”是非、ノーベル賞を!”
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250万人以上を、受け入れている、ポーランドをはじめ、
ルーマニア、
モルドバ、
ハンガリー
スロバキア
など、
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「見て見ぬふりできない」寒さに震えるウクライナの子 自宅で避難民を受け入れる25歳の日本人(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース
「見て見ぬふりできない」寒さに震えるウクライナの子 自宅で避難民を受け入れる25歳の日本人
ポーランドでウクライナ難民を支援する東優悟さん(右から3人目)と婚約者のマルタさん(同2人目)、息子のフランチシェックちゃん(右端)と東さんが自宅で受け入れているウクライナの人々(東さん提供)
ロシア軍のウクライナ侵攻で難民となった多くの人たちが近隣諸国に避難する中、沖縄県那覇市出身の東(あずま)優悟さん(25)が、隣国のポーランドで難民の支援を続けている。自宅で6人のウクライナ難民を受け入れて衣食住を提供するほか、職探しのサポートや寄付の呼び掛け、子どもたちを受け入れる児童施設の設置に尽力する。戦争の悲惨さに向き合い「自分ができることは何か」と自問しながら支援に力を注いでいる。
【写真5枚】ウクライナから受け入れた子どもたちと自宅で支援物資を詰める東優悟さん
■行き場を失った人々
大きなバックをいくつも持った女性や子どもたちであふれ返る駅。難民の支援センターもすし詰め状態-。東さんは毎日、行き場を失った人々の姿を目の当たりにしている。 2021年から、ポーランド南部の都市カトヴィツェで婚約者と4歳の息子と3人で暮らす。大学院で経済学を学んでおり、4月からポーランド国内の企業に就職する。 那覇市出身で、高校生まで沖縄で過ごした。その後は県外の大学に進学。在学中に留学したアイルランドで婚約者と出会い、ポーランドに移住した。 工業都市として栄え、大学も多いカトヴィツェはウクライナの首都キエフから直線距離で約800キロ離れているが、ロシア軍のウクライナ侵攻で難民が詰め掛け日常が一変した。
■駅の床で眠る子
息子と同じぐらいの年齢に見える子どもが寒さに震えながら駅の床で眠る。「見て見ぬふりができないほど悲惨な状況。放っておけない」。自宅にウクライナの人々を受け入れたいと強く思った。 だが、ロシア軍の侵攻による原油高で光熱費は約2倍に。家計は逼迫(ひっぱく)し、言いあぐねていると、婚約者から「難民を受け入れたい」と提案された。 フェイスブックで投稿後、すぐに支援を求める複数の人から返信が来た。 「5歳の息子と8歳の娘がいます。まだお部屋は空いていますか?」
■帰れると信じて
ポーランドに住む那覇市出身の東優悟さん(25)は、ウクライナから避難した2家族6人を3月上旬から自宅で受け入れている。 両家族とも首都キエフから5~18歳の子どもを連れて数日かけて国境を越え、やっとの思いでたどり着いた。マーシャさん(35)は夫をウクライナに残し、8歳の娘と5歳の息子と共に避難。息子には戦争が起きていることを伝えていない。避難のため電車を乗り継ぎ家から家を転々としている状況を「ゲーム」だと思っているという。 ロシアには親戚がいる。ロシア軍がキエフに侵攻した当初、爆撃で街が破壊され、目の前で人が死んでいる街の様子をありのまま伝えた。親戚からは「ウクライナ政府のうそだ。だまされちゃいけない」。その言葉が忘れない。真実が伝わっていない状況にがくぜんとした。 マーシャさんは「戦争で仕事も家も何もかも1日で奪われた。今はただ、自分の失ったものを全て返してほしい」と視線を落とす。「物語みたいな話だけど、明日戦争が終わってウクライナに帰れると信じている」と言葉を紡いだ。 東さんは受け入れ家族への衣食住の提供や仕事探しなども手伝う。自身のフェイスブックで寄付を募り、日本だけでなく、アメリカやアイルランドなどから約40万円が集まった。駅にいるウクライナ難民にも食べ物や毛布、長時間の移動に備えて子ども用のお絵かきノートなどを配っている。
■国を失った過去
各国で最多の約180万人(14日時点)の難民を受け入れるポーランドでは、「草の根」的に市民の支援の輪が広がっている。炊き出しのほか避難民の都市間の送迎を一般市民が自主的に行う。自宅へ難民を招き入れる人も少なくない。 東さんは「日本にいた時はこれだけ多くの難民や、たくさんの市民が支援している様子を見たことがなかった」と驚く。 ポーランドは第2次世界大戦時、ナチス・ドイツとソ連に侵攻され、国を失った過去がある。東さんの婚約者でポーランド人のマルタさん(25)は、曾祖母をナチス・ドイツに殺された。「同じような経験をさせてはいけない。私たちがウクライナを助けることは義務だと思う」と明かす。
■児童施設を計画
沖縄も激しい地上戦を経験した。東アジアでも外交関係の緊張が取り沙汰される。東さんは「戦争で今まで普通の暮らしを送れていた人が、突然国を追われている。難民になりたくてなっている人はいない」と遠く離れた国で起きていることに想像力を働かせてほしいと訴える。 いつまで戦争で混乱した状態が続くのか、不安が募るが、何ができるか考えることはやめないつもりだ。「地元のNGOと協力して難民の子どもたちを預かり、食事を提供する児童施設を造る計画を立てている」。そのために自身のフェイスブックなどを通して国内外に寄付を募り、支援を呼び掛けている。(社会部・玉城日向子
「見て見ぬふりできない」寒さに震えるウクライナの子 自宅で避難民を受け入れる25歳の日本人(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース