当たり前の生活遠く…働く母たちの不安 モルドバのウクライナ避難民

毎日新聞

施設で暮らす避難民の女性(右)から体調を聞き取った後、談笑するエレナ・ポードレスさん=ソロカで2022年6月4日、山田尚弘撮影

 

 

 

 

 ウクライナから子どもと一緒に逃げてきた母親たちは、モルドバで仕事を見つけ、生活再建を目指す。環境の変化、収入減、育児との両立……。心配事は尽きないが、何より帰郷のめどが立たないことが心をくじく。当たり前の日常はいつ、取り戻せるのか。

 

 

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3月9日に長男(10)とウクライナ北東部ハリコフ州から逃げて来たエレナ・ポードレスさん(38)は医師として働いていた。現在は避難者が暮らす宿泊施設で住民の健康管理を担う。収入はウクライナ時代の5分の1。モルドバの一般的な収入よりも下回るが、「家賃や食費はかからないし、何より、誰かの役に立っていることに意義を感じる」と話す。  ◇避難1週間後に職探し  ロシアの侵攻が始まった2月24日、自宅付近で大きな爆発があった。住んでいたアパートには避難できる場所がなかったため、15分で荷物をまとめ、元夫の実家に逃げ込んだ。サイレンが鳴ったら地下に潜り、すぐに外に出られるよう携帯電話や服を近くに置いて、長男とはトイレや入浴時間も含め片時も離れなかった。約1週間後のある朝、「どこかに行こう」という長男の一言をきっかけに国外避難を決意。愛車を運転しモルドバを目指した。夜間は移動禁止のため車中泊したが、寒さで眠れない日も。約900キロ、7日間の決死行で、国境を越える時、「もう帰れない」と思うと涙が止まらなかった。  モルドバ北東部の都市ソロカにあるおばの家にたどり着いた時は安心して、数日間、ほぼ眠り続けた。しかし「このままずっと休んでいるわけにはいかない」と思い、避難から約1週間後には職探しを始めた。  ウクライナでは医師として地域医療に貢献した。「具合が悪くなると真っ先に私に連絡が来る。頼りにされやりがいがある仕事だった」。モルドバでも医療職に就きたいと考えたが、モルドバ語(ルーマニア語とほぼ同じ)が分からないことなどから断念。市役所で避難所の健康管理の求人があると知り、即応じた。  約40人が暮らす施設で住み込みで働く。元々地元の子どもたちが夏休みを過ごす場所で、緑の中にコテージが並ぶ。新しく来た避難者から家族構成や基礎疾患などを聞き取り、治療が必要なら医療機関を紹介する。避難者に積極的に声をかけ、体調不良や悩み事がないか耳を傾ける。就労を望む女性も多いが、子どもの預け先の確保などがネックとなり、実際に働く人は少ないという。  ポードレスさんは今でも母国の患者と携帯電話で連絡を取り、体調や薬の相談に乗る。「ウクライナにいる患者のことが心配。私の全てはウクライナに残してきてしまった。早く帰りたい」  ◇ハードな毎日「スポーツみたい」  ウクライナ南部オデッサ出身のナリア・ズボンナロバさん(38)は、3月末にモルドバに避難し、東部クリウレニの職業訓練学校に開設された避難施設に長女(8)と一緒に住んでいる。モルドバ各地にある避難施設では国連世界食糧計画(WFP)などによる支援で食事が提供されている。ズボンナロバさんは施設内の食堂で働いている。育児との両立が心配だったが、長女は朝昼晩、母親が働く食堂に食べに来るため、様子が確認できて安心という。  ウクライナでは水道の検査に関わる仕事をしていた。現在は朝から晩まで皿洗いや掃除を任され、体力的にハードな毎日を「スポーツみたい」と語る。それでも「ずっと部屋にこもって憂鬱になるよりはいい」と気持ちを切り替える。賃金はウクライナ時代の半分以下。避難生活は家賃や食事代はかからず、金銭補助で必要最低限の物は賄えるが、支援が切れた時のことを考えると眠れない。  「冬服しか持ってこなかったので、子どもに新しい服や靴を買ってあげようと思うとあっという間にお金がなくなる。動物園などにも連れ出したい」「安い車を買って、娘といろいろな場所に行くのが私のささやかな夢」。そんな当たり前の生活を、これほど遠くに感じたことはない。

 

 

【宮川佐知子、山田尚弘】  

 

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