理解するには難解な、

 

日本・ウクライナ・ロシア・ギリシャなどの、

 

日本における正教会

 

 

 

これは、日本のニュース報道で、有名な、

 

港区(東京タワーのすぐそば)にあります

 

ウクライナ正教会で、

 

 

都内の教会でウクライナの人たちが家族の安全と平和を祈る | NHK | ウクライナ情勢

 

 

聖オルバン教会 
St. Alban’s Anglican-Episcopal Church

聖オルバン教会
聖オルバン教会

聖公会では東京教区で唯一、英語を話す会衆から成る教会で、牧師は英語を母国語とし礼拝はすべて英語で行なわれます。信徒は日本を含む世界各地から集い、日本に住むキリスト教信徒にとっては文化や言葉の違いによる困難から解放されて祈ることのできる、貴重な存在となっています。

1879年から現在の場所で英語によるキリスト教礼拝が行われ、戦後1956年に著名なチェコ系アメリカ人建築家、アントニン・レイモンドの設計により現在の礼拝堂が建築されました。日曜日午前8時・10時半の定時礼拝の他に、英語での日曜学校、教理・教会教育、読書会や聖書研究会等、様々なグループが活発に活動しております。礼拝は全て英語ですが、どなたにも開かれた親しみやすい教会です。是非お越しください。

また平日は、英語を話す子どもたちまたは英語の教育を希望する子供たちのための幼稚園が開かれており、2歳から5歳までの子どもたちが学びながら元気良く遊んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

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下目黒ハリストス正教会 聖アレクサンドル・ネフスキー教会

 
 
 
この写真は信者とは関係ないと思われます、
 
ここで開かれている、ロシア語クラスの記念写真の様です
 
 
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文京区本駒込モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエの聖堂
 
 
 
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日本にはロシア正教会以外にも、
 
 
日本の宗教団体である日本ハリストス正教会がある。
 
 
東京都千代田区の大聖堂「東京復活大聖堂」(通称・ニコライ堂)
 
を総本山に古い活動の歴史を持つ。
 
JR御茶ノ水駅近くにあるニコライ堂は日本における東方正教会の代表的建物。
 
重要文化財であり、ビザンチン様式の威風堂々としたたたずまいから全国的に有名
 
KeyNoters – 東方正教会 ― 知られざるキリスト教文化圏Ⅶ おわりに ― 日本における正教会
 

東京大主教々区

東京復活大聖堂(ニコライ堂)

東京復活大聖堂
(ニコライ堂)

須賀ハリストス正教会・生神女福音聖堂

須賀ハリストス正教会
生神女福音聖堂

手賀ハリストス正教会・聖使徒神学者・福音記者イオアン聖堂

手賀ハリストス正教会
聖使徒神学者
福音記者イオアン聖堂

山手ハリストス正教会・主の降誕聖堂

山手ハリストス正教会
主の降誕聖堂(東京都杉並区)

前橋ハリストス正教会・亜使徒大主教聖ニコライ聖堂

前橋ハリストス正教会
亜使徒大主教聖ニコライ聖堂

須川ハリストス正教会・聖パンテレイモン聖堂

須川ハリストス正教会
聖パンテレイモン聖堂

高崎ハリストス正教会・主の降誕聖堂

高崎ハリストス正教会
主の降誕聖堂

横浜ハリストス正教会・生神女庇護聖堂

横浜ハリストス正教会
生神女庇護聖堂

足利ハリストス正教会・主の昇天聖堂

足利ハリストス正教会
主の昇天聖堂

鹿沼ハリストス正教会・聖使徒ペトル、パウェル会堂

鹿沼ハリストス正教会
聖使徒ペトル、パウェル会堂

馬頭ハリストス正教会・主の顕栄会堂

馬頭ハリストス正教会
主の顕栄会堂

宇都宮ハリストス正教会

宇都宮ハリストス正教会
 

圷ハリストス正教会・聖パウエル会堂

圷ハリストス正教会
聖使徒パウエル会堂

小田原ハリストス正教会・聖神降臨聖堂

小田原ハリストス正教会
聖神降臨聖堂

静岡ハリストス正教会・生神女庇護聖堂

静岡ハリストス正教会
生神女庇護聖堂

修善寺ハリストス正教会・顕栄聖堂

修善寺ハリストス正教会
顕栄聖堂

柏久保ハリストス正教会・主の降誕会堂

柏久保ハリストス正教会
主の降誕会堂

平塚ハリストス正教会・聖パウエル会堂

平塚ハリストス正教会
 

浜松ハリストス正教会・主の降誕会堂

浜松ハリストス正教会
主の降誕会堂

 

 
 

4 日本正教会

 日本にロシアから正教会が伝えられたのは、19世紀の後半のことです。文久元年(1861年)、日本への伝道を決意した聖ニコライが、函館にやってきました。聖ニコライは、その国の文化を否定せずに大いに受け入れてキリスト教の信仰を土着させるという正教会の聖伝にのっとり、その当初から日本人のための日本人による正教会を目指していました。それで聖ニコライは、日本の文化を学ぶため、日本語を習得し、「古事記」や「日本書紀」などを読み、仏教を学び、日本の風俗習慣を研究しました。そして、すぐに日本語による奉神礼ができるように、祈祷書を翻訳し始めました。明治15年頃から、漢学者パウェル(パウロ)中井木菟麿がニコライの翻訳の補助に入り、次々と膨大な量の祈祷書そして聖書が翻訳されていきました。ニコライによる奉神礼書の翻訳は死の直前まで続けられました。私たち日本の正教徒は、この神に祝福されたニコライの翻訳の恩恵に与っています。ニコライは、奉神礼にふさわしい文体として漢語調の文語体を選びました。私たち現代の日本人には難解ではありますが、聖神の恩賜(おんし)を伝える媒介として最善の言葉が選択されています。

 日本人として初めてニコライから洗礼を受けたのはパウェル(パウロ)沢辺琢磨、イオアン(ヨハネ)酒井篤礼、ヤコフ浦野大蔵の三人でした。中でも沢辺琢磨の回心のエピソードは注目されます。生粋の土佐藩士で坂本竜馬の従兄弟にあたる沢辺は、函館で剣術を教えていました。彼は最初、外国人を嫌い、ロシア人であるニコライを見て日本国を毒する輩と決めつけ、ある日、論争を持ちかけてあわよくば切捨ててしまおうとニコライのもとへ乗り込んでいったのです。しかし、ニコライの話を聞くうちに反対にその教えの高尚さに心打たれ、やがて正教会の信仰を熱心に奉ずるようになり、後には司祭となりました。

 ニコライは明治5年頃、東京に伝道の本拠地を移し、正教会の伝道を熱心に行いました。教勢はめざましく発展して、日本全国に正教会の種がまかれていきました。明治18年には信徒数はすでに一万二千人を越えていました。

 明治24年、東京の神田駿河台に、ビザンチン建築の「復活大聖堂」が建立され、ニコライの名に因んで「ニコライ堂」と呼ばれるようになりました。当時としては驚くべき大きさで荘厳なその姿は多くの人々の関心を引き寄せました。

 奉神礼に欠かせない聖歌の面についても、ヤコフ・チハイやデミトリイ・リオフスキーといった人たちが来朝して熱心に音楽の基礎を教え、日本音楽史上初めてと言われる四部合唱の聖歌隊が編成されました。彼等が編曲・作曲した聖歌は今でも歌われています。

 明治時代、ロシアに留学してイコンを学んだ女性である山下りんの存在は、一般美術史の目からも注目されています。彼女の書いたイコンは、今でも各地の正教会に掲げられています。

 正教会の神学校もニコライによって創立され、聖職者だけでなくさまざまな分野で活躍する人々を輩出しました。正教会の信仰、教義、精神性などを伝えるために、多くの正教会関係の文書が翻訳、出版されました。残念ながら現在、日本正教会には修道士たちが修道生活を送る修道院や、教会運営の病院や福祉施設や大学などはありませんが、正教会の信仰はニコライによってしっかりと日本に根付きました。ニコライは使徒と同じような働きをした聖人として「亜使徒」と呼ばれます。

 日本正教会は、明治の後半から大正、昭和にかけて苦難の時代を迎えます。まず日露戦争によって、日本とロシアの関係が悪化し、正教会が白眼視されたことがあげられます。そして、偉大なる師ニコライが永眠します。優れた後継者であるセルギイ主教がその後を継承しますが、突然、ロシア革命という決定的打撃を被りました。日本正教会は、物理的にも精神的にも孤立無援の状態となり、あたかも幼い子供が母を失ったかのようでした。ロシア正教会に吹き荒れていた混乱が日本にも押しよせようとしましたが、セルギイ主教は、しっかりと正教会の正しい聖伝を死守しました。ところが引き続いて起こったのが、関東大震災によるニコライ堂の崩壊です。鐘楼が倒れ、ドーム屋根が崩落し、火災が起き、聖堂内部のものをすべて焼き尽くし、貴重な文献や多くの書籍なども焼失してしまいました。セルギイ主教は日本全土の信徒を訪問し、再建のための募金を集めました。こうして昭和4年に東京復活大聖堂は復興しました。しかし、日本の中では正教会だけでなくすべての宗教にとって政治的な統制を受ける困難な時代を迎えました。世界大戦の混乱と悲劇の中、終戦を迎える直前、セルギイ府主教は永眠しました。司祭や伝教師などが激減し、信徒の多くも離散してしまいました。

 戦後、日本正教会は、アメリカ正教会から主教を迎えました。
アメリカ正教会もロシアから伝道された正教会で、日本とは姉妹関係にあります。そしてアメリカ正教会がロシア正教会から完全独立するのに伴い、昭和45年日本正教会も自治教会となりました。
自治教会とは、完全には独立しないものの、経済的には独立し、日々の教会運営を独自に行うという形です。自治となった後にフェオドシイ永島主教が最初の邦人府主教となり、日本正教会は低迷していた教勢や財政の立て直しに励みました。各地で聖堂が再建され、信徒の啓蒙教育や宣教活動が活性化されました。フェオドシイ府主教の永眠後、ダニイル主代府主教座下が新立し、現在、日本正教会は大きな希望をもって歩みを新たにしています。

5 他派の教会

 ハリストス(キリスト)が始められた教会は一つです。しかし現実的に残念ながら教会は分裂してしまいました。新約聖書の時代、すでに教会には争いや対立などがありましたが、聖使徒パウェル(パウロ)は熱心に教会の一致を説きました。しかし教会の中から出てきたアリウスとかネストリウスといった「異端」に関しては、正教会は一致を求めるのでなく完全に教会の外に追放してきました。だからこそ正教会の正しい教えが守られてきたのです。

 同じ正教会(オーソドックス)と呼ばれるものの、すでに5世紀ごろから分離した教会があります。ハリストス(キリスト)に神としての一つの本性しか認めない「単性論派」の教会です。現在、エチオピア正教会、コプト正教会、シリア正教会、アルメニア正教会などがあり、非常に伝統的である点はまさしくオーソドックスです。これらの教会と私たち正教会との正式な和解は未だですが、歩み寄りはなされています。

 次に「2 ビザンチン時代」で少しだけふれたように、ローマ・カトリックと正教会の分岐が起こりました。実は地理的な問題、文化的な問題、政治的な問題もあいまって、ローマを中心とする教会と正教会は早い時期から亀裂を生じていました。「カトリック」とはもともと「完全」とか「普遍」とか「公」という意味をもつギリシャ語で、正教会も、すべての時代すべての場所に共通する真理をもっているという意味では、「カトリック」です。しかし、ローマ・カトリックでは、ローマ法王を最高権威として全世界に教会を行き渡らせるという意味をもっています。そういう意味では正教会は「カトリック」ではありません。正教会とローマ・カトリックとでは明らかに伝統も歴史も文化も神学も組織も異なります。日本では認識不足の故に、しばしば正教会がカトリック教会の一つとして説明されたりしますが、全くの誤解ですのでご注意ください。ローマ・カトリックと正教会の違いは、ここでは説明できないくらい大きくまた細部に渡ります。一番大きな差は、全世界の最高権威を主張するローマ法王を正教会は認めないことです。神ハリストス(キリスト)以外に世界の最高権威は存在しません。習慣的な差としては、カトリック教会側が妻帯司祭を認めないこと、ミサに無発酵パンを用いること、礼拝に楽器を使用することなどがあげられます。つまり正教会では、妻帯者を司祭に任命することができ、聖体礼儀には発酵パンを使い、奉神礼では一切楽器を使用せず肉声だけで行ないます。他にも十字架のきり方、聖堂の建て方、美術に対する姿勢などの違いがあります。神学的にはマリヤ様に関すること、三位一体の神に関する教義の違い(「フィリオケ」問題という。第二章の④を参照)、煉獄という考えの是非、さらにはハリストス(キリスト)の十字架に対する見解の差もあります。ローマ・カトリックでは20世紀までずっとラテン語でしか礼拝をしなかったこともあげられるでしょう。しかし、1967年の第二バチカン公会議以降、ローマ・カトリックも様変わりし、各国の言葉を受容し、礼拝の刷新が行なわれたようです。

 こうしたローマ・カトリックから分離したのが「プロテスタント」と呼ばれる諸教会です。16世紀頃、マルティン・ルターが始めた宗教改革によって、次々とローマ教会から離れて独自の歩みを始める教会が続出しました。「プロテスタント」とは「抗議する」「反抗する」という意味で、ローマ・カトリックの言うことなすことに反対して生まれた教会です。当時のカトリックは、堕落していた時代ともいわれ、「免罪符」を買えば罪の赦しが得られるなどと言われていたことは有名です。信徒に聖書を読ませず、ただ教会のいうなりにされていたことに対して、宗教改革者たちは正しくも反論したのですが、ふりこの錘(おもり)と同じで、反対し過ぎてしまい、中庸を保てませんでした。カトリックの伝統重視に対しては「聖書のみを信じるべきである」と言い、徳や献金による救いに対しては「ただ恵みによって信仰によって人は義とされる」と説き、重圧な教会階級制度には「万人が司祭である」と唱えました。一口でいえば、「自由」がプロテスタントの本質です。だからこそ、様々な主義主張がなされ、対立し、多くの派に分かれています。まるで細胞分裂するかのように分派し今では数百から数千もの教派があると言われています。つまり「プロテスタント」という一つの教会があるのではなく、色々な教派の教会をひっくるめてそう呼ばれているのです。有名な教派としては、ルター派、カルヴァン派(改革派)、バプテスト派、メソジスト派、福音派などがあります。イギリス国教会である「聖公会」もプロテスタントの一つですが、伝統を重んじる面もあり、正教会に近い点もあります。プロテスタントとは歴史的に新しく出てきた教会なので「新教」とも呼ばれます。これ対してローマ・カトリックは「旧教」と呼ばれます。正教会は「旧教」でも「新教」でもありません。「正教」です。

 新教の教会は普通「聖書のみ」がキリスト教の土台であり、聖書に書いてないことは教会として認めないという立場をとります。聖書が正教会の聖伝から生み出されたことを全く無視しているわけです(実際的な面から見ても聖書を原語のギリシャ語で写本して守ってきたのは他ならならぬ正教会です!)。もちろん、正教会はその聖書に根ざした信仰を正しく守っています。プロテスタント各派は、正教会のイコンを偶像視しますし、十字架なども切りません。中には三位一体の神を唱えなかったり、ハリストス(キリスト)が人となった神であることも無視したり、ただ愛の教えを命がけで説いたお方だとか、十字架によって人類の負うべき罪(罪というより罰)をハリストス(キリスト)が身代わりに背負ってくれたことが救いであるとだけ言って満足する教会もあります。

 これらの他に、「新興宗教」とよばれる教会が大いに勢力を増しています。彼らは「キリスト」や「聖書」を用いますが、実は「キリスト教」ではありません。終末論を曲解して不安を与え、教祖の教えを救いとして提示し、勢力拡大を熱心に行うカルト的な宗教です。惑わされないように気をつけましょう

 
 
 
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函館ハリストス正教会

Holy Resurrection Orthodox Church of Hakodate