人口減少に歯止めをかけないで、
人口増加をし続けない国は、
やがては、国として、民族としての、
のアイデンティティーを失い、
文化的、人口的に、他民族に侵入され、衰えていきます
前から何度も言っておりますが
まずは、人口減少に歯止めをかけることが先決ですが、
やがては、日本総人口、2億人~3億人、
を、”夢見て”
計画しないと、
100年後、数百年後には、個性も特徴もない、
つまらない、悲しい国に、なってしまいます。
それには、
不妊治療
妊娠
出産
育児/子育て、
育休
保育園・幼稚園・託児所、ベイビーシッター、ナニーなど、
総合的に、国が、計画しサポートしなくてはなりません。
もちろん、生まれた時からのシングルマザーや、
のちの離婚などの経過による、シングルマザー
貧困家庭
大学院まで、すべての教育無償、プラス、120%援助。
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これらを即、しないと、本当に、”ダメな国”になります。
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一番、重要なことを、、どんな専門家も、政治家も、運動家も、
気づいておりませんし、
コメントしませんが、
女性の健康な母体が一番重要です。
それには、
「小学校高学年からの、ダイエット信仰/信奉」に歯止めをかけ、
と、
「太っているのは、社会的に、も*ない???」という、
世間の「大変間違った、”風潮”」
を、女性陣/女子たちに、押し付けているために、
日本女子は、自分たち自身や、学校仲間、社会的に、
プレッシャーを感じ、
自己ダイエットをし過ぎ、
「成長しきっていない」ことが、
非常に、多いのです。
要は、
成長不良、
成長が止まる前に、自分たちで、食事制限などをしてしまうために、
日本の女子などの多くは、成長しきっていないのです。
かこ40年、この地球上で、
世界一、女性の身長の成長率が、鈍い、
「いや、ほぼ、伸びておりません」(0.5mmだけです)のが、
現代の、日本女子/女性です。
世界一の、しかも、世界中の、何でもそろうグルメ王国の日本で
女性の身長は、40年間、止まったままです。
食事制限以上に、女性の成長を、止めているのは、
「椅子の生活をしないで、”床にぺちゃんこ座り”
を、
していることです」
それが、日本女子の成長を止めております。
そして、ネガティヴな面だけを取り上げて、”牛乳を批判したり”
稲作農家を支援するために、お米主体の、給食や、家庭料理に、
ミルクは、会わないとか、
「馬鹿なことを言っている人たちが、今だに、、大勢いることです。」
世界一の高身長の国々
例えば、オランダ、世界一の、ミルク製品の、摂取国です。
北欧、
ドイツも、同様です。
これらの国々の国民の健康に、牛乳接種で、「問題が発生しておりますか?」
逆に、日本でも、特に、ミルク摂取量が少ない、
沖*県は、本土より、身長が、***ですし、
フィリピン、東南アジアの、大都市や、都会以外の、
田舎で育った女子たちには、
「冷蔵インフラが今だに、不備なため、ミルクが簡単に、手に入りずらく、
ミルク摂取の普及が、遅い地域で育った女子たちには、
日本女子くらいの、身長の女性がいるのも事実です。
ミルクがあまり普及していなくても、
「椅子の生活をしている中国や半島の女性」
の平均身長は、
日本女性より、軽く、5cm高いです。
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日本女子の、「成長不良」には、
上に述べたように、身長もそうですが、
それに伴って、「日本女子の腰幅の問題」です
外見的な、腰幅だけでなく、
成長不良による、女性の妊娠などをつかさどる器官の
〈成長不良〉と、『発達障害』です。
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要は、
1) 20歳まで、女子たちに、「不勉強な、未・知識な、ダイエットは、させない」こと
2) 床に座る、”ぺちゃんこ坐は禁止”させること
3) ミルクを今の3~5倍以上、成長期に飲ませること
4) 20歳未満の女子が、10kg~15kgくらいの
体重オーヴァーでも、”寛大な社会”と認識を、
日本全国民や、メディアに、浸透させること。
5) 小中高、民間、でも、
「健全・健康な成長のための、”体育”(や、エクササイズ)の普及」
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こうして、女子を、完全に、自由に、自然に、成長させ、
腰幅とその(周辺)子宮などの成長を促し、
必要な時期に、妊娠が、しやすくなることを促すべきが、
「最重要課題です」
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日本女性は、完全に、大人の女性としての未成長で、
小さすぎて、のちの、妊娠・主産・育児などに、大問題を、起していることを、
専門家、政治家、日本女性、日本メディアともども、
認識させて、
改善させるべきで、
そうしませんと、「人口減少に、歯止めがききません」
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ずっと、以前にも、このブログで、
私の、数人の友人(アメリカ人女性)たちは、、
この記事の女性のように、
48歳くらいでの、二人(ある人は、3人)以上のお子様を、出産しております。
二人目、3人目で、51歳の女性も、おります。
彼女たちは、日本でいうところの、「スーパー・キャリア・ウーマン」たちで、
シリコン・ヴァレーや、IT関連などの、
経営者、
投資家、
副社長、
などなどで、「責任も、ストレスもたいへん多い、超・ハード・ワーカーの女性たち」です。
彼女たちは、自分の人生でも、「ガッツのある女性たち」です。
ある一人は、婦人科の博士でもあり、52歳くらいでも、二人目を、出産しており、
Mother’s Milk(マザーズ・ミルク)」(お母さんのミルク、母乳)の研究者で、
(前にも、2度くらい、書きましたが)
彼女は、、5歳になるまで、(自分自身の研究のみならず)
自分の高齢出産の子供に、母乳を、与えておりました。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)
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打ち明けられなかった妊娠 48歳で出産した記者が語る現実【高齢出産のリアル】
不妊治療が4月から公的医療保険の対象となります。生まれてきた子の14人に1人が体外受精で誕生する世界有数の「不妊治療大国」の日本で、治療を受ける人がさらに増えると見込まれています。でも、不妊治療は、金銭面だけでなく、心身ともにかなりの負担を強いられます。治療を周りに打ち明けるか悩み、パートナーと溝ができることも。そんな高齢出産のリアルを40代で不妊治療を始め、48歳で出産した記者(51)がつづります。
「卵子の老化」が変えた楽観主義「まだ時間あるよね」
高齢になればなるほど、自然に妊娠できる確率は低くなる(イメージ)
「40代で産んでいる人も結構いそうだし、まだ時間あるよね」 私の20代、30代はそんな楽観主義で過ぎていきました。35歳以上の初産を高齢出産と呼びますが、周りで増えている印象があり、有名人の40代での出産ニュースもよく目にしたからです。 昔から子ども好きで、いつかは子どものいる家庭をと思いながら、「まずは仕事を一生懸命やって、妊娠、出産はその後に」と考えていました。国内外で転勤を重ねるうち、40代に突入してしまいました。 30代後半からは結婚、出産できないのかと焦り出しましたが、「この先、結婚はないか」とエンディングノートを買ってシングルとして生きる未来を考えていた41歳で、のちに夫となる同い年の男性とお付き合いを始めました。ほどなく私たちを驚かせたのが「卵子の老化」のニュース。加齢とともに卵子は老化するため、健康でも妊娠しにくくなるというのです。目を背けていた現実を突きつけられた気がしました。
突きつけられた成功率、40代では…
不妊治療を受けても、加齢とともに子どもを授かる可能性は低くなります。日本産科婦人科学会によると、体外受精に進んでも、1回の治療で出産した割合は、30歳代半ばまでは約20%で、40歳では10%に下がります。 加齢と妊娠の関係について、産婦人科医で埼玉医科大教授の石原理(おさむ)さんは「加齢により卵子の染色体異常の割合が高まります。妊娠率は低下し、流産率は上昇。子宮筋腫などの合併症や、妊娠中の高血圧や糖尿病も増えます。若いほうが低リスクで出産できるのは間違いありません」と話します。 卵子のもととなる細胞(原始卵胞)は、女性が生まれたときにはすでに体の中にあり、年齢と同じだけ年を重ねるわけですから、老化して不具合が出るというわけです。でも、私にそんな知識はありませんでした
43歳で始めた不妊治療、なかった「ビギナーズラック」
現在の不妊治療の流れ。4月からは人工授精や体外受精も保険適用になる
結婚したのは43歳。その年齢では体外受精で出産に至る確率は4%まで下がり、流産率は48%に跳ね上がります。「無謀なことは承知の上。やれることはやらないと後から取り返しのつかない後悔をする」と、周回遅れの治療を始めました。 最初にトライしたのは、医師に排卵日を予測してもらい、自然妊娠を目指すタイミング法でしたが、1~2回試しても妊娠できませんでした。 次のステップとしては、子宮内に直接精子を注入する人工授精がありますが、これも1回受けた程度。高齢で時間に余裕がない私たちは、すぐに高度な体外受精に切り替えました。 体外受精は卵子を体外で精子と受精させる方法です。採卵で取り出した卵子に精子をふりかけて受精させますが、精子の動きが悪い場合などには、顕微鏡を見ながら卵子に精子を直接注入する顕微授精を行います。 採卵は膣(ちつ)から超音波で卵巣を見ながら針を刺し、中にある卵子を吸い出します。局所麻酔をかけたり、細い針を使って無麻酔で行ったりと、クリニックでもやり方に違いがあります。私は採卵で鈍い痛みを感じることが多く、気が重いプロセスでした。 ビギナーズラックを期待した最初の体外受精は撃沈。クリニックで結果を聞いた後に出社しなければなりませんでした。会社のトイレで一人になると涙がこぼれ、目の赤さが引くまでトイレで待っていました。
先の見えないトンネル、転院を繰り返す
そこから私の不妊治療の専門クリニック巡りが始まります。出社前の早朝にクリニックの扉前で並んで開院時間を待ち、待合室でパソコンを開いて仕事をすることもありました。 自分に合う治療を求めて、2回クリニックを変えて3院目で出産にいたる妊娠にこぎ着けました。不育症の検査などのために通ったクリニックも含めれば、全部で七つの医療機関に通いました。「自分の卵子ではもう無理か」と、卵子提供を手がける海外クリニックの国内説明会をのぞいたこともありました。 採卵の後には移植が待っています。受精卵を数日培養させた胚を移植する方法のほか、受精して細胞が進んだ胚をいったん凍結保存し、女性の体調など様々な環境が整った段階で移植する方法もあります。凍結させると成功率が高くなるとされ、日本では広く普及しています。私たちは主に、顕微授精で得た胚を凍結させてから移植して妊娠を目指しました
私が通ったクリニックでは、受精が成功した後に凍結保存できる基準にまで育ったかを指定時間に電話で尋ねる仕組みになっていました。胚の細胞分裂が順調に進めばよいのですが、クリニックの凍結基準に届かないこともあります。 会社の机を離れて廊下で何度電話をかけても「話し中」。やっとつながったと思ったら「今回は凍結できませんでした」と言われ、つらい気持ちで席に戻り、何事もなかったかのようにふるまうのが苦痛でした。 採卵や移植を受けるごとに十数万から二十数万単位でお金が飛んでいきます。自治体の助成金の制度はありましたが、対象は妻の年齢が43歳未満。私はすでに対象年齢から外れており、確定申告の医療費控除で少しなりとも還付を受けるしかありませんでした。
可能性ゼロではない、迷路に入り込む
不妊治療のつらいところは、可能性がゼロではないという点です。できることは何でもやろうという考えになりました。45歳で、ある処置を受けるためにかつての通院先に行くと、以前に診察を受けたことのある男性医師が「あなた、まだ体外受精やってたんだね」。限りなくゼロに近い可能性にかけながら頑張っていただけに怒りがふつふつと高まりました。
不妊治療で支払った領収書。今振り返ると「こんなに…」と驚く。当時は必死だった
46歳で初期の流産も経験しました。初めてきちんと妊娠した後の出来事で、人前ではポーカーフェースを保ちながら心の中で泣きました。 47歳で受けた通算10回目の移植では「もう妊娠は無理だろう」と思いました。もう採卵はやめて、以前に凍結した胚の移植に専念していたころです。「この先、夫と2人でどう生きようか」と考えることが増えました。気負いゼロで臨んだのに、妊娠判定で医師から予想外の「おめでとうございます」の言葉が。うれしくてたまらなかったのですが、新たな不安との闘いがその日から始まりました。
会社のトイレで脂汗 自分との闘い
多くの人に報告してハッピーなマタニティーライフを送りたかったのですが、リスクが高い高齢出産では、胸を張って「妊娠してます!」と言えませんでした。 妊娠を続けるために、私の場合は1日2回、ある薬を腹部に自己注射する必要がありました。夜はたいてい会社のトイレで。注射を打とうとすると、手に脂汗がにじんできます。「怖い。打てない」と自分と格闘しました。流産の経験もあるため、不安も強かったのだと思います。 妊娠中のトラブルは、産休に入ってから多少高血圧になった程度で済み、2019年春に、帝王切開で3000グラム台の女の子を出産しました。出産直後の手術室で、医療スタッフが小さな赤ちゃんを胸元に置いてくれました。「幸せ」と喜べればよいのですが、何年も不安続きだったため、生まれたての子をこんな場所に置いて「大丈夫?大丈夫?」と言っていたような記憶があります。 そんな娘は今、保育園に通い、落ち葉拾いやアンパンマンが大好き。娘の成長を見守る中で私の不安は少しずつ和らぎ、自身の経験を隠さなくてもよいのかな、と思えるようになりました
なぜ、不妊治療が増え続ける?
高齢で不妊治療を続けるのは身体的にもメンタルでも、さらには金銭的にもハードです。それなのになぜ、治療する人が多いのでしょうか。埼玉医科大の石原理さんは、二つの理由を挙げます。 「一つ目は、日本に限りませんが、女性の社会進出とともに初産年齢が上昇し、子どもを持つ優先順位が後回しになったこと。二つ目は、日本では『結婚して実子を持つ』という伝統的な家族観のもと、血のつながりにこだわること。養子や里子を迎えたり、未婚のカップルが子どもを持ったりといった多様な家族のスタイルが教育現場で伝えられず、いろいろな家族がいていい、と気付くチャンスが少ないのです」 私の20代後半は、何より仕事が中心でした。20代で結婚した同級生たちを見て「早まるのはもったいない」と思っていました。今なら当時の自分に、「子どもがほしいのならそんな考えじゃダメ!」と説教するところです。 結婚するか、しないか。子どもを持つか、持たないか。生き方の選択は一人一人に委ねられていますし、どの選択肢も尊重されるべきです。ただ、女性は年を重ねると卵子の老化問題にぶつかるため、子どもを望むのなら妊娠しやすい年齢を意識してライフプランを考えたほうがよさそうです。思うように相手に出会えなかったり、なかなか妊娠できなかったりということもあるかもしれませんが、先々のことを心配してもきりがありません。おおらかな気持ちで歩んでいただければと、苦労した51歳は思います。 不妊治療は妊娠の可能性を高めますが、確約するものではありません。それぞれのカップルの年齢や仕事、家庭の状況を踏まえて、治療について話し合うことが大切です。子どもを望む人の願いがかなうような社会の後押しも欠かせません。
プロフィル
遠藤 富美子(えんどう・ふみこ) 読売新聞東京本社英字新聞部記者。1995年に入社し、北海道支社、マニラ支局などを経て2017年から21年10月まで生活部。不妊体験者を支援するNPO法人「Fine」認定の不妊ピア・カウンセラーの資格を持つ。 ※この記事は読売新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です
打ち明けられなかった妊娠 48歳で出産した記者が語る現実【高齢出産のリアル】(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース