極の「実存的危機」に陥ったのだ。
「そのときこう思ったんだ。『間違いなく僕よりも優秀で、人間としても秀でていたアン・マリーがあの若さで死ぬということがありえるのなら、同じことが僕にも起こりうる』とね。だからいっそう悶々とした。今まで解決できずにいた問題が一気に押し寄せてきた。そのとき、こう思った。『この問題を解決しなければ、自分の人生を歩むことはできない』、とね
問題とは何だったのだろうか?
「死はいつ訪れてもおかしくない。しかもそれは正当な理由もなく、一瞬で訪れる。死がそういうものだとわかったら、こう考えはじめたんだ。じゃあどう生きればいいのだろう? 何をしたらいいのだろう? この事実を自分の人生にどう活かせばよいのだろうか? って
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