数十億匹のガを食べに4000m級の山に登るクマたち、米国ロッキー山脈での奇妙な生態

配信

 

 

ナショナル ジオグラフィック日本版

ガの体脂肪率はなんと約75%、1日あたりなら4万匹をグリズリーが食べる

ハイイログマは、アーミーカットワームモスが多く集まる場所を探して山を登り、広い範囲を移動する。(PHOTOGRAPH BY STEVEN GNAM)

 

 

 

 

 米モンタナ州、グレイシャー国立公園の正午。私は、写真家であり登山家のスティーブン・ナム氏の後に続いて標高1500メートルの山頂を目指していた。すぐ目の前に迫った峰は、ゴロゴロとした岩石に覆われ、霧がかかっていた。

 

 

 

  ギャラリー:ガを食べに4000m級の山に登るクマたち 写真12点  

 

 

上へ行けば行くほど、ハイイログマの痕跡は増えていった。クマが石や砂利を掘り返してできた大きな窪みやフンの山。そして、霧に隠れて姿こそ見えないものの、実際にごそごそと地面を掘ったり、平たい石を放り投げているような音も聞こえてきた。  クマがこれほど高い山の上まで登ってくるのには訳がある。彼らのお目当ては、数千キロの距離を渡ってこの山へ飛来するガの大群だ。そのガはアーミーカットワームモス(Euxoa auxiliaris)と呼ばれるヤガ科の仲間で、体長約4センチ、銀色がかった体をしている。  毎年夏になると、平原地帯の暑さを逃れ、高山植物を求めて、数十億匹ものアーミーカットワームモスがロッキー山脈北部にやってくる。昼間は石の下で休み、夜になると出てきて、花の蜜を吸う。たっぷりと蜜を吸ったガの体は膨張し、体脂肪率が75%以上になる。ハイイログマは、この丸々と太ったガを狙って標高4000メートル級の山にも登るのだ。そして、小さな石をかき分けてその下に隠れているガを探す。クマは、1日数万匹ものガを食べるという。 「小さなガと、それを食べるために高い山を登る大きなクマという、なんとも奇妙な組み合わせです」。そう話すエリック・ピーターソン氏は、ワシントン州立大学の大学院生としてグレイシャー国立公園で研究を行い、アーミーカットワームモスとハイイログマの両方が集まる地点をかつてないほど詳細に描き入れた地図を製作した。  とはいえ、年々登山者が増えるなか、土地管理者は悩ましい問題に直面している。生物学者のエリカ・ナンリスト氏は、モンタナ州立大学の大学院在学中に同じロッキー山系のイエローストーン国立公園の東端にあるアブサロカ山脈で修士論文のための研究を行い、ガが多く集まるある地点を調査したところ、人が近づくと80%の確率でクマが逃げてしまうことを明らかにした。これでは、カロリーをたくさん取る必要がある冬眠前の大切な時期に、重要な食料源にアクセスすることができない。 「ここのように、人が住んでいる場所から遠く離れたところで、クマが安心して食べられるようにしてやらなければなりません」とピーターソン氏は言うが、登山者がやってくるのは避けられない。そして、そこには危険も潜んでいる。2022年6月、登山経験が豊富なバリー・オルソン氏が、近くの山の頂上でハイイログマに襲われ、もう少しで命を落とすところだった。しかし、ガを食べるクマに関連した死亡事故は今のところ報告されていない。また一般的にクマは、「驚くほど人間に対して寛容で、友好的です」と、ピーターソン氏は言う。  2023年1月、米国魚類野生生物局は、絶滅危惧種法(ESA)に基づくハイイログマの連邦保護指定を解除する検討をしていると発表した。もし実際に解除されれば、モンタナ州、ワイオミング州、アイダホ州で狩猟が解禁される可能性がある。  しかし、ロッキー山脈北部へ飛来するアーミーカットワームモスと、それを食べにやってくるハイイログマの習性については、まだ理解されていないことが多い。このままハイイログマの狩猟が解禁になれば、この2種の生き物の未来はどうなってしまうのだろうか

 

 

 

 

ガはカロリー豊富な食料源

 ヒグマの一種であるハイイログマ(Ursus arctos horribilis)は、かつて米国西部からメキシコ北部にかけての広い地域に数多く生息していた。ところが、銃で殺されたり罠にかかったりして、1900年代半ばにはロッキー山脈北部にわずかに残るのみとなり、ついに1975年、米国で絶滅危惧種に指定された。  それ以来数は回復し、今では米国本土に約2000頭が生息していると考えられている。それらは遺伝的に独立した2つの群れに分かれ、1つはグレイシャー国立公園、もう1つはイエローストーン国立公園とその周辺地域を中心に生き残っている。クマたちは回復力や順応性が高く、様々なエサを食べる。イエローストーンで行われたある調査では、175種もの植物と80種の動物を食べていることがわかった。  なかでも、北米西部の広い範囲に分布するアーミーカットワームモスほどカロリーが詰まったエサはない。春になると、その幼虫は土のなかから現れ、農作物を含むあらゆる若葉を食い荒らす。  数週間たつと、幼虫は繭(まゆ)を作り、ガに成長する。その後群れをなして山に向かうが、時には民家の明かりに引き寄せられて、家のなかやガレージの電灯に大群で押し寄せることがある。  モンタナ州立大学の大学院生で生物学者のクレア・ディテモア氏らの研究によると、この幼虫の多くは、肥料を与えた農作物ではなく、野生の植物や雑草を食べているという。しかも、侵略的外来種の草も食べてくれる。2003年には、ネバダ州北部で2850平方キロメートルが食べつくされた記録がある。つまり、アーミーカットワームモスは単に農作物の害虫というだけではなく、生態系の重要な一部でもあるということだ。  ディテモア氏の研究ではさらに、ほとんどのアーミーカットワームモスがカナダの広い地域から飛来していることも確認された。現在イエローストーン国立公園の研究者であるヒラリー・ロビンソン氏が過去に行った研究は、アーミーカットワームモスはどの山地へ移動するかを無作為に選んでおり、同じ場所に戻ってくるわけではないことを示している。場所にこだわらずに移動し、広範囲に分布しているため、どこか一カ所の環境が劣化しても種としての生存が脅かされる可能性が低くなるのだろうと、ディテモア氏は考える。とはいえ、予測が困難な影響を広範囲にもたらす恐れのある気候変動が、ガの移動にとって脅威であることに変わりはない。  同時に、ほかの食料源が減り、ハイイログマはこれまで以上にアーミーカットワームモスを必要としていると考えられる。例えば、マツの一種であるアメリカシロゴヨウの実はハイイログマの好物の一つだが、ロッキー山脈北部のアメリカシロゴヨウは、五葉松類発疹さび病に感染して、過去100年間で最大90%が消滅した。他にも、イエローストーンでハイイログマの重要な食料源になっているニジマスの近縁種カットスロートトラウトも、1990年代以降、外来種であるレイクトラウトとの生存競争により著しく減っている。  ディテモア氏の研究チームは、飛来するガを追跡するために可動式のレーダーを設置し、調査を行った。その結果、夏の5日間にアブサロカ山脈の一つの峠にやってきたガは最大500万匹にのぼると推定した。  イエローストーン国立公園とその周辺地域で、アーミーカットワームモスとハイイログマが集まる場所は、これまでに30カ所以上特定されている。そのなかには、3分の1以上のクマがガを食べていると思われる場所もある。  初秋に、高山植物が種をつけ始めると、ガは繁殖のために平原地帯へ戻り、緩んだ土に卵を産む。卵はやがて幼虫になり、春が来るまで土のなかで過ごす。  ハイイログマがいつ頃からガを食べていたのかは定かではない。イエローストーンで初めてこの行動が報告されたのは、1950年代のことだった。しかし、科学的調査は1980年代になるまで行われなかった。同じころ、グレイシャー国立公園の南に位置するミッション山脈のマクドナルド峰でも、ガを食べているクマが目撃された。マクドナルド峰は、アメリカ先住民族であるセイリッシュ・クーテナイ部族連合が所有するフラットヘッド居留地のなかにある

 

 

 

 

ガのいる山にクマは登る

 1990年代、先駆的な科学者であるドン・ホワイト・ジュニア氏は、この近くでクマが1日に4万匹のガを食べていることを発見した。また、人間に怯えると、ガから摂取するカロリーが大きく減ることにも気づいた。現在ピーターソン氏が進めている研究でも、グレイシャー公園内でガが多く集まる石の斜面の70%に、ハイイログマもやってきていることが明らかになった。ヘリコプターによる空からの調査でも、それまでクマが立ち入っていることが知られていなかった場所でガを食べているクマが観察されている。  私たちが登ったグレイシャー国立公園の頂上は、ガが集まる場所のなかでも特に登山者がよく訪れる場所の一つで、クマもある程度人間に慣れている。しかし、だからといって人間が全く気にならないというわけではない。 「人気の登山道ですので、私たちとしてもどう対処すればいいのか頭を悩ませています」と、グレイシャー国立公園の生物学者ジョン・ウォーラー氏は言う。「近いうちに立ち入りを制限しなければならなくなるでしょう」  フラットヘッド居留地では、7月から10月半ばまでマクドナルド峰への立ち入りを制限している。セイリッシュ・クーテナイ部族連合の野生生物学者であるカリ・キンジェリー氏によると、1980年代から続くこの措置を緩和する予定はないという。

 

 

 

 

 

人間より先にクマの土地だった

 別の生態系のなかでハイイログマを見るために、私たちは、グレイシャー国立公園から車で9時間離れたアブサロカ山脈へ向かった。標高約4000メートルのある山頂には、比較的多くの登山者が訪れる。そして、そこにはもちろんクマもやってくる。  頂上までの険しい道を行くには、車高の高い四輪駆動車が必要だ。標高3400メートルの地点で、あたり一帯を見渡せる開けた場所があり、そこでナム氏と私は4日間キャンプをした。  窪んだ道を徒歩で登っていたとき、地形の関係ですぐそばに巨大なオスのクマがいることに気付かなかった。その姿が目に入ったときには、私たちはわずか70メートルの距離まで近づいていた。眠たそうに地面に横たわっていたクマの耳が、人間のにおいを嗅ぎつけてぴんと立った。 「私たちのことはあまり気にしていないよ、と言っているんです。立ち止まらずに進んだ方がいいでしょう」と、ナム氏は言った。さらに少し登った雪原で、水をろ過した。クマの体毛やフンが、いたるところに散らばっていた。ここは既に、クマの領域なのだとはっきりと感じた。  だんだんと、高度が体にこたえるようになってきた。脳が凍り付くような感覚に襲われ、それはやがて頭痛に変わっていった。しかし、頂上からの眺めはそれまでの苦労に十分報いるものだった。イエローストーンを一望し、その向こうにティートン山脈が広がっていた。西側に目をやると、すぐ下に2頭のハイイログマが見えた。1頭は昼寝をしていて、もう1頭は地面をほじくり返してガを探していた。  頂上にいる間、数十頭のクマを目撃した。ほとんどは遠くにいて、ガを探していた。数頭は、私たちが近づくとにおいを察知したり、姿を捉えて逃げて行った。  この土地は「人間よりも先にクマのものだった。先住民は、昔からそう信じています」とのキンジェリー氏の言葉を思い出した。ここにいると、確かにその通りだと実感する。 「ですから、ハイイログマを尊重し、彼らに対して敬意を払い、平和に共存することが大切なのです」。それが彼らのためでもあり、自分たちのためでもある。

文=DOUGLAS MAIN/訳=ルーバー荒井ハンナ

 

 

 

 

 

数十億匹のガを食べに4000m級の山に登るクマたち、米国ロッキー山脈での奇妙な生態(ナショナル ジオグラフィック日本版) - Yahoo!ニュース