「モスクワ放送」の日本人アナウンサーが見たロシア国営メディアの内幕 崩壊へのスイッチが入った〈dot.〉

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日向寺康雄さん(写真中央。本人提供)

 

 

 

「モスクワ放送」を知っているだろうか。  旧ソ連時代の外国向けラジオ放送で、英語やフランス語、ドイツ語などさまざまな言語でソ連の文化や政府の公式発表なども伝えてきた。日本語でも放送され、その後、名称を変えながらも2017年まで日本語放送は続いていた。若年層は知らないかもしれないが、年配の世代ならば実際にラジオを聞いていなくても存在を知っている人はいるだろう。そのモスクワ放送で、長年チーフアナウンサーを務めてきた男性がいる。日向寺康雄さん(64)。約30年間はるばるモスクワから日本語で放送を届けてきた日向寺さんは、ロシア軍によるウクライナ侵攻に何を思う。

 

 

  【写真の続き】モスクワで活動した日向寺さん

 

 

 

 

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モスクワの独立系世論調査機関「レバダセンター」によると、ウクライナ侵攻以降、プーチン大統領の支持率は8割を超え、「特殊軍事作戦」への支持も7割を上回る。  その背景について、「唯一の情報源となっているのが政権のプロパガンダを伝える国営放送で、支持者はそれを信じている」と、レバダセンターは分析する。  ロシアの人々はウクライナで何が起こっているのか、知らないのではないか――そう、日向寺さんにたずねると、即座に否定した。 「というのも、ウクライナで何が起こっているのか知りたかったら、知り合いに電話すればいいだけですから。携帯は通じましたからね、戦場に」  昔からロシアと結びつきが強いウクライナには、ロシア人の知り合いが大勢住んでいる。 「私自身、ウクライナ北部のハルキウに知り合いがいますし、放送局の元同僚もウクライナに知人がいっぱいいる。作戦開始直後、その同僚もウクライナに電話したんです。そうしたら、『爆弾が落ちてきている』って。政府はウクライナ軍の基地を攻撃していると言っていたけれど、どうも違うということがわかってきた。でも、みんな当局の発表を信じたいという気持ちが強かった。だから、とても戸惑っていました

 

 

 

 

 

■侵攻直後に訪ねた「古巣」

  1987年、日向寺さんは早稲田大学を卒業後、ソ連国家ラジオ・テレビ委員会外国向けラジオ放送、いわゆる「モスクワ放送」の日本課で働き始めた。ソ連崩壊後はロシア国営ラジオ局として名称を変えた「ロシアの声」に残り、RIAノーボスチ通信の傘下になってからは「ラジオ・スプートニク」に勤めた。  モスクワ放送は国営のプロバガンダ機関であり、「権力当局」の立場をストレートに、忠実に反映してきた。さらに社会主義の優位性を世界に訴える強力な宣伝マシンでもあった。その後のスプートニクも2016年の米大統領選において、意図的に偽情報を配信して選挙戦を妨害した、とする調査結果を米国家情報長官室は公表している。  しかし、実際のスプートニクは「偽情報」を流す謀略機関のイメージとはかなり異なる、というか、実情を知ると滑稽でさえある。 「スプートニクの代表が強調したのは、より多くの人にウケること、それに尽きました。例えば、プーチン大統領の発言の後に、『空飛ぶ円盤が目撃された』というニュースを平気で入れてしまうのです。言葉は悪いですが儲けしか頭にない視聴率第一主義の、二流のテレビ局のようでした」  そんなスプートニクの体質を米諜報機関が知らぬはずがない。日ごろからトンデモ情報流していたスプートニクを利用し、「大統領選を偽情報で妨害した」としてロシアを非難した、というのが真実かもしれない。  しかし、日向寺さんは、儲け主義に傾く代表とは異なる価値観と目標を持った職員がスプートニクに支えてきたのも事実と言う。  日向寺さんは親の介護で17年夏に帰国し、久しぶりに古巣を訪ねたのは今年2月26日。偶然にもウクライナ侵攻の2日後だった。 「本当にみんなびっくりしていました。まさかロシア軍が国境を越えてウクライナ領内に入るとは思ってもみませんでしたから。せいぜいウクライナ東部、ドンバス地方のドネツク州やルハンスク州にロシア軍を送る、くらいに思っていた。親ロシア派の住民に独立宣言をさせて、彼らの要請に基づいてロシア軍が入る、いつものパターンですよ

 

 

 

 

 

アフガニスタンやコーカサス地方の南オセチアでの軍事作戦のように、ロシアはいつも同じ手順を踏んで、侵攻を繰り返してきたからだ。 

 

 

 

 ■放送局内の方針「対立」

  今年2月末にモスクワ入りした日向寺さんは、スプートニクで日本課長と面会した。ロシア人の課長は30代の女性で、アニメなど日本文化が大好きな人だった。 「開戦当初から当局の言うことはおかしいと感じていた彼女は、『もう自由に、自分たちが選んだものを報道できなくなるかもしれない。上から下りてきたものをそのまま流せ、という事態になるかもしれない』と言っていました。結局、政府のやり方と、報道の仕方について疑問を持っていた彼女は、その後、放送局を辞めたんです」  課長は当局に都合のよい報道だけでなく、反戦運動など、ウクライナ侵攻に対する疑問の声も報道しようとした。それに反対したのが副課長だった。 「副課長は30代のロシア人男性で空手の愛好家でした。体育会系でプーチン大統領に対してシンパシーもあった。いわゆる『シロビキ』に近かったようです」  ロシアでは治安機関の関係者は「シロビキ」と呼ばれ、プーチン大統領にとっては「身内」のような存在である。 「スプートニクは外国向けのインターネットの報道部門で、上からいろんなニュースが下りてきて、それを選んで報道する。そこで課長と副課長の意見が対立したようです。副課長はロシア軍の戦果とか、自国の兵士たちがどんなに活躍しているか、といったニュースを重視した。彼からすると、ロシア軍はウクライナで虐げられているロシア人のため、正義のために命を懸けて戦っているわけですから。一方、それは本当なのか、懐疑的な見方をしていた課長は、亡くなった兵士や、国内の反戦の動きなどのニュースを流そうとした」  2人の対立が深まると、副課長は強硬手段に打って出た。「うちの課長はロシアの立場について正確に報道しようとしない」と、指導部に訴えたのだ。  その後、課長の女性はスプートニクを去った

 

 

 

 

 

「ただし、課長は解雇されたわけではありません。副課長もまったく違う部署に異動になったそうです。というのも、心の中では課長のやり方のほうが正しいと思っている人がいっぱいいたわけですよ。だから課内の結束が乱れないように、けんか両成敗みたいなかたちで収めた」 ■変わらない生活が「支持」に

  日向寺さんがウクライナ侵攻後のモスクワに滞在中、スプートニクの放送局の仲間が集まった。そのときに一人が、ウクライナ侵攻について「恥ずかしい」と発言した。 「でも、それは少数派であって、ほとんどの人は『こうなってしまった以上、いまさら何を言っても仕方ない。この運命を受け入れて生き抜いていこう』と言っていました。放送については、当局が必ず流しなさい、と指示されたものを報道する。いまは戦争中だから仕方ないよね、みたいな空気だった。どこの国もそうでしょうけれど、自分たちの国がやったことについて、仕方ないと信じたかった」  では、なぜ、8割もの人々がプーチン大統領を支持しているのか? 「ロシア人にとって何がいちばん大切かというと、治安、そして食べ物と住むところ。寒いですからね。安全で衣食住がなんとかなっている間は、お上の言うことに従いますよ。つまり、わりと単純なものなんです。だからプーチン大統領がやることにみんな黙っている。旧ソ連崩壊後のエリツィン政権時代、生活がめちゃくちゃになってしまったことがみんな骨身に染みていますから」  日向寺さんは、「プーチン大統領がある意味、評価されるのは、国民に不安を与えないように、生活水準を落とさないこと」だと言う。 「いまもモスクワの知り合いとしばしば連絡を取っていますが、私が知るかぎり、経済制裁がこたえている人はほとんどいません。市民の生活は落ち着いています。作戦開始直後と比べても変化がありません。パンや牛乳、肉などの値段は少し上がりましたけれど、それでも欧米のインフレ水準よりも低いくらいです。ルーブルのレートも安定している。自分たちの生活が守られている間は、ロシアの兄弟国であるウクライナの人々が苦しんでいても、そうなったのは『あなたたちが悪い』と、みんな思っている。それはよくないことなのですが……

 

 

 

 

日本を含む西側の報道でよく目にする「プーチン政権が転覆する兆し」や「民衆の不穏な空気」などは、モスクワで感じることはないという。

 

 

 ■ロシア崩壊へのスイッチ

  一方、今回の侵攻で「プーチン体制のロシアは、自然に崩壊していくスイッチがはっきりと入ってしまった」と、日向寺さんは感じている。 「これから少しずつ、1万人以上の自国民がウクライナで亡くなったことがわかってくるでしょう。誰々さんの息子が死んだらしいといったように。それも十分な情報が与えられず、演習だと思ってウクライナに行ったら、撃たれて死んでしまった、と。そういうニュースを国営メディアが扱うようになると、政権は揺らいでいくと思いますね」  日向寺さんは、1979年末にブレジネフ政権がアフガニスタン侵攻を開始し、その約10年後に旧ソ連は崩壊してしまったことを思い浮かべる。 「市民が事実上のサボタージュをして、体制が壊れていく様子を間近で見てきました。そして新しい政権が生まれた。ロシアは帝政時代から崩壊と再生を繰り返してきました。同じ過ちと目覚めを繰り返してきたともいえますが、それがこの国の持つ遺伝子なのでしょう」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁

 

 

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