日本周辺の主要海峡での海峡横断泳の実績は以下の通り

海峡 方向 距離 氏名 日付 時間 備考
津軽海峡 北→青 27km スティーブン・レッドモンド 1990年7月 6時間16分  
青→北 6時間34分  
北→青 五十嵐憲 1999年7月 11時間30分  
青→北 藤田美幸 2005年8月30日 11時間36分  
宗谷海峡 日→露 43Km 五十嵐憲 2002年7月 20時間1分  
対馬海峡 日→韓 56Km 2003年7月 18時間37分 3日に分けて実施
奥尻海峡 奥→北 27km 2006年8月14日 13時間30分  

津軽海峡の単独横断泳に初挑戦したのは当時国士舘大学学生だった中島正一(1967年8月27日)であるが、中島は途中3回ほど漁船につかまって休息をとったため公式な記録としては認められていない。

 

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海峡横断泳[編集]

狭義の遠泳とは質的に異なる、冒険的要素を含んだスポーツである。第一に泳ぎ切る事に意義がある。多くは単独泳(当然、支援船・支援者は多数)だが、リレー形式をとることもある。10時間を超える場合もあり、体温の維持、水分・栄養分の補給に十分な配慮が必要である。挑戦者が多い有名な海峡横断泳では記録が公認されるなどの組織的な活動が見られる。有名な海峡横断泳には、ドーバー海峡横断泳(イギリス・フランス)、ロットネス海峡横断泳(オーストラリア)、オーシャンズセブン制覇などがある。

2013年9月2日14時前、64歳の女性ダイアナ・ナイアド英語版)が5度目の挑戦でサメ除けケージなしでは史上初めてフロリダ海峡キューバハバナ〜米フロリダ州キーウェスト間)の約110マイル(177km)を、53時間で泳ぎ渡った(8月31日9時前出発

 

 

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国後島から海路で北海道に ロシア人男性、亡命を希望?

朝日新聞デジタル

国後島から北海道標津町へロシア人男性が渡ったとみられるルート

 

 

 

 北方領土の国後島に住むロシア人男性が19日、根室海峡を渡って約20キロ離れた対岸の北海道標津町に現れたことが、関係者への取材でわかった。男性は同日、標津町内で北海道警に保護され、札幌出入国在留管理局に移送された。ノーボスチ通信は「ウエットスーツを着て泳いだようだ」との消息筋の話を伝えた。 

 

 

【写真】国後島が間近に見える北海道標津町の海岸。町に現れたロシア人男性の住む村は対岸のすぐ近くにある=2021年6月、標津町薫別 

 

 

 同通信によると、男性が日本に亡命を求めているとの情報があり、在札幌ロシア総領事館が札幌出入国在留管理局と連絡を取っている。同管理局は総領事館に対し、「現段階で国籍と身元の特定に努めている」などと伝えたという。  国後島をロシア側で管轄するサハリン州南クリル地区行政府がインタファクス通信に明らかにしたところによると、男性は40歳前後で、ウラル地方ウドムルド共和国のイジェフスク出身。3年前に国後島に移住してきたという。イジェフスクはカラシニコフ自動小銃の生産で知られる。  男性は、極東地域の土地1ヘクタールを希望者に無償で提供する制度により、国後島の最南部で標津町に最も近いゴロブニノ地区(日本名・泊)に土地を得たという。  地区行政府のあるユジノクリリスク(日本名・古釜布)の南方42キロのドゥボボエ村などで暮らし、時おりトラクター運転手などをしていたという。  インタファクス通信に対して行政府関係者は「今月17日に姿が見えなくなり、失踪が疑われたため、家を調べたところ、日本のポスターなどが見つかった。彼は日本文化を愛していた」と説明。「19日になって失踪した彼が根室の近くの標津に現れ、保護された」と話しているという。(大野正美)

朝日新聞