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「米すら買えない」ひとり親に罵詈雑言 底意地の悪さが生む日本の貧困
健康社会学者(Ph.D.)
想像力の欠如なのか?
数年前に横行した生活保護たたきと同じなのか?
「お米が買えない」という調査結果の報道に対するSNS(交流サイト)の反応に、何とも言葉にし難い嫌な気分になった。
異論・反論・疑義が相次いだのは、全国のひとり親家庭を支援する団体でつくる「シングルマザーサポート団体全国協議会」の調査結果だ。
「黙れ!」「嘘つき!」といった声
協議会所属の団体が支援しているひとり親約2800人を対象に、「生活必需品の物価高が、ひとり親家庭の生活に与える影響」に関するインターネット調査を実施したところ、お米などの主食を買えない経験があった人が半分以上いたことが分かった。
この結果を共同通信などが、「ひとり親、米を買えず5割超 物価高で、支援団体が調査」との見出しで報じたところ、瞬く間にSNSで拡散され、「そんなことあるわけない」という意見がSNSに飛び交ったのである。
「浅はかな記事。マスコミが不安をあおりたいだけ」
「インターネット調査って。ネット使えるヤツが米買えないのか? 家計簿チェックしろ」
「嘘つくな!」
「米買わないで、他の高い物買ってんじゃね?」
「米も買えない親に子育てする権利与えるなよ」
「ひとり親世帯だけ給付金とか散々もらってるくせに、何言ってんだよ」
「生活保護でも米くらい買える」
「シングルマザー保護し過ぎ。米は嫌いだからパン買ってるってことだろう」
「くそみたいな報道だな」
etc……。
中にはここに書くのもはばかられるような罵詈(ばり)雑言や、「シングルマザーで子供も3人育ててますけど? 米買えないなんてありえない」「米買えないは、さすがにない。ひとり親ですけど」といった“私もシングルマザーですけど何か?”的バッシングもかなりあった。
念のために断っておくが、「私だって大変だったけど、米くらい買ったわよ!」という主張を、否定する気は一切ない。
しかし、今回の調査結果を読めば分かる通り、「そういうことがあった」というだけ。「買うのをためらった」と言い換えてもいい。
なのに、そういった状況を想像することなく、「黙れ!」「嘘つき!」といった声があふれていた。……これはさすがにひどいというか、醜いといいますか
以前、どこぞの政治家さんが、「食べるのに困る家は実際はない。今晩、飯を炊くのにお米が用意できないという家は日本中にない。こんな素晴らしいというか、幸せな国はない」と“我が国ニッポン”を称賛した時の“能天気ぶり”にもあきれたけど、今回のは“心の奥底の意地の悪さ”としか思えなかった。
「米も買えないなんて、あんたの金のやりくりが悪いんだよ」という新手の自己責任論であり、「お涙頂戴みたいな報道ばっかすんなよ」というメディアバッシングでもあった。
異常としか言いようがない
新型コロナウイルス禍で仕事を失ったシングルマザーたちが、「子供がおなかをすかせていても食べさせる物がない」「公園の水や野草で空腹を満たしている」と胸の内を吐露した報道が続いた時は、多くの人たちが心を寄せたのに。
給付金支給を政府が検討していることに対しても、「全員に配るんじゃなくて、困っている人たちに!」という声があちこちから上がっていたのに。
今は「金の使い方が悪い、なってない」と批判している。「貧乏人はこうあるべきだ」論が繰り返されている。
相変わらず賃金が上がらず、物価ばかり上がり、「みんな苦しいのに頑張っている。なんでシングルマザーばかり取り上げるのか」という不満なのか?
あるいは、ただ単にコロナ前に戻ったってことなのか?
しかし、そんなSNSでの厳しい反応があった一方で、くだんの報告書に記された自由記述は、深く深く考えさせられるものだった。以下、一部を抜粋し紹介する(資料、https://www.single-mama.com/wp/wp-content/uploads/2022/11/bukkadakachosa.pdf)
- 「お肉を食べたい」と言うが我慢させている。お菓子も買えないので友達と遊ぶのも控えさせており、仲間はずれにされるようになってしまった。
- 学校指定の上履きが2800円。既にサイズアウトし、圧迫された親指の爪からうみが出てしまっている。
- 学校で用意してくるように言われた物を子供が言わなくなり、忘れ物扱いだったことを知った。
- 破れている、黄ばんだ物を着ていると保育園から指摘され、子供に申し訳ない。
- 高校の修学旅行のお金がどうしても準備できず、行かせてあげることができなかった。
- タブレットで宿題をする予定らしく学校からWi-Fiをと通達があったが、収入が不安定なためつなげることができない。
- 毎回同じ服になるのを気にして、子供が友達と遊びに行くのを控えている。
- 食べたい物、欲しい物を我慢させたことで、子供が遠慮がちな発言をするようになった。
- 布団が買えず、子供の頃に使っていた毛布をつなぎ合わせて使っている。
- 私自身は職場で昼食をとらず、1日1食にしている。
- お風呂は週2回、青森は冷えますが暖房は使わないようにしている
- 朝は食べない。働いても働いても(お金が)たまらない。毎日子供は1人。泣きたくても泣けない。
- 仕事を休むと収入が減るので、病気や持病があっても病院には行かない
……さて、いかがだろうか。
これらは全て正社員やパート、契約で働いているシングルマザー家庭のリアルだ。
この調査に回答した98%がシングルマザーでシングルファーザーは2%、正規雇用は30.5%、パート・アルバイトは36.7%、全体の8割が児童扶養手当を受給し、全部支給は46.5%だった。
半数近くが貧困ということになる
自由記述には、「元夫の収入も減ったため、養育費も減額」「養育費の算定も物価を考慮してほしい」「高校生が一番お金がかかるのに支援がなく苦しい」「理由があってアルバイトができない高校生もいる」といった政府への要望も多数書かれており、6割の人が「物価高の方がコロナ禍による家計への影響より大きい」としていた。
これでも必死で子育てするシングルマザーを、「嘘つき呼ばわり」するのだろうか。
そもそも今回の調査も含めて、貧困問題で語られる貧困とは「相対的貧困」だ。
そして、「相対的貧困率」とは、世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人の割合のこと。平たく言うと「恥ずかしい思いをすることなく生活できる水準」にない人々を捉えたものだ。
自由記述を見れば、「恥ずかしい」という言葉の重さが分かるであろう。相対的貧困の水準の目安となるのが貧困ラインで、日本の場合、122万円程度だ(厚生労働省「国民生活基礎調査」、「平成30年国民生活基礎調査(平成28年)の結果から グラフでみる世帯の状況」)。月額にすると10万円(単身世帯の場合)。くだんの調査では、9月の収入が10万未満が36.4%で、10万以上12万5000円未満が12%だったので、半数近くが貧困ということになる
ご承知の通り、日本の相対的貧困率は15.7%(厚生労働省「2019年国民生活基礎調査」)で、主要7カ国(G7)のうち米国に次いで2番目に高い。母子家庭に限ると貧困率は最悪で、米国36%、フランス12%、英国7%に対して日本は58%と半数超だ。シングルマザーの就業率は先進国でもっとも高い84.5%なのに、3人に2人が貧困というパラドックスが存在する(経済協力開発機構(OECD) Educational Opportunity for All、Overcoming Inequality throughout the Life Course)。
相対的貧困は「目に見えない貧困」であり、最大の問題は「普通だったら経験できる機会」がはく奪され、心がむしばまれるってこと。教育を受ける機会、仲間と学ぶ機会、友達と遊ぶ機会、知識を広げる機会、スポーツや余暇に関わる機会、家族の思い出をつくる機会、親と接する機会……etc。こういった幼少期の様々な経験は全て、80年以上の人生を生き抜く「リソース」獲得の機会でもあるのに、それがない。
低所得世帯の子供はそういった機会を経験できず、進学する機会、仕事に就く機会、結婚する機会など、「機会略奪(損失)のスパイラル」に入り込む。
努力する能力は親の階層に影響される
それだけではない。機会略奪により、「どうせ貧乏だから」「どうせみんなと違うから」など考えて自尊心が低下し、「どうせバカだから」と心まで疲弊し、「頑張ろう」とか、「踏ん張ろう」という、諦めない力まで奪われていく。
教育問題を扱ってきた、英オックスフォード大学教授の苅谷剛彦さんらの調査では、両親の学歴や職業から子供たちが生まれ育つ家庭の社会的階層を捉え、上位、中位、下位に分類し、子供の「学習への意欲」を分析したところ、階層下位の子供たちほど「学習への意欲」が低かった。少人数授業を取り入れ、熱心に取り組んでいる地域でさえ、階層格差に起因する「学習意欲差」を縮小するのは難しかったという(苅谷剛彦著『学力と階層』より)。
世の中にまん延する自己責任論には、「努力する能力は全ての人に宿っている」という前提がある。しかしながら、努力する能力は子供たちの親の階層に影響されている。それは先生たちの力だけでは埋めることのできないほど手ごわいのだ。
人は何かしら動機付けられるからこそ努力する。めげそうになっても、頑張れ! と背中を押してくれたり、サポートしてくれたりする人がいるからこそ、もうひと踏ん張りできる。そして、その努力が実ったとき、「本人の努力次第で手に入るものがある」ことを自然と学ぶ
だが、生活に余裕がない家庭の親たちは仕事に忙しくて、子供と向き合う時間もない。子供が頑張って宿題をやっているときに、一緒に頑張ってあげることも、テストでいい点を取って「頑張ったね!」と褒めてあげる機会も制限されてしまいがちだ。
貧困という経済的な問題が、子供との関わり方にまで波及し、貧しさは、将来の展望、教育や励まし、時間や愛情など、多くのリソースの欠乏につながっていく。
日本の最低賃金の低さ、円安で深刻化
幼少期に低所得の家庭で育った人は、そうでない場合に比べ、大学卒業の確率が約20%低く、成人後に貧困状態に陥る確率が約4%高くなり、成人後に幸福だと感じる確率は約9%低くなり、健康だと感じる確率は約12%低くなるという分析結果や、成人期に低所得を脱しても死亡リスクが最大2.3倍高くなるなど、成人期の幸福感や健康にまで影響を及ぼすことも分かっている(Child poverty as a determinant of life outcomes: Evidence from nationwide surveys in Japan/Takashi Oshio, Shinpei Sano & Miki Kobayashi)。
貧しさとは金の問題であって金だけの問題ではない。
むろん、貧困家庭は、必ずひとり親家庭というわけではないし、女性だけの問題でもない。
先進国が相対的貧困を貧しさの指標にする狙いは、「見えない貧困」を可視化することにある。貧困の背後に隠された低賃金などの労働要因、ひとり親世帯や高齢者世帯などの家族要因、病気などの医療要因、低学歴などの教育要因を突き詰めれば、社会保障も含めた政策の手立てになる。
しかし、女性の非正規雇用率の高さ、女性の賃金の低さ問題はずっと指摘され続けているのに、一時的な支援が行われるだけで根本的な解決には至っていない。「米買えない? 嘘つき!」というバッシングにしても、それに喜ぶのは政治家だけだ。
数年前、NHKが「貧困女子高生」のニュースを報じたときもそうだった。
母子家庭の女子高生が、家が低所得のために専門学校への進学費用である約50万円を捻出できず進学を諦め、家にクーラーがない、パソコンがない、と窮状を報じたところ、部屋にアニメグッズがあっただのなんだの、女子高生のツイッターアカウントに「1000円のランチに行ってる」「ライブに行ってる」などと書き込みが集まり大炎上。そこに便乗したのが政治家だった。「ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうから」と。
いずれにせよ、既に世界で突出したレベルだった日本の最低賃金の低さは、円安でさらに深刻化している。世界経済フォーラムによると、日本の全国平均時給はわずか約961円なのに対しルクセンブルク約2353円、オーストラリア約2009円、ドイツ約1759円、英国約1610円、米国約2220円と、一桁違う(World Economic Forum「最低賃金が最も高いOECD加盟国は?」)。
貧しさの恥ずかしさを倍加させるのが、世間のバッシングであり、それがSOSを出せない人たちを量産する。……そんなことも想像できないのだろうか。悲しい
「米すら買えない」ひとり親に罵詈雑言 底意地の悪さが生む日本の貧困 (5ページ目):日経ビジネス電子版 (nikkei.com)