ゴミ拾いは称賛されることであり
自画自賛してよいが
精神論だけに、のめりこむ落とし穴に、
はまらないように、しないといけません。
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舛添とか、
カジノで、100億円、スった人間や、
反日の国で、日本人を心から憎んでいる連中なんか、
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1%も、聴く必要はありません。
公の記事に、掲載する必要もないです。
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ところで、
ピカピカに、
きれいにすることは、”かっこいい
ことです”
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この記事とは関係ありませんが、
会社で、
工場で、
事務所で、
学校で、
(記事のような、)スポーツ観戦後のスタジアムや体育館など、
などで、
(よく、日本であります、社長だけが、自社でトイレ掃除するのは、勝手です。)
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3つの問題は、
1) 丈夫で、使い捨てで、使いやすい、グローブで、やらせなさい!
(トイレなどで)手袋なしでやらせているのを見かけますが、
「それは、”阿*” です」
2) ゴミ袋だけでなく、安くて、なるべく便利で、最高峰の道具で、やりなさい!
(記事のような、競技場でしたら、
超・長いゴミ拾い用のトングや、
飲み残しの飲料を捨てるバケツや、
切れない漏れない頑丈なゴミ袋、など)
3) 記事のような競技場/体育館などは、
”自主的なヴォランティア”的発想で、会社内とは相違します”が、
それ以外の、
会社内、事務所、工場
(現状の、学校での軽い、簡単に、箒などの掃き掃除はよい)
特に、トイレなどは、
そこまで、社員や、工員などに、やらせる必要はありません。
自分たちのデスクだけで十分です。
トイレまで、”強制的に”
社員やバイトにやらせるのは、
”もってのほかです”
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「日本人のゴミ拾いは世界一」報道から“日本の衰退”を感じてしまうワケ
● 「ゴミ拾い」賛否はいいが、漂う「日本の衰退」 世界よ、これが日本のゴミ拾いだ――。そんな誇らしい気持ちになっている方がたくさんいらっしゃるのではないか。 サッカー・ワールドカップでさまざまな国の人々が、「彼らはとても美しい」「本当にリスペクトができるよ」などと日本人を称賛しているからだ。そんな「日本ブーム」の盛り上がりは、以下のようなメディア記事のタイトルからも伺えよう。 ・【W杯】世界に広がる日本人の“ゴミ拾い精神” 他国ファンの行為に驚き「これがあるべき平和の姿」(FOOTBALL ZONE 、11月24日) ・日本人と一緒にゴミを拾った英識者 「英国でこれが想像できるか。素敵だ」と感激(THE ANSER 、11月29日) ・バーレーンのYou Tuber、サムライ・サポーターのごみ拾いを称賛: 世界を驚かせる日本人のマナー(nippon.com 、11月22日) ・美しい日本、ドイツ撃破後のピカピカのロッカールームが世界で話題に…“ありがとう”の手紙と折り鶴(超WORLDサッカー! 11月24日) 「日本に生まれてよかった」と感動に包まれている人も多いだろう。そんないい気分に水を差すようで大変心苦しいのだが、個人的には今のムードにはちょっと不安を感じている。 「出たぞ、こいつも舛添氏のように、ひねくれたヤツだな」と思われるかもしれない。これらのゴミ拾い報道に対して、元東京都知事の舛添要一氏がTwitterで「清掃の仕事を奪う」「日本文明だけが世界ではない」などと苦言を呈したことが話題になったからだ。 また、大王製紙元会長の井川意高氏も「こういうの 気持ち悪いから やめて欲しい ただの自己満足」と投稿。一部のTwitterユーザーの中には、「ゴミ拾いしか誇れるものがないのが情けない」なんて意地の悪い見方をしている人もいる。 では、筆者も彼らのようなことを感じているのかというと、そんなことはない。ゴミ拾いや整理整頓が称賛され、それを誇りに感じるか否かは人それぞれの自由だ。 むしろ、個人的には喜ばしいことだと思っている。『観光地にゴミをポイ捨てする日本人、伝統的倫理観「旅の恥はかき捨て」の末路』の中でも詳しく解説したが、コロナ禍で外国人観光客が消えた有名観光地で深刻な問題になっていた。「日本人のゴミ拾いは世界一」という報道に気を良くした日本人が増えれば、こういう国内の状況が改善されるかもしれないのだ。 「日本人のゴミ拾いは世界一」という論調を否定的に見ていないとしたら、一体なぜ今のムードを不安に感じているのか読者は疑問に思うだろう。論調自体は問題ない。ただ、こういう論調がもてはやされる社会ムードが怖いのだ。日本の「惨敗」がそこまで迫っている可能性があるからだ
● 精神論を持ち出す時、日本は大抵弱っている 「日本のゴミ拾いは世界一」のように日本人の高いモラル、高潔な精神みたいなものが外国人に褒められましたというニュースが氾濫する時というのは往々にして、日本が危機的状況に追い込まれている時であることが多い。 その代表的なケースが、太平洋戦争末期だ。ミッドウェー海戦に敗れて、絶対国防圏も破られて東京や大阪など大都市に続々とB-29が飛んできて焼夷弾を雨のように降らせるようになると、一般国民の中でも「この戦争は負けるな」と感じる人が多く出てきた。 しかし、そのように危機的状況に追い込まられるほど、奇妙なことに「日本人の精神がいかに優れているのか」という方向のニュースが増えていくのである。 軍事衝突では負けてばかりで、国内の情勢的にも、苦しい、貧しいというムードが強まっている。にもかかわらず、新聞やラジオでは「大和魂を世界が称賛」みたいな話が急増していたのだ。 わかりやすいのは、日本軍がビルマ戦線でインパール作戦を遂行していた最中の1944年4月10日、「読売新聞」で報じられた「驚嘆・日本人の『アッツ魂』ソ連で少国民の教材に採用」という記事だ。 日本軍が占領していたアメリカ領・アッツ島では、1943年5月、1万1000人の米軍を迎え撃って陸海軍で合わせて2638名が「玉砕」をした。生存者はわずか二十数名。「生存率1%」という明らかに人命軽視の無謀な軍事行動だった。 だが、そんなアッツの悲劇を、当時の「読売新聞」は、「日本人の高潔な精神を世界が称賛している」と自画自賛しているのだ。 「ソ連邦でもしばしばプラウダ紙上にこのことをとりあげて恐るべき日本の大和魂として論及、赤軍某有力幹部の如き“われわれは日本人のこの精神をこそ学ばねならぬ”とまで論じて日本武士道精神の激しさに今更ながら感嘆してゐたが今回これを自国少国民の教材に取りあげるに至つたものである」(同上) 陸海軍の巧みな戦術が評価されたという話ではない。日本兵の高い戦闘能力が評価されたわけでもない。ただただ、「根性」「大和魂」という日本人の精神が評価されたというだけの話なのに、「読売新聞」はこんなにも誇らしげに国民に伝えている。こういう「日本人のど根性に世界が称賛」みたいな報道が、日本の惨敗まで延々と続いていく。 これは逆にいうと、もはやこの時期の日本は「根性」や「大和魂」という精神論しか誇れるものがなくなってしまったほど、危機的状況になっているということだ
● 令和日本で精神論に走るワケ
さて、こういう歴史の教訓を踏まえて、
「日本のゴミ拾いは世界一」報道が盛り上がる令和日本の現状を冷静に見ていきたい。
経済に関しては「失われた30年」と揶揄されるほど停滞している。
賃金もこの30年ほとんど上がっておらず、平均給与ではついにお隣の韓国にまで抜かれた。
労働生産性や1人あたりのGDPで抜かれるのも時間の問題だ。
国力の礎になる人口は急速に減少しており、
出生率の低下は危機的状況だと政府も認めている。
かと言って、移民を受け入れることは無理なので、
社会保障制度は遅かれ早かれ破綻していく。
そこは日本の技術力で解決だ、という勇ましい声も虚しく、かつて日本経済を支えた半導体や白物家電は続々と新興国に抜かれている。
最近は、お家芸なんて言われたアニメまで、中国に人材を引き抜かれてつくられるようになってきた。
ひいき目に見たとしても、「危機的状況」なのだ。
そんなタイミングで、
「日本のゴミ拾いに世界が感動!」
「我々が見習うべきは日本人だと各国が称賛」という、やたらと精神論をもてはやすムードが強まっている。
これまでのパターンでいけば、
「そろそろ日本もヤバくなってきた」と感じるのは当然だろう。
「そんなのは貴様の妄想に過ぎない」
と冷笑する人も多いだろうが、
日本人が危機的状況になればなるほど、精神論にすがるというのは、さまざまデータが示唆している。
例えば、NHKが1973年から5年ごとに実施している「日本人の意識」
という調査がある。
その中で、
「日本人は、他の国民に比べて、きわめて優れた素質をもっている」というナショナリズムを測る質問がある。
この質問、
1973年に60%、
83年には71%とピークに達してから
98年、03年の51%まで下降する。
この日本人の「20%の自信喪失」をNHK世論調査部では、こう分析している。
<70年代から80年代初めにかけて日本への自信が高まった時期は、
日本の経済力や技術力などが注目された時期と重なる。
しかし、80年代半ば以降はアメリカとの貿易摩擦、
90年代に入るとバブル経済の崩壊、
95年には阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が相次いで発生し、
日本に対する人びとの自信も減少していった>
(45年で日本人はどう変わったか
(2) ~第10回「日本人の意識」調査から~)
ただ、この理屈が当てはまるのならば、03年からも自信は減少していくはずだ。
先ほども申し上げたように経済的にも国力的も衰退期に入るからだ。
非正規雇用は右肩あがりで、
相対的貧困率が上がった。
09年にはリーマンショックで自殺者も増えている。
世界幸福度ランキングでも年を追うごとに順位が下がっている。
こういう状況を踏まえればさらに03年から現在までで10%くらいは「自信喪失」をしていてもおかしくはない。
しかし、現実はまったく逆で、このような苦境になればなるほど、日本人は「自信」を深めているのだ
● 日本人が「自信」を取り戻すようになった理由
08年には57%になると、
なんと13年には83年に迫る勢いの68%、
18年には少し落ちるが65%になっている。
つまり、NHK世論調査部の言葉を借りれば、
「日本の経済力や技術力などが注目された70年代から80年代初め」と同じくらい、
令和の日本人は「我々はよその国の人間よりも優れた国民だ」と自信を深めているのだ。
経済や技術力などで存在感がなくなってきているのに、
なぜこうも「日本人は優れている」と思い込めるのか。
ここまで言えばもうおわかりだろう、それが「ゴミ拾い」を代表とする精神論だ。
経済力や技術力などで誇れるものがなくなってきた代わりに、
「世界一のゴミ拾い」に象徴される高いモラルや、
高潔な精神を、
外国人に褒められることを心の拠り所として、
それを誇りに感じることで自信を深めている可能性があるのだ。
繰り返しになるが、筆者は
「日本人のゴミ拾いは世界一」という報道を否定的に捉えていない。
喜ぶのも、誇りに感じるのも悪くはない。
ただ、このような精神論というのは、
他国の人はリップサービスや社交辞令も含めて褒めたたえる部分もある。
そんなお世辞を真に受けて、あまり大騒ぎをしていると、
戦時中のように科学や論理を無視して、精神論ばかりにのめり込んでしまう。
それが結局、国家の衰退を招くことになると言いたいのだ。
例えば、先ほど紹介したように、
戦時中は世界中から日本の「大和魂」は称賛された。
各国の軍幹部はみな口をそろえて「素晴らしい」「見習いたい」と言ったが、
日本のように2000人が玉砕するような戦い方をする国など存在していない。
それと同じでW杯のスタジアムやロッカールームのゴミ拾いも
ずいぶん昔から話題になっている。
そのたびに外国人が褒めたたえてくれるが、
では、日本人サポーターのようにゴミ拾いをする習慣が根付いた国はあるのか。
その場のノリで一度や二度、真似をするかもしれないが、
日本人が思っているほど世界の「常識」になどなっていない。
毎度、称賛と大騒ぎをするが、それで終わりなのだ。
世界の多くの人は、
「珍しい異文化」なので驚き、
たたえ、リスペクトをしてくれているだけなのだ。
別に、日本の価値観は絶対的に正しいと心から思っているわけではない。
我々と同じように、なんだかんだ言って、みな自国の文化や習慣こそが素晴らしいと思っている。
「日本は素晴らしい、日本を見習え」と主張している人もいるが、
彼らは「全世界の代表」ではなく、ほんの一部の「親日外国人」なのだ。
こういう冷静な視点を欠くと、日本の衰退は加速していく。
先ほどの「アッツの大和魂を世界が称賛」報道からほどなく、
軍部は
「一億玉砕して国体を護る決心と覚悟で国民の士気を高揚し、其の結束を固くする以外方法がない」と主張して、
社会のムードは一気に「玉砕」に流れた。
その結果、本来ならば死ななくてもいい国民がたくさん命を落としたのはご承知の通りだ。
「日本の○○は世界一」と叫んでうっとりするのも悪くはないが、
衰退期に精神論にのめりこむことの恐ろしさだけはあらためて、
肝に銘じておいた方がいいのではないか。
(ノンフィクションライター 窪田順生
「日本人のゴミ拾いは世界一」報道から“日本の衰退”を感じてしまうワケ(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース