泉ちゃん、だあああああい好き!
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しかし、この記事の写真家、ひどいですね!
泉ちゃんを、全然奇麗に取れていません、
疲れや、
年令や、
妻として、母としての、”何か”が、出すぎております。
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光ちゃんと、ママ(涙浮かべています)の、動画です。
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みんなと違うことが、別に気にならなかった――嫌みなく自然体、森泉の「育ち方」
配信
エキゾチックな顔立ちと抜群のスタイルを誇るファッションモデル森泉(38)。一児の母となった現在、一緒に暮らしている動物は、約30匹。DIYの達人としても知られ、その個性的なライフスタイルはいつも注目の的だ。パリの社交界名簿にも名を連ねるセレブリティだが、誰からも愛される天真爛漫なキャラクターは、いかにして育まれたのだろう。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル特集編集部、文中敬称略)
アメリカ人の母と、「いたって普通の生活」だった
世界的ファッションデザイナーの森英恵を祖母に持つ、正真正銘のセレブリティ。 しかし(いや“だから”なのか…)森泉は広く「いい人」として知られている。バラエティ番組で見るトークは嫌味がなく自然だし、一緒に仕事をした人々も森の性格の良さを称える。 取材の日も、幼い娘を連れて笑顔でスタジオに入ってきた。 テーブルにスマホをポンと置くと、「OK!」と一言、スッとカメラの前に立った。 その場の雰囲気をパッと変える、フレンドリーなたたずまい。無邪気な表情に、こちらも笑顔になる。娘が椅子に座っておとなしく人形遊びをしている間に撮影は終了した。 「いたって普通の生活でしたよ。母はアメリカ人なんですけど、当時国際結婚もめずらしい中で、働きながら私たち5人きょうだいを育ててくれました。はじめは日本語もあまりわからなかったみたいだし、大変だったんじゃないかな。そもそもママモリが、仕事で海外を飛び回って、頑張ってきた人。働く強い女性たちを私は身近で見てきましたから、それが普通なんだと思ってました」 森家では、森英恵のことを「ママモリ」と呼ぶ。 「私たちも全然過保護に育てられたわけではなくて。小猿たちがしっちゃかめっちゃかやってるって感じ。みんなキャラが濃くて喧嘩ばかりで、毎日ハプニングの連続でした」 5人きょうだい全員が、名門慶應幼稚舎出身。 2つずつ歳の離れた上の4人で、いつも一緒に過ごしていた。 「けっこうワイルドな子育て(笑)。学校に通ってる時も、みんながきれいな手作りのお弁当を持ってくるなかで、私たちはハムとかレタスを挟んだフランスパン、みたいな。コーンシリアルだけの時もあったかな。100円がコロンと入ってて、『牛乳買ってね』とか(笑)」 「当時はみんなブランドのセーターを着たりしてるんだけど、基本的に私はお兄ちゃんのお古。なんでもパカパカ買ってもらえるっていう感じではなかったですよ。みんなと違うということが、別に気にならなかった。4人一緒だったから、安心感がありましたね
厳しい父と、「バレなければいいよ」と好きなことをさせてくれた母
森英恵のクールなビジュアルから、勝手に「森家の家訓」は厳しそう、と想像してしまうが……。 「ママモリも母も、『こうでなきゃダメ』っていう押し付けは一切なかった。でも、父は厳しかった。昔はすごい亭主関白で。自分で冷蔵庫を開けたこともなければ、お風呂を入れたこともない。さすがに最近の父は自分で冷蔵庫を開けるし、お茶も出すようになってますけど」 祖母や母よりも、父が怖かった。ジャンクフードに炭酸飲料は禁止、テレビは1日1時間までだった。 「でもね、全部こっそりやってた(笑)。母は『バレなければいいよ』って、好きなことをさせてくれた。そこはバランスよかったと思いますね。母も、父と喧嘩すると、『もういい!』って出てって、ママモリの部屋で愚痴を聞いてもらってました。美味しい赤ワインをご馳走になって、すっきりして戻ってくる。ママモリは、家族みんなの相談役なんです」 今は父にもとても感謝している。 「高価なプレゼントをもらったことはなかったけど、何よりも教育にお金をかけてくれたことはありがたかったですね。一人で飛行機に乗れるようになったら、小学生のうちからアメリカの祖母の家に行かせてくれたり、サマーキャンプ、留学とか、とにかく『海外へ行ってこい』って」
パリの「社交界名簿」に名を連ねるも、アルバイトは失敗の連続
有名な一族だけに、ネットには森家に関するさまざまな情報が飛び交う。 なかには大げさな噂や嫉妬まがいの憶測もあるが、出回るセレブ伝説はどれも、森家への憧れと注目の高さを示していそうだ。 ちなみに「パリの社交界名簿に名を連ねている」話は事実だ。森三姉妹は全員、フランスで社交界デビューを飾っている。森も、「ママモリ」がデザインしたオートクチュールのドレスとミキモトのネックレスを身につけ、パリの高級ホテル「オテル・ドゥ・クリヨン」での“ル・バル・デ・デビュタント”でデビューした。この時、『ヴォーグ』誌の編集長アナ・ウィンターや、ロシアのミハイル・ゴルバチョフの娘たちも一緒にデビューをしたという。 そんなセレブの中のセレブだった森も、若い頃はコーヒーショップでアルバイトをしている。 「へえ、ネットにはそんなことまで載ってるの? やだあ……ほんとですよ(笑)」 はじめからファッションモデルを目指していたわけではない。「大勢の前で、水着でランウエイは恥ずかしくてできないかも」くらいの感覚だった。 一時はアメリカで大学進学するか、日本に帰るか迷ったという。 「両親は、高校を卒業したら日本に戻ってきて欲しかったみたいで、『帰ってくるなら、犬を飼っていいよ』って。それまでペットは小動物しかダメだったから、嬉しくて! それで帰国したんですけど。父は、アルバイトなんて絶対反対。もちろん内緒でやりました。最初は、友達と一緒に原宿のコーヒーショップで。お金を稼ぐのってこんなに大変なんだ! ってビックリして、すぐ辞めちゃって。歯科助手もやりました。バキュームってあるでしょ、あれで間違えて患者さんのベロ吸っちゃったり、失敗だらけ。数年ぶりに暮らす家族とちょっと折り合いが合わなかったりして、そんな私を救ってくれたのが、ディエゴだったんです
何もかもが自由だったアメリカでの学生生活から、親との生活へ。アルバイトをしながら、服飾の専門学校に通い始めた。そんな時、初めての愛犬となった「ディエゴ」は、山の中で拾われた保護犬だ。お互いに新しい環境で、支え合うようにして過ごした。 「はじめは噛んだりして、けっこう大変だったんですけど、愛情をかけるほど、信頼関係が生まれて。どこでも必ず一緒でした。父と喧嘩すると、ディエゴが間に入ってきて、ワーン!って怒るんですよ。いつでも私のことを守ってくれた」 ディエゴはその後増えていくペットたちの「長男」的な存在に。その後も動物との関わりを深めながら、モデルとしての才能を花開かせていく。 「毎日同じことを繰り返すという仕事が向いてないんだなって、バイト体験でよくわかりました。ひょんなことからモデルをするようになって、それも最初はバイト感覚だったんですけど、時間もまちまちだし、毎回違う人に出会ったり、そういう変化のある生活が合っていたと思います」 モデルになって数年後、初めてハナエモリのファッションショーに参加したとき、ママモリの凄さを実感した。最前線で活躍するトップモデルたちからランウエイのイロハを学び、大いに刺激を受けた。
「私の勝手で飼っている」 愛すべきペットたち
嫉妬、中傷、八つ当たり。時として誰かから放たれるマイナスオーラも、その天然の明るさで跳ね除けているように見える。 「嫉妬されるのはないと思うけど、しょうがないよ。本当に周りに恵まれているのはありがたいですね。子育てしながら仕事できるっていうのは、周囲のサポートもすごくあるので」 怒ったり、落ち込んだりすることはあるのだろうか。 「ありますよ! 勝手にイライラして、ウワーッてなる時も。でもね、旦那さんが、全然怒らないんですよ。いつもニコッとしてるから、怒る気も失せちゃう。だからほとんど喧嘩にはならないですね」 2018年に一般男性と結婚して、現在は3人家族。たくさんのペットたちに囲まれ、賑やかに暮らす。犬が7匹、カメが3匹、スッポンモドキが1匹。トカゲ3匹、鳥が16羽、さらにフェレットと豚が一匹ずつ。なかには、車椅子の犬もいる。 「私の勝手で飼っている」ことは十分わかっている、と言う。 「『そんなにいろいろたくさん飼って……』とか、言われちゃうこともあるんですけど、縁があってうちに来てくれた動物たちに、私は本当に癒されているんです。私がディエゴに救われたこともあって、今は動物たちに恩返しをしている気持ちもあります
夫も、子どもの頃からさまざまな動物を飼ってきたという。ペットの世話は、家族全員で取り組む。 「動物との暮らしに理解がある相手じゃないと、私は無理だから(笑)。一緒に楽しめる人だから、ありがたいですね。結婚した時も、ノアの方舟みたいに動物たちを運んだんですよ。子どもが生まれてから、より感じるようになったんですけど、とにかく、元気が一番。人間も動物も、食欲がなくなるとダメ。みんながモリモリご飯を食べているところを見ると嬉しい。よく食べ、よく眠ること、単純ですけど、それが幸せの秘訣かな」 インタビューの終わり、眠気がピークに達していた娘は、森の膝に顔を埋めていた。「待っててくれてありがとうね」そう娘に英語で優しく伝えると、手をつないで立ち上がった。 「ありがとう~!いろいろ話せて、今日は楽しかった!」 笑顔で去っていく、美しい母子。 ああ、きっとこの娘も、母親同様に気持ちの優しい女性に育つのだろう