コロナ禍で日本を離れた元在日ドイツ人の告白「日本の人種差別に耐えられなかった」
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パンデミックによって日本に入ろうとする外国人の入国が厳しく制限され、危機感を強める経済界からも批判が高まっている。そんな状況を受け、東京で成功しつつあったのに日本を離れることを決意したドイツ人の声を独誌が伝える。
うまくいっていた東京での仕事
独誌「シュピーゲル」の記者が、世界28ヵ国に住むドイツ人の声を、『メコン川で昼食を』(未邦訳)という著書にまとめた。 そのなかには、日本に9年ほど住んだドイツ人男性の声も掲載されている。 大学時代にアジア研究をしていたある30代前半のドイツ人男性は、学部在籍中に日本に留学をする機会を得て、その後も日本のドイツ系組織で働いた。 その後、知り合った「日本のクラブシーンのプロモーターや日本のアーティストたちと協力し、電子音楽の祭典を東京で開催した」そうだ。同イベントは日本では初開催だったが、世界各地で開催されているもので、その後東京でも定期的に開催されるようになった。 彼は「イベントで東京のナイトライフをひっくり返すこと」を目指していた。未来的なイベントを企画し、若いアーティストにプラットフォームを提供することで、「実際に変化をもたらしているという手応え」を彼は感じていた。 そして、この仕事だけで生計が立てられるようになり、大手企業のイベントも開催するようになるなど、活躍の場も増えていった。
日本を離れるしかなかった理由
しかし、彼はすでに日本を離れ、2021年夏に北米に引っ越したという。 それは、パンデミックが起き、「ビザ、滞在許可証、労働許可証を持っていたにもかかわらず」、9ヵ月間も日本に戻れなかったのが要因だ。「法的地位を持っていても、外国人の基本的権利が危機時に否定される国では、長期的な未来を想像することができなかった」という。 また、彼は「質の高い」日本の生活を楽しんでいた一方で、「以前からヨーロッパに帰りたいと思うことが時々あった」そうだ。というのは、どれだけ東京での暮らしに溶け込もうと努力しても、対等に扱ってもらえなかったためだ。 日本にいる間、彼は「言葉を覚え、上下関係や暗黙のルールに従い」、東京での生活に溶け込むために何でもしたそうだ。しかし、「日本に30年住み、日本人の奥さんがいて、言葉が堪能な教授でも、同様に扱ってもらえない」という現実を目の当たりにした。 「日本人は意味があるように思えないルールも受け入れ、厳しいヒエラルキーを疑うこともほとんどない」ことから、自分は「対等になれない」と悟っていた。 さらに、日常的にあった「人種差別には我慢ならなかった」。日本では、ヨーロッパ人は「良い外国人」として扱われるものの、外国人がアパートを借りたり携帯電話を持つ際に追加料金を支払わなければならず、何年経ってもクレジットカードを申し込めなかったりと、外国人として明らかに不利な対応を受けた。 しかし、日本を離れた後も、日本にいるアーティストを海外に派遣したり、海外のアーティストを日本に派遣したりと、「カルチャーの媒介者」のような役割を果たしているそうだ
日本の魅力を失わせる外国人の入国制限
2021年10月の「日経新聞」の記事によると、外国人の新規入国が大幅に制限されたため、在留資格の事前認定を受けながら入国できない人の数は37万人に上るとされる。 英紙「フィナンシャル・タイムズ」によると、ソーシャルメディアなどインターネット上の不満の声を見る限り、足止めを食らった外国人の多くは日本に行くことを諦めているという。実際、日本のソフトパワーが今回ほど急速に失われることはかつてなかったと、最近日本のある上級外交官も同紙に認めた。 日本国内でも、日本の評判や長期的な利益の低下を懸念する声が高まり、日本の水際政策を見直すよう求める団体が増えている。この内向きな政策により日本市場からグローバルファンドの資金が長期的に引き上げられることを金融関係者は懸念し、研究者たちは、国際競争力の源泉となる研究が妨げられ、将来的に海外から人材を集められなくなると警告する。 しかし、外国人の入国制限は圧倒的多数の日本人が支持する政策であり、その解除がすぐに進むようには思われない。しかし、その間にも日本に対する興味、競争力の低下が今後も続くことが懸念される。
COURRiER Japon