ほかのアメブロのサイトからの、転載です。
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鯵。
潰瘍性大腸炎オペ済み。
おしゃべりな3歳の娘を持つ天使ママ。
普段は放デイで働いています😝
- 性別
- 女性
産む決断と産まない決断(出生前診断について)
- テーマ:
- 考え方
※出生前診断や命の選択の話です。
人によってはつらい内容になるのでお気を付けください。
明日でやっと妊娠11週です
前回の妊娠では、このくらいの時期にNT指摘からの流産となってしまったので、正直ドキドキが半端ない…。
次の検診は12週。
前回もいろいろと調べはしたものの、あれよあれよという間に…それこそ出生前診断(羊水検査)に踏み切る前に亡くなってしまい、さらに流産後はしばらく赤ちゃんの病気や障害について考える気力も失ってしまいました。
あの時はもう、これが最後の妊娠だと思ってたし…。
でも、今に至る。
幸いにもまた赤ちゃんを宿す事が出来て、喜び反面、不安でいっぱい…。
ルンルンなマタニティライフなんて送れる気がしない
安定期なんてないんだと思ってます…。
不安だと、いろいろと調べたくなってしまうのが人間。
いろんな人の妊娠記録を読んだり、出生前診断や、妊娠中に分かる赤ちゃんの病気や障害の動画を見たり。
情報とは諸刃の刃です。
分からないからこそ不安であることは、情報を得て安心できるものもあれば、逆に不安になってしまう事も。
新たな視点を得る事もあれば、無意識だった自分の気持ちや価値観に気づく事も。
そんな中、私が最近見た動画の中の、とある言葉にとても引っかかってしまっています。
その動画は、出産に関わるお仕事をしている方のチャンネルで、たくさんの妊婦さんやお母さんからの相談に答えるもの。
ご自身も出産と育児を経験されている、いわば大先輩です
基本的には、お母さんに寄り添う姿勢と専門知識、経験でとてもためになるチャンネルだと思います。
ただ、そこには当然、その人なりの価値観や主観も入ってきます。
それが「生きた意見」の良い所でもあるのですが…
その動画では、出生前診断で陽性となってしまった赤ちゃんを諦めたお母さんから、苦悩や、自分を責めるコメントが取り上げられていました。
当然ですが、誰もそのお母さんを責める権利もないし、実際に誰かから責められたわけではないのだと思います。
それだけ、待ち望んだ我が子を諦めるという選択は深く重いもの。
気軽に、もしくは1mmの迷いもなく諦める事をスパっと選べるお母さんなんていないと思います。
色々な事、自分の気持ち、赤ちゃんの事、今いる家族の事、将来の事…いろんなことを限られた時間の中で考えて悩んで苦しんで、そして絞り出した決断だと思います。
結局は「産む」か「産まないか」の二択だから、49対51くらいの僅差で選択する人も多いんじゃないかと。
100%の正解なんてない。
どちらを選んでも、得るものと失うものがあります。
なら、もう自分の選択で失ったものより、得たものに目を向けて生きていく事が、失ったものに対する最大限の礼なのではないかと思うのです(もちろん、そんな簡単に切り替えられる物でもないんだけどね)
動画の方も、「産むにせよ産まないにせよ、自分で悩みぬいて決めたその選択は、素晴らしいものだ」とコメントしておられました。
これには私も大いに賛同します
ただ、引っかかったのはその後。
付け足すように言われた軽い一言。
「逆に、諦める方を選べないって理由だけで産むなら、産むなと思う」
これ…複雑です。正解とも不正解ともとれる、複雑さです。
もちろん、自分で出生前診断をしておきながら、産みたくないけど中絶も選べない=時間がたって産むしかなくなった、という決断は(というか決断できない)、私も正直どうなのかと思います。
生まれてきたら育てるか、別の場所へ預けて他の人に育ててもらうかの二択なので。
もちろんこれは障害児に限った事じゃないです。
でも、「諦める方を選べない」って、中絶から逃げてる場合だけではないと思うんですよ。
赤ちゃんに対する情があったら、「諦める方を選びたくない」は当然の感情だと思います。
結果的に諦める方を選んだお母さんの中にだって「諦めたくない」気持ちはあったはず。
「産みたくない」という積極的な決断じゃなく「産んであげられない」という、消去法的な決断になる人が多いんじゃないかと。
これは私の肌感覚ですが、出生前診断で異常が見つかったら9割が中絶を選ぶ(らしい)この世の中。
逆に、障害が分かっていても産む、という選択をしたお母さんや家族に対する風当たりが厳しい気がするのです。
ちゃんと育てられるのか?
親が死んでも面倒を見てくれる人や場所の確保はできているのか?
金銭面は大丈夫なのか?
きょうだい児の気持ちや人生は考えているのか?
全部親がちゃんとできるって自信があるから産んだんだろうな?
そうじゃないなら無責任だし親のエゴだぞ。
なんて。
わりと結構平気で言われます。
もちろん、産む以上は人生計画の立て直しも必要になって来るし、お金だって大事。
きょうだいだって大事な我が子。
でも、これって出生前診断で分かった障害児に限った事ですか?
障害児の親だけが完璧にしなきゃいけないんですかね?
生まれて初めて分かる障害もある、育つ段階で判明したり、事故や病気で負う障害もある。
病気や障害がなくても、何らかのトラブルで社会に出られなくなる人だっている。
最初から分かっていようが、後から判明しようが、そうなった時の大変さは一緒、ぶつかる壁も一緒。
出生前診断で異常がなかった人も、我が子が今後そんな状態になる可能性や打開策まで考えて産んでますか?
きっと、「その時はその時、やるしかない」だと思います。
これって、出生前診断で異常が分かって、それでも「諦めない」と出産を選択した人も一緒だと思います。
「大丈夫!障害児を育てる人生プランはバッチリ!お金や親の健康の心配もない!だから安心して障害児産みます!」なんて自信満々で産む選択をした人、いないと思うんですよね。いるなら見てみたい!
だから、「諦める選択ができないから産むくらいなら産むな」は、正解な場合もあるけど、だいぶ誤解を生む言葉じゃないかなぁ?と思ったのです