私は、”能天気”という言葉を使ってきましたが、

 

まさに、この人の言うとおり、「その通りで、」

 

 

「欧米(や日本など)の怠慢さや、油断、能天気さを、プー**は、狙っていたのです」

 

子供や生徒などのしつけに、置いて、

 

甘やかしたり、

 

油断したりしているうちに、

 

”モンスター”や、

 

”親へ、逆らったり”、

 

”上司への裏切り”

 

などを、作り出すのと、まるっきり、同様です。

 

一例が、

 

私の友人の一人に、

 

「ああ、こういう、超・放任主義の、育て方もあるのか!!!!」

(と、一人息子さんでしたし、奥様とは、既に、離婚されておりました)

 

 

 

という、育て方をしていた友人が、ありますが、

 

ある日、息子さんに、初めて、顔を平手打ちをしたら、

 

(あの時、12歳くらい???)

 

”119”(ポリス)に電話され、

 

私の友人は、「子供虐待で、逮捕されました」

 

超・放任主義、

 

超・甘やかせすぎ、

 

超・大人扱い

 

超・個人主義的育て方、

 

 

の、終焉でした。

 

 

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民主主義は、日々努力して守るもの

政治学者ヤシャ・モンク「プーチンは、西側の怠慢と弱腰が生んだ怪物だ」

 
 
ヤシャ・モンク 1982年、ドイツ・ミュンヘン生まれ。米ジョンズ・ホプキンズ大学国際関係研究所の准教授。
 
 
エル・ムンド(スペイン)
 

 

エル・ムンド(スペイン)

 

Text by Gonzalo Suárez

 

ジョンズ・ホプキンズ大学の准教授を務めるヤシャ・モンクは、プーチンの暴行はこれまで何十年も続いた「あるプロセス」の論理的な結末だと説明する。つまり、ベルリンの壁崩壊のあと自由民主主義の国々は自分たちの勝利にあぐらをかき、独裁者たちが徐々に自信をつけて冷戦時代の最も危険な悪しき習慣を取り戻すのを許したのだと。 

「首都キーウ(キエフ)を包囲しようとしている軍隊が、民主主義は世界においてもはや唯一の選択肢ではなくなったことを示しています」とモンクは言う。

「ウクライナ戦争は、私たちがあまりに長いあいだ当然のように享受してきた『自由』を公然と否定する者と、民主主義の擁護者のあいだで起きた最初の戦いなのです」

 

 

なぜ、こうした事態に発展するまで西側諸国はロシアを放置し続けてしまったのか。スペイン紙がモンクにインタビューした。
 

甘やかされたいじめっ子


──ロシアによるウクライナ侵攻は、大陸における1つの戦争であるだけでなく、より深く、解決が困難な問題の表れだとあなたは指摘しています。

私たちは10年前から「民主主義の後退」を生きています。アメリカをはじめ多くの国で民主的な制度の劣化がみられ、それと同時に権威主義的な国で民主主義を求める勢いが弱まっています。過去2年間に起きたことで最も憂慮すべきは、民主国家におけるポピュリズムの台頭ではありません。そうではなく、独裁体制からの解放を試みた国の少なさです。
 
──その事実は、ウクライナの戦争をどう説明するのでしょうか。

「民主主義の後退」には3つ目の要素があります。それは、民主主義の国々が自らの道義を守ることに消極的になっているのを見た専制主義者たちが、強気になっていることです。これがまさにウラジーミル・プーチンのケースです。彼は20年以上、戦争、殺人、人道に反する犯罪を政治的な道具に使ってきました。それなのに、彼を罰する者は誰もいませんでした──ウクライナに侵攻するまでは。

──実際、公然と「独裁者」と呼ばれることもありませんでした。「専制主義者」や「権威主義的な指導者」など歪曲的な表現で呼ばれるのが一般的でした

 

 

 

プーチンをめぐって私たちは2つの大きな過ちを犯しました。まず、敵を国外で殺害してでも民主主義の制度を完全に破壊し、全権力を手中に収めるのが彼の計画だということに気づくのに長い時間がかかりました。

次に、そのことに気づいても、見て見ぬふりするほうが楽だったことです。西側諸国は、近所の弱い子供に暴力を振るういじめっ子のケースを扱うソーシャルワーカーのように振る舞ってきました。厳しく罰する代わりに、相手を諭そうとし、バスケットボールのクラスに参加させては、ストレスを発散すれば周りの子に手を出さなくなるのを期待してきたようなものです。

──でも上手くいかなかった。