タモリの四ヶ国語麻雀
タモリ 四ヶ国語麻雀
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タモリ テレビの世界に最初に導いてくれた大恩人とは…「芸人以上に芸人魂を持ってまして」
タレントのタモリ(76)が28日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。自身をテレビの世界へと導いてくれた恩人について語った。 番組ではまだ無名だったころのタモリが1977年8月に「徹子の部屋」に初出演することになった際のエピソードを披露。司会の黒柳徹子が「私とタモリさんの出会いって言うのが、赤塚不二夫さんが間に入って下さったんですけど。『赤塚不二夫ショー』ですかね。あのとき私が電話」と話すと、タモリも「今でも覚えてます」と答えた。タモリが1975年8月に慕っていた漫画家・赤塚不二夫さん(08年死去)の誘いで「マンガ大行進赤塚不二夫ショー」(NETテレビ)に初出演したのを見た黒柳が感動し、「今日出た人凄かった。あれ誰よ」と電話して以来、気にかけていたとした。 タモリが「赤塚不二夫さんと漫画家の人たちが、漫画がどうやってできるかって言うのを夏休みの特番でやったんですよ。そこに初めてテレビに出るときに、(赤塚さんから)『お前やれ』って言うことで。そこで何をやればいいんですかって。『何でもいいから、あれやれ、牧師のモノマネ』って言うんで、牧師のモノマネを間に入れてやってたんですけど。それを見てらしたんですね」と話すと、黒柳は「生放送って知ってたんです。だから終わったらすぐにテレビ朝日(当時はNETテレビ)の入り口のとこに電話したの」。タモリは「電話のすぐ横にいたんです。『黒柳さんから電話があった。お前の事見てて面白いから(番組に)出てほしいって言ってる』って、その場で聞きましたよ」と振り返った。
赤塚さんとの思い出を聞かれたタモリは「いっぱいありますね。芸人以上に芸人魂を持ってまして。あるときにどういう死に方をしたいかって話になったんです。
赤塚さん、『俺は人に笑われながら死にたい』って言ったんです。
これちょっと凄いでしょ」と話した
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堺正章 デビュー前のタモリの才能に「嫉妬」、放ったキツい一言「やめて九州帰れよって」
タレント、堺正章(75)が28日放送の日本テレビ「踊る!さんま御殿!!4時間SP」(後6・00)に出演し、タモリ(76)の才能に嫉妬した過去を語った。 5歳のときに子役としてデビューし、芸能生活70年。昔は、他人の欠点を見つけ「そこを攻める」ことで番組・トークを盛り上げていたという。その後「例えば」と前置き、タモリとのエピソードを披露した。「タモリが九州から出てきた時、まだデビューする前ですよ。ある方が『面白いキャラクターがいるから見てくれないか、一緒に来てくれ』って」。タモリの芸を見たそうだ。 「四カ国語麻雀」などの「密室芸的」なネタを披露したタモリ。堺は当時を振り返り、「森田君(タモリ)、やめて九州帰れよって言ったの」と明かし、「テレビじゃ向かないな、こういう芸って言って。その時は意気消沈ってなったんですけど、結局はゴーンって出た(ブレークした)」。 デビュー前のタモリに放ったキツイ言葉。堺は「よく考えてみると、僕が持っていない、いいもの持っているんです。ああいう芸を僕も認めればいいのに、認められないところが…」としつつ、「ある意味、嫉妬していたんだね。あんなことができるんだって」と吐露。「こんなやつをこの業界に入れちゃダメって、潰しかけてたんだね」と、ジョークを交えて話した。
明石家さんまは「分かる」と理解を示し、「我々M-1とかキングオブコント見ていても、こんな顔(しかめっ面)してますからね。かぶるやつはおらんかー、って安心してテレビを切るんですけどね」とコメント。「いないでしょ、さんまさんとかぶる人!」のツッコミが入る中、堺は「それがあって、みなさんを傷つけたりしていたけど。今は本当に人をほめるようになった」と語っていた
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