ピッチャーで、肩を一度壊したら、ほぼ、完治は難しいです。
12歳くらいまでの時代は、
(自分ながら、日本一の部類????くらい思っておりましたが、----)
13歳くらいの時、一度、投げた時、肩を壊し、
その後の人生、、いまだに、野球ボールを
『”通常の投げ方”で、(怖くて?)したことがありません!』
そのくらい、自分自身が知っております。
その代わり、違う投げ方で、
遠投は、常に、日本一(????)レヴェルくらい、遠くに、投げられました。
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悲愴感はなく、穏やかな顔をしていました。こんな活躍できない息子を、多くの方たちが支えてくれている……僕以上に父は感謝していたんだと思います。
右ヒジの靭帯は繋がり、痛みもなくなりましたが、
右肩の故障はどうにもならなかった。
人生は選択の連続――挙げればキリがないほどの選択を重ねてきましたけど、
「ハンカチ王子」と持ち上げられながら、同時に「できすぎだ」「人生そんなに甘くない」と思っていた。高校卒業後すぐにプロに進んでも、もしかしたら1年間ぐらいは勝てていたかもしれません。
むしろ僕が最も後悔しているのは、
’12年のシーズン最終盤での選択です。右肩の疲れが抜け切らず、筋肉痛がずっと続く嫌な感覚があったのに、僕は投げ込みをやめなかった。
それぐらい意固地というか、必死でした。
<斎藤が描いた未来予想図は「プロでローテを守りながら何年も二ケタ勝利を挙げる」だったが、プロ通算成績は15勝26敗。防御率4.34だった
――「ハンカチ王子」という十字架を背負わされて、大変な野球人生でしたね。 皆さんそう言ってくださいますが、結果を出すことに必死でたしかに苦しかったけど、大好きな野球がこんなにも長くできて、僕は幸せでした。
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