千葉真一 遺産相続手続きで発覚した「偽造借用書」と「遺品盗難」

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在りし日の千葉と子供たち。前列左から真剣佑、樹里、眞栄田郷敦(まえだごうどん)(22)。確執が噂されるが意思疎通はできている

 

 

 

一枚の借用書が波紋を呼んでいる。 作成者は「前田禎穂(さだほ)」。昨夏、新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した千葉真一(享年82)の本名だ。借金の額は1300万円とある。何より衝撃だったのは、長男の前田真剣佑(まっけんゆう)(25・現在の芸名は新田真剣佑)が貸し主だったことだ。千葉の所属事務所『アストライア』代表の鈴木哲也氏が告発する。

 

 

  【画像】明らかに筆跡に違和感…!借用書の実物写真 

 

 

 

「千葉さんの遺産を整理するにあたり、『債権者は届け出てほしい』と代理人がアナウンスしたところ、真剣佑の代理人を務める弁護士がこの借用書を送ってきたのです。昨年9月末ごろのことです。たちまち、『実の親に借用書を書かせる子がいるだろうか』『千葉さんを尊敬していた真剣佑がそんなことをするはずがない』と関係者は紛糾。借用書に千葉さんの直筆サインが入っていたことから、本物かどうか、所属事務所の代表である私が確認することになったのです」 下の写真がその「借用書」だ。鈴木氏は「一目で千葉さんのサインじゃないとわかった」という。写真は、事務所に残っていた千葉直筆のサインである。たしかに筆跡が違う。 「借用書に書かれたサインには見覚えがあった。千葉さんの取り巻き、X氏の筆跡によく似ているのです。借用書に〈君津の家にある家財等を担保と致します〉と書かれているのを見て、恐ろしいシナリオが頭に浮かびました。X氏が借用書を偽造し、千葉さんの遺品を奪おうとしているのではないか、と」(鈴木氏) 鈴木氏がそう訝(いぶか)るのには理由がある。 「遺産相続のために目録を作らなければならないのに、取り巻きたちが『形見分け』していることが、SNSの投稿でわかったのです。千葉さんが暮らしていた君津の家からは映画『戦国自衛隊』で着た衣装など、貴重な遺品がゴッソリとなくなっていました」 千葉の死後、君津の家には「X氏の息のかかった人物」(鈴木氏)だというY氏が居住。遺産を限定承認することを決めていた長女の真瀬樹里(まなせじゅり)(47)と弁護士立ち会いのもと、目録作成のためにY氏の家財道具と千葉の遺品を選別する作業が進められた。 「そこでY氏は、耳を疑うようなことを口にしました。君津の地下倉庫に撮影で使った模造品のピストルがあったのですが、そのピストルにY氏の所有であることを示すシールが貼られていたのです。樹里さんが『このピストルは私が小さいころから自宅にあったものです』とクレームを入れると、Y氏はなんと『X氏から〝金目のものは何でもシールを貼っておけ〟と言われているんです』と返答したのです。その場に私は立ち会っていませんが、証拠が残っています」 件(くだん)の借用書は提出から約1ヵ月後に、何の説明もなく取り下げられたという。 X氏を直撃した。 ――千葉さんは真剣佑さんに借金をしていたのですか。 「していました」 ――千葉さんは何のために借金を? 「ほとんどが映画関係だと思います」 ――取り下げたのはなぜですか。 「債権者リストに自分の名前が載るのが嫌だったから。千葉さんにいくら借金があるのか、計算するために提出しただけで、返してもらうつもりはなかった」 ――鈴木氏は「借用書のサインは千葉本人のものではない」と言っています。 「実物を見たけど、違和感はなかった。あれは千葉さんが書いている」 ――鈴木氏は「Xさんの筆跡に似ている」とも言っています。 「過去に『X、代わりにサインしとけ』という場面が多々あったから、鈴木が勘違いしているだけ。今回は代筆していない。鈴木こそ、千葉さんに1000万円近く貸していることになっているけど、借用書はあるのか」 ――Y氏に「金目のものにシールを貼っておけ」と指示していた、と聞きました。 「そんなことは言っていない。いま、初めて聞いた。Y氏に確認する」 鈴木氏がため息をつく。 「債権の有無は弁護士が証拠を確認しないと認められませんから、X氏が口を挟むことではないです。暴露系ユーチューバーガーシーが真剣佑を攻撃したとき、名前が挙がっていたのも千葉さんの取り巻きでした。私が百パーセント正当だとは言いませんが、少なくとも彼らは樹里さんや真剣佑のまわりから排除すべき人間だと考えています」 昭和の大スター、千葉真一の輝きが眩(まぶ)しかったぶんだけ、闇も深いのである。 『FRIDAY』2022年6月10日号より

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千葉真一 遺産相続手続きで発覚した「偽造借用書」と「遺品盗難」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

 

 

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Sonny Chiba[編集]

1973年に封切公開された映画ボディガード牙シリーズ[56]』を皮切りに、『殺人拳シリーズ[22]』(1974年 - 1976年)、『地獄拳シリーズ[22]』(1974年)、『少林寺拳法』(1975年)、『けんか空手シリーズ[57]』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)と、前後して『やくざ刑事シリーズ[58]』(1970年 - 1971年)、『狼やくざシリーズ[56][59]』(1971年 - 1972年)、『麻薬売春Gメンシリーズ[56]』(1972年)や、小説劇画を映画化した『ウルフガイ 燃えろ狼男』(1975年)、1977年は『空手バカ一代』、『ドーベルマン刑事』、『ゴルゴ13 九竜の首[26]』など数々の映画主演テレビドラマキイハンター』と同様のスタントに、空手道拳法器械体操などが加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した[18][22][25][26][56][57][58][59][60][61]

とりわけカラテをメインにした格闘映画は世界的に大ヒットし[19][62][63][64][65]、海外の著名人ファンが多い[22][66][67][68][69][70][71]。この頃から海外ではSonny Chiba(サニー ちば)という名前で認知されるようになる[注釈 4][15][16][22]アメリカ合衆国では最も権威のある総合情報週刊誌「Variety」の1974年12月18日付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げた[72][73]。(⇒ #格闘映画#ファン

上記以外の映画やテレビドラマザ・ボディガード』、『ザ★ゴリラ7』、『燃える捜査網』、『大非常線』にも主演し、若手の育成に追われる日々となったが、1976年の映画『沖縄やくざ戦争』では京都市民映画祭の主演男優賞を受賞した。1977年4月ハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦[18][74]。「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上ある黒人で対戦相手を、第2ラウンドに二段蹴りKO勝ちを収めた

 

 

 

 

 

 

 

海外進出[編集]

ハワイ国際映画祭(2005年)

日本諸外国との合作映画カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『海底大戦争[95]、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首』などに主演し、『武士道ブレード』(1981年合作)にも出演。1970年代半ばにはフランシス・フォード・コッポラが「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映にオファーしたが[57]岡田茂は了承せず[28]、関係者には「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と思われていた[28]。しかし水面下のアピールや主演映画の評判などで、1990年頃からアメリカ映画の出演依頼が届き始めていた[28]。折しもロサンゼルスでは映画『激突! 殺人拳』(1974年)、『子連れ殺人拳』(1976年)など、14本の主演格闘映画がリバイバル公開されていた[96]。(⇒ #格闘映画

1991年ジャパンアクションクラブ (JAC) の売却を経て、1992年にアメリカ映画『エイセス / 大空の誓い』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移して、アメリカでも俳優活動をするようになり、グリーンカードも取得した[97][98]日本未公開作品のアクション映画もあるが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている[21][99]。(⇒ #Hollywood

1998年に出演した香港映画風雲 ストームライダーズ』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。原作のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回香港電影金像奨では、外国人として初めて優秀主演男優賞にもノミネートされた。2001年には台湾でも連続ドラマ化された。

2003年、友人でもあるクエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』シリーズでは出演と、ユマ・サーマンルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[100]第30回サターン賞では『キル・ビル』で助演男優賞にノミネートされた。(⇒ #Hollywood

2005年10月29日に開催されたハワイ国際映画祭では、これまでの功績を讃えた「MAVERICK AWARD」を受賞した[101]

2006年3月福島県会津若松市にある會津藩校 日新館を運営する会社の取締役に就任し、9月には映画撮影所「日新館会津撮影所 武士乃陣」をオープンさせた。

2007年には英国放送協会製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリー番組Japanorama』に出演。「Densetsu (Legends)」(伝説)をテーマにした回で取り上げられ、4月9日に放送された。同年の大河ドラマ『風林火山』に板垣信方役で出演。 11月には海外通称としていたJJ Sonny Chiba(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになり[17][注釈 4]和千永 倫道(わちなが りんどう)の名で、映画監督業への進出を表明した[2]。母親の旧姓・和智永(わちなが)と千葉を併せ、「人の道」を由来としたものである[2]11月26日には厚生労働省から「健康大使」にも任命された[102]2008年10月から2009年3月まで京都造形芸術大学教授を務めた

 

 

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