脳科学者・中野信子が「女の魅力と才能は両立しない」という研究結果に思うこと
日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中116位。教育や医療部門ではそれぞれ1位と63位という高順位なのだが、足を引っ張っているのが139位の政治部門、121位の経済部門。つまり、「女性が教育を受けられているけれど活躍できていない国」ということになる
それはどうしてなのだろう。 差別、誹謗中傷、ポジティブ、ネガティブ、うつ、ジェンダー……様々な切り口から、自身の体験と合わせて「脳の暗部」を浮かび上がらせている一冊が、中野信子さんの『脳の闇』だ。本書より抜粋掲載する2回目は、第7章「女であること」より、女性に対するステレオタイプな思考はなにゆえにはびこるのか。そして「ステレオタイプ脅威」とは何か。前編では1979年の驚きの研究結果から分析していく。
女性に対するステレオタイプ脅威
1979年にコロンビア大学ビジネススクールのヘイルマンとサルワタリが行った調査で、外見の良さは女性が高給の事務職で雇用される場合には有利に働くが、管理職として雇用される場合には不利になるということが明らかにされた。 さらにこれに続く研究では、美しい女性はコミュニケーション能力が必要とされる職種では高く評価されるものの、それ以外の職種、例えば決断力を必要とし、強いプレッシャーが掛かっている中、高い指導力を発揮して難局を切り抜けていく、だとか、高度な知識を駆使して独自の研究を進め、見解を発表していく、などといった職種では、むしろ低評価となるということがわかった。 つまり、「女の魅力」と「才能」とは両立しないと思われているというわけだ。
女らしさを捨てることが出世のため必要?
確かに、私の見方が一般的かどうかはさておき(実験では逆のことが示されていたりもする)、「イケメン」であるとどうしても、その才能よりもなんとなく「頭の悪そうなイメージ」の方が先に意識されてしまうような感はなくもない。 しかし、男性側は女性に対して持っているその無自覚の偏見に対してあまりにもナイーブで、そうしたずれたパラダイムの中に自分がいることすら気づいていないような節がある。 この研究をしたグループは、「残念ながら、女性が組織のコアメンバーとして出世していくためには、できるだけ自分を『女性としての魅力に乏しく』『男性的に』見せかける必要がある」と述べている。無論、自分の女らしさを捨てることが組織で出世していくための必要条件になるなど、あってはならないことなのだが、という補足付きではあるけれど。 ただ、「女の魅力」があることで、美しい女性はより得をしている、と考える人は多数派だろう。「美人はそうでない人よりも生涯年収が何千万も高い」という主張をする人もいる。しかし、実際のところはどうなのだろうか?
美人は平均的な女性よりも損をしてしまうことがある
問題はそうクリアカットではない。複数の研究が、女性では容姿の良さがマイナスに働き、美人は平均的な女性よりも損をしてしまうことがあるとしている。 外見が良いことで性的類型化が起こりやすくなり、このことは男性では確かに有利に働く。男性で性的類型化が起これば「男性的」=力強く、職務遂行能力が高く、決断力がある、などとみなされる。これらの資質は、仕事上の評価には有利に働く。 一方、女性はそうではない。「女性的」=消極的であり、堂々としておらず、意欲や決断力に欠け、セクシーすぎる、とみなされてしまう。あるいは、そうであるべきだと暗黙の圧力が異性からばかりでなく同性からも加えられる。そのステレオタイプに当てはまらない、容姿に優れた女性がいたとすると、性格が悪いだの結婚しないだの子どもをつくらないだのと攻撃され、いつの間にかステレオタイプ的に振る舞うように社会が彼女を「洗脳」していく。これをステレオタイプ脅威という。 美人は他の人よりも、人間ではなく記号やモノとして扱われる傾向が強くなる。すると、部下や一兵卒としては良くても、管理職やビジネスパートナーとして適任であるとは思われにくい。
女に真っ向から向き合い、しんどさと格闘している人
女として生まれたことに真っ向から向き合い、そのしんどさと格闘している感のある人として私がいつも想起してしまうのは、田中みな実さんのことだ。 アナウンサーとしての技量、時には自虐的にも振る舞える柔軟さを備えた場の収め方、また新しい挑戦としての女優業も「怪演」と声が上がるほどに評価されており、30代に入ってから写真集にも挑むという中できっちりと身体を仕上げ、魅せる仕掛けにこれでもかと真剣そのもので取り組む様子は、その姿それ自体が生きるアートのようだ。
女は頑張っている女のことが好きだ、ということをきちんと踏まえた上で、その努力のプロセス一つさえ無駄にしない。潔く、度胸のある人で、もう圧巻である。自分をここまで表現し切るというのは、なかなかできるものではない。
中野 信子(脳科学者
脳科学者・中野信子が「女の魅力と才能は両立しない」という研究結果に思うこと(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
差別、誹謗中傷、ポジティブ、ネガティブ、うつ、ジェンダー……様々な切り口から、自身の体験と合わせて「脳の暗部」を浮かび上がらせている一冊が、中野信子さんの『脳の闇』だ。本書より抜粋掲載する2回目は、第7章「女であること」より、ジェンダー差の意識について伝えている
田中みな実さんと話した「女子アナの出口戦略」
実は以前、彼女と話す機会があり、かなり突っ込んだ話もした。ざっくりいうと、女子アナの出口戦略、といったような内容と言えば概ね正しいだろう。
仕事と家庭の両立、というのはそれぞれのスタイルがあり正解がない。家庭を持つことが良いとも悪いとも言い難い時代だ。もちろん家庭を持つことの喜びを味わいたいという気持ちはごく自然なもので、彼女にもその願望がある。
ただ、これは望ましい結末を得るのに、一人で努力できる要素以外の因子の占める割合が大き過ぎる。この点が、一般的に結婚と家庭生活に関わる諸問題をややこしくしている。自分の努力または工夫だけで何とかなる課題は、ある意味やさしい。コントロールするのは自分一人で済むからだ。
しかし相手がある問題はそうはいかない。自分一人をかなりの精度でコントロールできる、思考の腕力とでも言うべき力の強い人なら、よりその「ままならなさ」に疲弊させられてしまうだろう。家族や恋人と言っても他人であり、どれほど愛して信頼していても、別の意思決定機構を持った個人なのだ
フェイルセーフの女子アナ戦略
克己心にあふれ、努力できる人であればあるほど、誰かと一緒に生きていくのは骨が折れるはずだ。女性側がそうしたパーソナリティを持っているなら、どう見積もっても自分ほどは頑張れない、能力に劣る男たちをどう扱うか思い悩む。そんなパターンをかなりの数見てきたように思う。
男側は男側で、優位に立っていなければ足元が基礎から揺らぐような不安に駆られるものだろうし、女には勝てないと口では言っていても本当に勝てないとなった場合に見せるプリミティブな暴力性や自尊感情の際限ない毀損を抑制するのも難しいだろう。
才能と美貌という武器があれば有利に物事を運ぶことができるのか……というと、女の場合はむしろ、ハンディキャップになってしまうことすらある。いろいろな人を見てきてそう思うが、田中みな実さんという女性は見事にこれを自分の弱点として捉え発信することで、多くのファンの心を掴んだ。
彼女は仕事よりも家庭に生きたいと言う。これほどよくできる人であれば、それはより困難な課題への挑戦だろうと思う。ただ、柔軟に適応戦略を変えられる、みな実さんくらい器用で頭の良い人であれば、もしかしたらうまくこなすことができるのかもしれない。仮にうまくいかずとも、またそれを上手に活かして次の戦略につなげていくことができるとすれば、実によく考えられたフェイルセーフの一手ともいえる
銃と男とテストステロン
銃を手にするだけで、男性の唾液中のテストステロン濃度が100倍にも上昇するということが米国の研究者の実験で示されている。テストステロンは改めて説明するまでもないだろうが、男性ホルモンの一種であり、性欲や攻撃性や意欲を高めるという性質を持っている。
この代謝産物であるジヒドロテストステロンは頭髪の毛根に作用するようで、男性の薄毛の原因になると言われている。南欧などで頭髪の薄い男性がセクシーだと女性たちからプラスの評価を与えられることがあるが、男性としての夜の能力の高さがその頭髪の薄さから見込めるので、ということらしい。
テストステロンは、アルファベットではtestosteroneと書く。ラテン語で睾丸のことをtestisといい、その睾丸で作られるステロイドホルモン、ということでこうした命名がされているのである。
このホルモンは銃を持つ以外にも、筋力トレーニングや闘争状態、ステディでない相手との性行動、いわゆる不倫などによっても分泌が促される。興味深い例では、高級スポーツカーに乗ると濃度が上昇する、というデータもある。ファミリーセダンでは上昇しづらいというのがまた面白い。
私たちが普段目にしているのは、かつてヒトが生き延びるために身につけてきた性質の名残が断片化されたものである。都市生活をしている限りにおいては、人間関係の基本にある骨格が浮き彫りにされる事態に出会うことはあまりない。
もしもそんな場面に出会ったとしたら、特に暴力や性差といった側面が見え隠れするようなシーンだったとしたら、多くの人はそれに強い嫌悪感と興味とを同時に示す(メディアは経験的にこの性質を利用してビジネスをしている
「テストロテンが出る現場」で起こりうること
女であれば誰でも、少なくとも一度や二度は、女であることそのもののせいで嫌な目に遭ったことがあるはずだ。
銃を手にする男が多くいる現場に行き合わせたとしたら、女性は、まずは自分が否応なく女であるという事実に耐えなければならないだろう。女であるということから来る、あからさまな好奇の視線、差別以前の、モノ扱いされる感覚、視姦してくるかのようなしつこい視線。少なくとも、お説教をする快楽を搾取されているのは女側がほとんどだろうと思う。これに抵抗すれば生意気だ、といわれ、女のくせに子どもを産まないのか、結婚をしないのか、旦那の仕事は、などと男の負け惜しみが始まるわけだ。
もちろんテストステロンが出る環境では、男同士の妬み合い、口撃、足の引っ張り合いも生じやすい。それを蚊帳の外から観察するのも面白いものだ。接待ハンティングのような場面ではこうしたシーンが多くあって、お好きな人は黒い楽しみを存分に味わえるかもしれない。
とはいえ女には、男から投げられてくる面倒な視線を誘導してうまく処理するスキルが要る。こうした独特の気配が濃厚に感じられる環境では、それを避ける力と知恵も必要だが、ここで勝ち上がろうとするなら、あえてこれを利用して、自分を有利な立場にもっていく工夫も求められてくる。
女には二つの選択肢がある。女であることを感じさせないように生きる回避的な方法と、テストステロンが充満している男たちの、女への視線を利用する戦略。
私も強い印象のアッシュブロンドにしている髪を、自然な黒に染め戻し、もうすこし長く伸ばして、場合によっては網タイツを穿いたりしたほうがいいんだろうか、という気分になる日もないではない。もちろん、これが女としてというよりも、自分の承認欲求の根深さからくる思いであることは、反省込みで自覚している。
まあ、こんな心の軋みを感じさせてくれる環境が、私はそう嫌いではない。生きるということは、軋みを慈しみながら日々を過ごしていくことだろうから。