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ハーバード大やMITの学生が殺到 元お笑い芸人のラーメン店、「絶対無理」の逆風はね返す

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移住から1年、貯金はゼロに… 道なき道切り開く苦労

ボストンで行列ラーメン店を作った西岡津世志さん【写真:夢を語れ提供】

 

 

 

 

 米国ボストンにラーメン店を出し、名門大学の学生を魅了している元お笑い芸人がいる。株式会社夢を語れ代表の西岡津世志さん(43)は高校卒業後、お笑いトリオを組んで約4年間活動。二郎系ラーメンに衝撃を受け、ラーメン業界の門をたたいた。海外1号店となるボストン店「Yume Wo Katare」は、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生が殺到する人気店。難しいといわれる外国への出店で、西岡さんはなぜ成功を収めることができたのか。(取材・文=水沼一夫) 

 

 

【写真】ボストンのラーメン店にできる大行列…不可能と言われた二郎系ラーメンで“常識”打ち破った  

 

 

西岡さんは2006年、京都に自身の店を出店。

 

そして、12年にボストンにラーメン店をオープンした。  

 

 

挑戦を続けることが信条で、安住の地を求めない性格。

 

国内に展開する店舗は23店舗だが、

 

直営ではなく、

 

自身のもとで1年間修業することで国内に出店の権利を与えている。

 

店主には3年経過をメドに、

 

店をたたむ「卒業」か、

 

屋号を変えて再出発する条件を課している。

 

モチベーションを高く維持してもらう狙いがある。  

 

海外に挑戦したのは必然だったのかもしれない。

 

 「出す店が全部行列店になっていく中で、全国にラーメン屋を作って行列店を作るということだけではお金は手に入ってもやりがいは感じなくなっていたんです。

自分が無理だって思うようなレベルの夢を追いかけないとワクワクしない。

 

 

じゃあ

無理だと思うような夢って何かなと思ったときに、海外だった

んですよね」

 

 

  海外=米国という漠然とした思いがあった。

出店にあたり、最初に向かったのはハワイだった。 

「ハワイに行ってみたら、ワクワクしなかったんですよ。それで世界中でラーメン店を展開されている熊本の味千ラーメンさんの社長さんに会いに行って、

『僕、海外でやりたいと思ってハワイを見てきたんですけど、ピンとこなかったんです。どこでやるのがいいですかね?』と相談させてもらったら、

 

『会社でやるなら中国は面白いけど、

トップ自ら挑戦するなら世界の中心でやったら』

と言われたんです。

 

 

僕はゾクゾクとして、

『世界の中心でどこですか?』と聞いたら、

ニューヨークだと思うよ』と言われたんですよ」 

 思い立ったら行動。

 

ニューヨークを訪れた西岡さんだったが、街を歩くと到着までの興奮は消えていた。

 

 「泊まったゲストハウスで他の宿泊者の方たちに相談したんです。『僕は日本では京都で店をやっていて、学生さんがたくさんいるんです。ニューヨークに来たんですけど、何か違うんですよね。

 

学生さんがたくさんいる街ってないですかね?

 

と尋ねたら、『それはボストンですね』とその場にいた全員に言われたんですよ」  

 

話を聞いているうちに興味がわいた。 

「ボストンは近隣エリアを合わせると大学が100校以上あるって教えてもらって、

ところで『ボストンはどこにあるんですか』と聞いたら、

ニューヨークからバスで行けるレベルで近かったので、次の日ボストンに行きました」  到着すると、ニューヨークで失った高揚感が再び全身を駆け巡った。 「街に降りた途端に、チャールズリバーというきれいな川が流れていて、ほとりを若い子たちがランニングしていてというのを見て、

 

もう鳥肌が立ってここやって決めました

 

  当時、ボストンでラーメンは浸透しているとは言えない状況だった。

 

「ラーメンだけのお店は1、2軒あったぐらいですね」。

 

可能性を感じ、11年11月にボストンに移住。

 

明けて12年の3月には家族も呼んだ。

 

しかし、思うようにはいかなかった。 

 

「物件探しも大変だったし、

 

工事がまた大変で、全然前に進まない。

 

もう本当にザ・アメリカみたいな感じで、

全然工事の人が来ないなーと思っていたら勝手に夏休みとってて、

1か月ぐらい工事が止まったりとか普通にあったりで」  

 

スケジュール通りに動く日本とは何もかもが違った。

 

洗礼を受けた西岡さんは

出店までに生活費も含めて3000万ぐらいかかりました

 

オープンの数日前には自分が持っていたお金はほぼ全てなくなりました

と貯金を使い果たした。 

 

 

「工事期間中は家賃もかかるし、

 

店舗物件の権利取得にもめっちゃお金かかったし、

 

工事が追加、追加、追加みたいな感じでお金がどんどん出ていって。

 

最後に100万円の追加工事があったんですが、やるかやらないかという選択があって、それをやらないとオープンできない。

 

でも、やれば確実にオープンできるというのが分かって、

開店にこぎつけられたけど、持ち金すっからかんになったという感じです

 

 

訪れた最大危機 客が半分に激減… そのとき西岡さんは?

「Yume Wo Katare」では実際に夢を語ることができる【写真:夢を語れ提供】

 

 

 

 並みの経営者なら、将来に不安がよぎってもおかしくない。だが、ブレることはなかった。「1年間、出店に時間がかかったじゃないですか。その間、ボストン中のいろんな人に会って夢を語り倒していたので出店するときには僕がラーメン屋を開くことを知らない日本人はいないぐらいになっていたんですよ」。エネルギッシュな西岡さんの真骨頂だ。「店を開けてしまえば絶対にお客さんは呼べるという自信はありました。“ゼロ”は絶対ないじゃないですか」  メニューは日本と全く同じ二郎系のラーメンだった。濃厚な豚骨スープで背油やにんにくもたっぷり。とにかくすさまじいボリュームを誇る。 

 

「ボストンのレストランの日本人の経営者たちから

 

『こんな脂っこいラーメン絶対無理だ』と言われました。

 

『アメリカ人は食べない』と。

 

 

でも、おかげさまで最初からすごくお客さんが来てくれて、オープン2か月後ぐらいに忘年会をその方たちと一緒にさせてもらったときに、みんなが頭を下げてくれました。『あのときは偉そうに言ってすみませんでした』って。ボストンの経営者の大先輩たちなんですが、そういうところも含めて今でも尊敬と感謝しかないです。彼らが応援してくれたおかげで初日からたくさんのお客さんに来ていただけたので」  

 

 

オープン1年目の冬、

外気温マイナス20度の日でも

2時間待ちという大行列店になり、

2年目も伸び続けた。

 

 

そして、日本では挑戦できなかったことをボストンで始める。

客に夢を語ってもらうというシステムだ。

 

かつてお笑い芸人だった西岡さんは、

相方の自死に直面。

 

「夢を語れ」という屋号には、一人一人の客に前向きに生きてほしいという願いが込められていた。 

 

「朝礼中も営業中も営業終了後もスタッフやお客さんにいつも夢を語っていたんです。『いつかこの店をお客さんがみんなの前で夢を語る店にしたい』って。そしたら、ある日スタッフの1人が友達と食べに来てくれて、ラーメンを食べ終わった後にお客さんの前で話し始めたんです。

 

『みなさん、この店の名前、Yume Wo Katareの意味を知っていますか? 

店主のツヨシさんの夢はこの店をみんなが夢を語る店にすることなんです』と店名の説明や僕の夢を伝えてくれて、そして彼の夢も語ってくれたんです。

 

そしたら店内のお客さんがみんな思いきり拍手して『good joooooob』と祝福してくれたんです。

最高に気持ちよかったのと、そう、これこれ、こんな店を作りたかったんやってイメージしていたものが目の前で実現したんです。

 

それから毎日、来るお客さん全員に夢を語ってもらったんです」  

 

数か月後……、行列は途切れた。

 

客は半分になった。

 

原因は夢を語ってもらうことにあった。

 

「スタッフたちから、もうさすがにこれだけお客さん減ったので夢を語ってもらうのやめませんか、みたいなことになりました。でも僕がやりたいのはラーメン屋じゃなくて、夢を語ってもらうお店がやりたい。だから、やめることはないと伝えました」

 

 西岡さんは立て直すために熟考した。

 

一つの答えが出た。

 

「夢を語りたい店じゃなくて、語らないといけない店を作っていた。だからお客さんが離れたんだ

 

 

 

 

地元紙が称賛 「彼はドリームファクトリーをやっているんだ」

地元紙が絶賛「彼はドリームファクトリーをやっているんだ」【写真:夢を語れ提供】

 

 

 

 

 夢を語るのが義務のような雰囲気を改めた。

 

 

 「マクドナルドみたいな感じで最初に注文を受けるんですけど、ラーメン食べた帰りについでに夢語っていきますかみたいなことを聞いて、『いや、いいです』と言われたら、『はい、分かりました。もし他のお客さんで夢を語る方がいましたらそのときは全力で聞いて応援してあげてください』とだけ言って席に案内するんですね。

 

夢を語りたい人には『I have a dream』の札を渡して席に持っていってもらう。

 

 

その札を持っている人が食べ終わったときだけ、『今から彼が夢を語るのでみんな聞いてくださいね』と言って、聞いてもらうスタイルにしました」  夢は語りたい人だけ語る。

 

 

店は再び行列を取り戻した。

 

 

今や「夢を語る」人も8割という理想の店になった。

 

 

西岡さんは地元紙「ボストン・グローブ」にも複数回取り上げられるなど話題の人に。

 

勢いに乗って、

うどん店「Yume Ga Arukara」も開業した。 

 

「うどん屋を開けたときは、『彼がやっていることはラーメン屋じゃない。飲食業・西岡津世志をやっているんじゃない。彼はドリームファクトリーをやっているんだ』という記事を書いてくれて、僕なりにすごく感慨深いものがありました」  

 

うどん店は全米8位のレストランに選ばれる快挙も達成し、

コロナ禍でも行列が途切れない。

 

「ラーメン屋でもうどん屋でも理想とする店ができ、両方の実績は作れたというのがあります」  

 

 

西岡さんはボストンで夢を語りたがらない客が日本人であることに気づき、

 

「日本にこそ夢を語る場が一番必要だ。自分がやらずに誰がやる!」との決意で

 

18年に帰国

 

「日本全国47都道府県に夢を語れるラーメン店を作る」プロジェクトを始動し

 

現在に至る。 

 

 

 

□西岡津世志(にしおか・つよし)

1979年9月8日、滋賀・近江八幡市出身。

高校卒業後、

東京でお笑い芸人を目指しながらラーメン店で修業。

 

2006年、独立して京都一乗寺に「ラーメン荘 夢を語れ」を創業。

12年、ボストンで「Yume Wo Katare」を開業する。

18年に帰国し、国内外に23店舗を展開する。

妻、子ども2人の4人家族。

水沼一夫

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