ビズリーチ社長・多田洋祐さん死去、40歳 ゴルフ中に倒れる
「無意識の色メガネを外してくれた」ダウン症の子を授かって。
多田さんは、今回の育休取得のきっかけとなった次女が、ダウン症候群(21トリソミー)であることを公表しています。
予期せぬことに出生直後はショックを受けたと言いますが、今は妻の暁子さんとともに現実を受け止め、また「私たちの体験を言葉にして伝えることで、同じ状況の親子が抱いている不安の解消につながれば」という想いから、ダウン症に関する情報発信に努めています。今回、暁子さんにも取材に応じていただき、2人に話を聞きました。
「人生で最も感情のアップダウンを味わった時期」。次女が生まれたばかりの時期のことを、多田さんはそう振り返ります。多田さん夫婦が、医師から「ダウン症の可能性が高い」と告げられたのは、出産から約2時間後のこと。多田さんはその場で「可能性が高い、ということは違う可能性もあるんですか?」と聞き返しましたが、その返答は「(違う可能性は)ないと思ってください」というものでした。
「信じたくなかったんだと思います」正式な診断が出るまでの3週間、多田さんは「ダウン症 誤診」「ダウン症 じゃなかった」などの言葉で検索を繰り返したといいます。一方、暁子さんは、「医師に言われた以上、そうなのだろう」と受け止めつつ、多田さんのように様々な情報を調べることは「怖くてできなかった」そうです。
2人は、ともに何度も涙しました。しかし、そんな多田さん夫婦を前向きな気持ちにしてくれたのは、生まれたばかりの次女と、周囲からの支えでした。
出生直後の次女は、経管栄養のためにNICU(新生児集中治療室)に入りました。しかし、NICUを卒業し、少しずつ成長していく我が子を見て、多田さんは「本人がこんなに力強く生きようとしているのに、自分は何を悲しんでいるのか」と思うようになったと言います。
そして少しずつ、SNSなどで次女のダウン症について、周囲に情報発信するようになりました。次第に、ダウン症の親子についてのブログや、励ましのメッセージなどの情報が寄せられるようになりました。「なんて心強いんだ」そう感じた暁子さんは、自分たちがそうだったように、情報発信で救われる人がいると考え、機会があれば、今も自分たちの体験について話し続けています。
多田さんは、次女が生まれてきたことで「人生の景色が変わった」「自分が無意識にかけていた色メガネを、次女が外してくれた」と言います。また、ビズリーチは、「すべての人が自分の『可能性』を信じられる社会をつくる」というミッションを掲げていますが、多田さん曰く、「『すべての人』の定義が、自分の中で広がった」とも語ってくれました。
「人生の個人的なミッションとしては、障がいを持つ子の可能性を広げていくことにも関わっていきたいですね
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