ヌートバーの両親が来日 母・久美子さん日本のファンに感動「何てみんな優しいんだと」
来日したヌートバーの両親(父・チャーリーさんと母・久美子さん)
侍ジャパンのムードメーカーになっているヌートバーの両親が、9日の中国戦を前に来日した。
米国を発つ前に連絡を取ったという母・久美子さん(57)は
「早く生で試合が見たいですね」と待ち切れない様子。
父・チャーリーさん(56)も
「試合を見るのが楽しみ。少しナーバスになっているけど、興奮しているよ。チームメートやスタッフに受け入れられてうれしいですね」と話した。
ヌートバーが2試合出場した強化試合は現地時間の夜中で見られなかったが、
久美子さんは「朝起きたらラインが200個くらいバババッと。友達とかが実況中継してくれていた」と活躍はチェック済み。
日本で人気者になっていることを伝え聞くと
「そうなんですか?最初はどうなんだろうなと思ったんですけど、(日本に)着いたときに、みんなでたっちゃんTシャツ着てくれていて、エーと思って、凄い感動しちゃって、何てみんな優しいんだと。
本人ともよく話すんですけど、みんないい人で優しくしてくださってと言っています」と感謝した。
この日ヌートバーは今永昇太投手(29=DeNA)とともに前日会見に出席し、
「私にとってスーパーエキサイティングです。素晴らしい機会をいただいた。ここまでの道のりは非常に長いものだったが、準備ができたし、明日の開幕戦が楽しみでなりません」とコメント。そして日系選手として初めて侍ジャパンの一員として戦うことに「夢はかなうんだなと…明日プレーすれば、私と家族の夢がかなう瞬間になる。こんなに大きな喜びはないし、私を受け入れてくれた方々に感謝したい」と話した
ヌートバーの両親が来日 母・久美子さん日本のファンに感動「何てみんな優しいんだと」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
遊びに来る度「帰りたくない」と泣いたヌートバー、祖父「野球で日米の絆深めて」
野球の日本代表が9日夜、国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)の初戦を迎える。世界一に挑む「侍ジャパン」に新風を吹き込むのが、大リーグで活躍するラーズ・ヌートバー選手(25)。日系人選手として初めて代表入りを果たし、家族は「日米の球界の橋渡し役に」と期待する。
(小川朝煕)
「侍ジャパン」初戦へ…東京ドーム周辺ではグッズ買い求めファン行列
ヌートバー選手は、米国人の父、チャーリーさん(56)と埼玉県東松山市出身の母、久美子さん(57)の次男で、ロサンゼルス近郊で生まれ育った。日本語はほとんど話せないが、箸を使って納豆やみそ汁を食べる。好物はギョーザだ。

野球経験がある父や兄の影響で競技を始めたのは、5歳の頃だった。学校から帰ると庭に飛び出し、高校までソフトボール選手だった母を相手に打撃練習。自宅の駐車場の壁に向かってボールを投げ続けた。
日の丸を背負うのは今大会が初めてだが、10歳で米国の地元選抜チームの一員になった時には、こう自己紹介して母を驚かせた。「僕は日本人です。日本を代表してここにいます」
久美子さんは「私が日本人だから、自分もそうだと思っていたのかもしれない。あの時は、まさか本当に日本代表になるなんて思いもしなかった」と笑う
高校まではアメリカンフットボールとの「二刀流」で活躍し、アメフトでも複数の大学から誘われたヌートバー選手。進学後は野球に専念し、
大リーグのカージナルスに入団した。
右投げ左打ちの走攻守そろった外野手で、
昨季は14本塁打を放っている。
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母が日本人であることから、WBCの出場資格を得たヌートバー選手は、日本代表に名を連ねた初の日系選手となった。ミドルネームは「テイラー・タツジ」で、祖父の榎田達治さん(84)の名が由来だ。試合で使うグラブにはローマ字で「Tatsuji」と縫い取っている。
チームに合流すると、仲間たちは練習で「たっちゃん」と書かれたTシャツを着用。ミドルネームにちなんだ歓迎の計らいに、ヌートバー選手は大喜びした。
東松山市に住む達治さんは幼い頃、遊びに来る度に「帰りたくない」と泣いた孫の姿が忘れられない。「ラーズ君が日の丸のユニホームを着ることを誇らしく思う。ホームランをたくさん打ち、侍ジャパンの優勝に貢献してほしいね。野球で日米の絆を深める役割を担ってくれればうれしい」と活躍を願った。
元球児をホストファミリーとして受け入れ

ヌートバー選手と面識のある元高校球児たちもエールを送る。
2006年、その年の夏の甲子園を沸かせた田中将大選手(34)(現東北楽天ゴールデンイーグルス)ら高校全日本選抜が米国に遠征した際、ヌートバー家はホストファミリーとして、選手たちを受け入れた。
泊まったのは船橋悠さん(34)と塩沢佑太さん(34)。8歳のヌートバー選手と海で遊び、一緒に素振りをした。ヌートバー選手は試合前後の練習にも参加し、ほかの球児たちからもかわいがられていたという
現在、東京ガスで働いている塩沢さんは「やんちゃで明るい子だった。英語ができない自分にも遠慮なく話しかけてきた」と振り返り、人材会社を起業した船橋さんも「愛想が良くて、人の懐に飛び込むのがうまかった」と懐かしむ。
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日本の球児が帽子のつばを深く曲げてかぶっているのを見て、まねするようになったヌートバー選手。あどけなかった少年は
身長1メートル91、体重95キロ
に成長し、世界一奪還を目指す侍ジャパンに名を連ねた。
船橋さんは今でも、ヌートバー選手からもらった手紙を大切に保管している。米国遠征から帰国後、アルバムとともに届いた。そこには、英語でこう記されていた。「また会える日を楽しみにしています」
船橋さんは「米国代表ではなく、あの時の僕らと同じ日本代表になったことに不思議な縁を感じる。当時のメンバーが、みんな応援していることを知ってほしい」と話した
遊びに来る度「帰りたくない」と泣いたヌートバー、祖父「野球で日米の絆深めて」 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)