車、鍾乳石…なんでもある“超巨大スーパー”。20歳店長に聞く、驚きの品ぞろえ

bizSPA!フレッシュ

自動車売り場。都心では考えられないスケールの大きさだ

 

 

 

 人口2万人あまりの小さな町、鹿児島県阿久根市。ここに「A-Zあくね」という東京ドーム約3.6個分もの敷地をもつ、日本有数の品ぞろえを誇るスーパーマーケットがあることをご存じだろうか。 

 

 

⇒【画像】東京ドーム約3.6個分の敷地で365日24時間営業の「A-Zあくね」 

 

 

 

その広大な店をまとめているのが、弱冠20歳だというから驚きだ。一体、どんな人物が仕切っているのだろうか。店長である田村修野(しゅうや)さんの素顔に迫りたい。

40万アイテム以上を取り揃える

――全国でも有数の巨大なスーパーマーケットですが、創業当時からこんなに大きかったんですか? 

 

田村修野さん(以下、田村):運営会社のマキオホームセンター自体は1981年の創業ですが、最初は普通の規模のホームセンターでした。

 

1997年にスーパーマーケットになる時に今の大きさになったと聞いています。

 

 

 ――商品数はどのくらいあるのでしょうか?

 田村:現在は品目数で40万アイテム以上を揃えています。この間調べたら、ここ1年で新規登録した商品が4万点ありました。入れ替えや廃盤になる商品もあるので、それが純粋に増えるわけではありませんですが、年間で1~2万点ずつ増えていってますね。

「ひとつの店で全て揃う」がモットー

醤油だけで100種類以上の品ぞろえ

 

――なぜそこまで商品を増やしているんですか?

 田村:「ひとつの店で全て揃う」がモットーで、店名も「AからZまで全て揃う」という意味を込めてつけられています。その背景には牧尾英二代表の「お客様の要望に全て応える」という思いがあります。 

 

 

――高齢者の多い地域で、例えばインターネットを使って要望を聞くのは難しいと思いますが、どのようにお客さんの要望を聞いているのですか?

 田村:「1秒でも長く売り場にいて、お客様の声を聞け」と教わってきましたので、お客様と直接たくさん話して要望を聞いています。お客様と友達のようになっている従業員もたくさんいるので、要望が言いやすいみたいですね。

過疎化が進む故郷に店を開いた

自動車売り場。都心では考えられないスケールの大きさだ

 

 

 

 

――都市部の周縁ではなく、なぜ人口も少ない阿久根市に作ったのですか?

 田村:代表が、過疎化が進み商店街が衰退して生活に欠かせない買い物が不便になっている地方都市を見て「不便な場所を便利にしたい」という思いを抱き、故郷である阿久根に店を開いたということです。

 

 

 ――広さや品数が目立ちますが、商品やサービスのへのこだわりはどんなところですか?

 田村:商品数につながるかもしれないんですが、1つのものでもお客様に選んでいただくことができるところです。例えばお惣菜などは、普通のスーパーは1メニューで1種類しか置けないことがほとんどだと思います。その点、うちは1つのメニューでも安いものからちょっといいものまで何種類も置けるので、選んでいただくことができます。  それから、魚の美味しさですね。阿久根市は魚が美味しいことで有名なんですが、毎朝市場で仕入れたものを並べています。うちのように、大きな魚をまるまる一匹で売っているスーパーは、あまりないと思います

 

 

 

鍾乳石は高いもので1215万円

鍾乳石

――「他のスーパーには売ってないだろ」と思う商品はどんなものがありますか? 田村:自動車や鍾乳石まで売っているのは当店だけだと思いますね。それから、五右衛門風呂も売ってます(笑)。 ――五右衛門風呂、値段さえ想像つきませんが(笑)。 田村:本体と枠を合わせて約13万円になります。ちなみに鍾乳石は高いもので1215万円です。 ――スーパーで払う額じゃないですね(笑)。広大だからこそのエピソードはありますか? 田村:迷子はちょくちょくありますね。それと建物内部も広いので、先日のテレビ取材では店内でドローンを飛ばして撮影していました(笑)。

敷地内に日用品だけを扱うコンビニが

敷地内にはコンビニも

――逆に大きすぎて困ったことはありますか? 田村:お客様が、店の端っこで商品の場所ををスタッフに尋ねたら、反対の端まで歩かなきゃいけないということはありますね。 ――高齢の方には特に辛いですね。何か対策はされていますか? 田村:よく使う日用品だけ買い物をしたい方のために、敷地の中にコンビニも作りました。そこに、スーパーで売っているものを持って行って販売しています。コンビニは普通、定価で売られているところがほとんどだと思うんですが、スーパーと同じ値段で売っているので日本初のディスカウントコンビニとしてスタートしました。 ――商品までの距離もそうですが、目的の商品があるエリアを見つけるのも大変そうですね。 田村:「広すぎてどこに何があるかわからない」って、今朝も言われました(笑)。わかりやすくポップをつけたり、スタッフには「尋ねられた商品がどんなに遠い場所にあっても、その商品の前まで一緒に行くように」という教育をしています。

なぜ20歳で店長になれたのか

田村修野さん

 

 

――20歳の若さで店長ということが驚きですが、どういった経緯で店長に?

 田村:まず言っておかなくてはいけないのが、うちの代表は私の祖父なんです。

 

 

 ――では、先代の店長がお父様ということですか?

 田村:いえ、代表の血縁関係の中で店長になったのは私が初めてですね。代表はもともと、身内を会社に入れるのは好きではなかったようです。私も、孫だからと特別扱いされるのは好きではなかったので、他の方はアルバイトやパートから半年くらいで社員になる人が多いんですが、私はアルバイトとして1年勉強させてもらいました。

 

 

 ――ではなぜ、この若さで店長にまでなれたのだと思いますか?

 田村:自分ではなんとも言いにくいですね(笑)。経緯だけ話すと、前店長が交代するという話になった時に歴代の店長が私を推薦してくれたと聞いております。店長になった後に祖父からも「まさかお前にするとは思わなかった」と言われました(笑

 

 

 

 

4人の店長代理が支えてくれている

――上司だった人が部下になったりも多いと思うがやりにくさはありませんか? 田村:最初は変な感じもしましたけど、「上には立ったけど、店長という仕事をイチから勉強させてもらう」という意識でいるので、やりにくさはないです。4人の店長代理にすごく支えてもらっています。元上司だったりしますので、私が言いにくそうにしている時は店長代理に頼んで指示を出してもらうこともあります。 ――店長として心がけていることは? 田村:平社員のときより高まったのは「見られている意識」ですね。従業員からはもちろんですし、こうしてメディアにだしていただく機会もあって、お客様にも認知いただいているので、お客様への振る舞いも以前より自覚をもってやっています。

引継ぎらしい引継ぎはなかった

目移りしてしまいそうな総菜売り場

 

 

 

――この広大な土地と膨大な商品数。管理する大変さは? 

田村:確かに大変ではありますね。ただ、ひとつひとつの商品を全て完璧に把握する必要はないと思っています。うちは34部門に分かれており、それぞれに主任を置いているんですが、その主任たちを取りまとめるのが店長としての仕事だと思っています。

 

 

 ――なにか管理のための特別なノウハウやツールはありますか? 

田村:全くないです。

 

うちはマニュアルを作らない会社と謳っていますので。

 

 

店長になるときも、引き継ぎらしい引き継ぎがこんなにないものかと思いました(笑)。ですので、一から従業員とコミュニケーションをとって作っています。

 

 

 

 ――店長として、重要だと思うことは? 

田村:「お客様に迷惑をかけないように店を回すこと」が店長の仕事だと思います。そう考えた時に、人員配置について従業員の能力や性格を見ながら適切に動かすのが重要だと考えています。

 

 

 

 =====  休みの日は畑で土いじりをするという田村店長。

言葉の端々に初々しさが溢れているが、しっかりした信念と覚悟を感じられる青年だった。

 

 

超巨大スーパーは、これからもこの若い店長とともに成長していくことだろう。 

 

<取材・文/Mr.tsubaking>

 

車、鍾乳石…なんでもある“超巨大スーパー”。20歳店長に聞く、驚きの品ぞろえ(bizSPA!フレッシュ) - Yahoo!ニュース

 

 

 

bizSPA!フレッシュ 編集