ピュリツァー賞を2度、NYTコラムニストが退社 州知事選に出馬か
ニューヨーク・タイムズ(NYT)は14日、コラムニストのニコラス・クリストフ氏(62)が退社したと報じた。出身地の、オレゴン州の知事選への立候補を検討しているためという。クリストフ氏はNYTで北京支局長、東京支局長などを務めた後、01年にコラムニストとなり、世界各地の人権や貧困について積極的に執筆してきた。 NYTによると、クリストフ氏は退社に関する社内向けのメモで「これは私の夢の仕事だった。マラリア、コンゴでの飛行機墜落、ジャーナリズムを行ったことによる海外での定期的な逮捕があっても。しかし、非常に残念ながら辞職する」と伝えたという。 クリストフ氏は、妻のシェリル・ウーダン氏との共著も多い。20年に発表した「タイトロープ」(邦題・「絶望死 労働者階級の命を奪う『病』」)ではクリストフ氏が育ったオレゴン州ヤムヒルで仕事が失われたり、薬物中毒や自殺が増えたりしている様子を描いた。NYTによると、クリストフ氏は「単に問題を明らかにするだけでなく、直接治せないか、試すべきだと結論に至った」としている。 クリストフ氏は1990年、中国の天安門事件をめぐる報道でウーダン氏と一緒にピュリツァー賞を受賞。06年には、スーダンのダルフールに関するコラムで再び受賞した。(ニューヨーク=中井大助)
朝日新聞社
========================================================================
下が、奥さんのWiki です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シェリル・ウーダン | |
---|---|
![]() シェリル・ウーダン(2012年10月) |
|
原語名 | Sheryl WuDunn |
生誕 | 1959年11月16日(61歳)[1]![]() |
出身校 | コーネル大学 (B.A., 1981)[2] ハーバード・ビジネス・スクール (M.B.A.) プリンストン大学 (M.P.A.) |
職業 | 作家、ジャーナリスト、投資家 |
配偶者 |
ニコラス・クリストフ (m. 1988) |
シェリル・ウーダン | |
---|---|
繁体字: | 伍潔芳 |
簡体字: | 伍洁芳 |
拼音: | Wǔ Jiéfāng |
英語名: | Sheryl WuDunn |
シェリル・ウーダン(Sheryl WuDunn、中国名 伍潔芳、1959年11月16日 - )は、アメリカ合衆国の投資家、作家である。
テクノロジー、ニューメディア、新興市場の成長企業に焦点を当てたシニアバンカーであり、ダブルボトムライン(英語版)企業、代替エネルギー問題、女性起業家についても取り組んでいる。ゴールドマン・サックスで個人資産管理アドバイザーを務めた経験もあり、以前はニューヨーク・タイムズ社のジャーナリストであり、同社の役員でもあった。
現在は、ニューヨークで中小企業にサービスを提供するブティック型投資銀行(英語版)であるMid-Market Securitiesのシニア・マネージング・ディレクターを務めている[3]。
中国系アメリカ人3世であり、ニューヨーク・タイムズ社に採用された初のアジア系アメリカ人記者である。中国語と日本語を多少話す。
ペンシルバニア大学とミドルベリー大学から名誉博士号を授与された。2011年秋にイェール大学ジャクソン国際問題研究所(英語版)の上級講師を務めた。また、ブルームバーグTV、NPR、『コルベア・レポー』、『チャーリー・ローズ(英語版)』などのテレビ・ラジオ番組で中国や世界情勢に関するコメンテーターとして活動するほか、国際通貨基金、世界銀行、外交問題評議会などでも講演を行っている。
目次
生涯
中国系アメリカ人の家庭に生まれ、
ニューヨーク市マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドで育った。1981年にコーネル大学からヨーロッパ史の学士号(B.A.)を取得した[4]。 バンカーズ・トラスト(英語版)で国際融資担当者として3年間勤務した。その後、ハーバード・ビジネス・スクールで経営学修士号(MBA)を取得し、プリンストン大学ウッドロウ・ウィルソン・スクール(英語版)で公共経営修士号(MPA)を取得した。
1988年に『ニューヨーク・タイムズ』記者のニコラス・クリストフと結婚した。
『ウォールストリート・ジャーナル』などを経て、1989年にニューヨーク・タイムズ社に入社し、特派員として北京支局や東京支局に派遣された。同紙では、世界のエネルギー、世界市場、海外テクノロジー、海外産業を取材し、中国の経済成長から日本のテクノロジー、ロシアの石油・ガスからブラジルの代替エネルギーに至るまで、国際的なビジネストピックを担当した。また、『ニューヨーク・タイムズ』の翌日の記事を紹介するテレビ番組『ニューヨーク・タイムズ・ページ・ワン』のキャスターを務めた。ニューヨーク・タイムズ社の戦略企画部と発行部では、次世代の新聞読者の育成に尽力した。ニューヨーク・タイムズ社の中で、報道と経営の両方のキャリアを経験した、数少ない人物の一人である。
ゴールドマン・サックスの投資運用部門で副社長として個人資産管理アドバイザーを務めた後、本を書くために退職した[5]。
1989年の天安門事件の報道で、夫のクリストフと共に、1990年のピューリッツァー賞国際報道部門(英語版)を受賞した[6]。夫婦でのピューリッツァー賞受賞は初めてのことであり、また、アジア系アメリカ人女性記者としても初のピューリッツァー賞受賞となった。
また、中国での取材でジョージ・ポルク賞とアメリカ海外特派員クラブ(英語版)賞も受賞している。
2009年には、クリストフと共にデイトン文学平和賞(英語版)の生涯功労賞を受賞した[7]。
2011年には、『ニューズウィーク』誌の「世界を動かす150人の女性」の一人に選ばれた[8]。
2015年、彼女はONE Campaignが署名を募っていた公開書簡に署名した。この書簡は、ドイツ首相のアンゲラ・メルケルと南アフリカの政治家のヌコサザナ・ドラミニ・ズマ(英語版)に宛てられたもので、新たな開発目標を確立する2015年9月の主要な国連サミットにおいて、開発資金の優先順位を設定する際に、ドイツにはG7の、南アフリカにはアフリカ連合を代表して、女性に焦点を当てるように促すものである[9]。
書籍
役職
ウーダンは夫との共著で4冊の本を出している。
China Wakes: The Struggle for the Soul of a Rising Power(日本語訳『新中国人(英語版)』)と
Thunder from the East: Portrait of a Rising Asia(日本語訳『アジアの雷鳴(英語版)』)は、
東アジアの文化的、社会的、政治的状況を、インタビューや個人的な体験を通して考察したアジア研究書である。
3冊目の本はHalf the Sky: Turning Oppression into Opportunity for Women Worldwide(日本語訳『ハーフ・ザ・スカイ(英語版)』)[10]で、この本を元にした PBSのドキュメンタリー番組で、ウーダンは賞を受賞した。
『ハーフ・ザ・スカイ』はFacebookのゲームにもなり、110万人以上がプレイした。
2014年に刊行された4冊目の本A Path Appears: Transforming Lives, Creating Opportunityは、利他主義が我々にどのような影響を与え、どのように変化をもたらすかについて書かれている[11]。
財務委員会や投資委員会など、
10年以上にわたってコーネル大学の評議員を務めた。
また、プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクールの諮問委員を長年務め、
2013年には同窓生からプリンストン大学の理事に選出された