【真実】私がマッチングアプリで出会った男に、530万円盗られた本当の理由
だまされる人、だまされない人の違いは何か
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だまされたくない、とは誰もが思うことではないでしょうか。だまされやすい人と、だまされにくい人には、話の聞き方にどういった違いがあるのでしょうか。 【書籍】『LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる』ケイト・マーフィ・著 本稿では、『LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる』より、詐欺師のだましの手口の項目を一部抜粋、編集し紹介します。 ●つじつまが合わない会話をそのままにしておくと、だまされる はっきり言っておかなければならないことがあります。それは、嘘はたいてい、お互いの共同作業であるという点です。 そこには、嘘をつく人物と、自分の聞きたいようにしか聞かない人物が登場します。人は「自分はそんなのに引っかからない」と平気で言いますが、もし愛しているよとか、金持ちになれる、病気が治るなどと言われてしまったら、その言葉を信じたいあまりに聞く力がどれだけ損なわれてしまうか、まったく気づいていません。 悪名高い詐欺師メル・ワインバーグ(映画『アメリカン・ハッスル』でクリスチャン・ベールが演じた役は、ワインバーグがモデル)は、嘘つきと聞き手の共同関係をとてもよく理解していました。だからこそ、FBIは1970年代後半、あるアメリカ上院議員と連邦議会議員6人を捕まえるため、「アブスキャムおとり捜査」にワインバーグを送り込んだのです。「人が苦境にいて金を求めていたら、希望を与えるのが私の哲学だ」と、ワインバーグは1982年、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に話しています。 「自分にできることは何もない、と言ってしまったら、相手の希望を台なしにすることになる。だれにだって希望は必要だ。だからこそ、ほとんどの人は私らを警察に通報しないんだ。私らが言っていることは本当だと望み続けているから」
優れた聞き手は、だますのも、だまされていることを察知するのも上手
詐欺師は被害者よりも生まれつき聞き手として優れているわけでもなければ、人間的に欠陥が少ないというわけでもありません。両者の違いは、詐欺師は「聴く」ことが稼ぎになるため、聞き手としてより多くの場数を踏んでおり意欲も高いという点です。複数の研究により、意欲の高い人ほど、物事を正確に認識できることがわかっています。詐欺の被害者は、そのときの自分の生活にとって詐欺師のつくり話があまりにも魅力的なため、正確に話を聞けないのです。 つまり、優れた聞き手とは、だますことも、反対にだましを察知することも得意だと言えます。自分がだまされたときのことを思い返してみると、正直に言って、そのときは気づけなかった点や、意図的に気づこうとしなかった点があったはずです。 急かすような言い方、事実を並べてもなぜかつじつまが合わない、質問をすると相手が語気を強める、もしくは怒る、言っていることと顔の表情が何か一致しない、なぜかはわからないけれど、胸がざわざわするなどです
つじつまが合わない会話をそのままにしておくことが、だまされる原因
私たちは、嘘や真実をしょっちゅう見逃しています。というのも、だれかがあまり筋の通らないことを言っても、ほとんどの場合、私たちはそこで会話をとめて「ちょっと待って。戻ってくれる? よくわからなかった」とは言わないからです。日常の会話では、たいていの場合に人は首をかしげるだけで、話を続けてしまいます。そこまですることないや、と思ってしまったり、どういう意味か想像できると思ってしまったりするからです。 また、頭の回転が遅いと思われたくないために、説明を求めたがらないということもあります。冗談で言ったのではないのに相手が笑い出した、という経験は何回ありますか? そして相手の話がさっぱりわからないのに、うなずいて見せたことは何回ありますか? おそらく数え切れないほどでしょう。 ミシシッピ大学でコミュニケーションを研究するグレアム・ボディは、「理由が何であれ、相手の言っている意味がよくわからないときに、人は話をとめて尋ねるのを躊躇(ちゅうちょ)してしまうものです」と言います。ボディは学術的な研究に加え、企業向けにコンサルティングも行っています。特に、営業担当者向けの、より効果的な聞き手になる研修に力を入れています。その中でボディは必ず、つじつまが合わない会話を取りつくろうことは絶対してはいけない、と教えています。重大な失敗の最大の要因だからです。 「ありとあらゆるものに意味がある、ということを前提にしなければいけません。もし何かが腑(ふ)に落ちなければ、注意を払う必要があります」とボディは説明します。 「腑に落ちないとき、ほとんどの場合は何か変だと思っても話を続けてしまうものです。しかしそこでとめて、確認しなくてはいけません。たとえば、“今あなたは〇〇と言ったけど、私はよく理解できませんでした”などと言いましょう」
わからなかったところをきちんと確認すれば、気づくチャンスを見逃さない
曖昧な点をはっきりさせなかったために起きた悲劇の例は、枚挙にいとまがありません。スペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故、リーマン・ブラザーズの崩壊、そしてアメリカで年間約25万人が命を落としている医療事故――。 では、私たちの日常にあふれる限りなく小さな誤解はどうでしょう? 影響はそこまで破滅的でないにせよ、重大であることに変わりありません。「あぁ、そういう意味か!」と膝をたたいた回数以上に、気づくことのできない誤解はまだまだあるのです。傷ついた思い、見逃したチャンス、台なしにしてしまった仕事、すべてに対して私たちは無頓着すぎます。これもひとえに、ちゃんと話を確認するなんて面倒だと思ってしまったからです。 意見の相違と同様に誤解というものは、人は自分とは違う――もっと言うと、似ても似つかない、という大切な事実を思い出させてくれます。人が本当に理解できるのは自分だけです。ですから、世の中を自分の視点からしかみられないのは自然なことです。他人の論理や動機は自分と似ているものだと、私たちは決めつけをしてしまいます。しかし当然ながら、人は違う物語を持ち、違う心の傷を抱えています。 こうしたことを私たちは頭では理解しています。にもかかわらず、自分の予想や想像を超えた考えや行動をだれかがとったりすると、人と自分は違うと突然思い知らされ、衝撃を受けてしまいます。ということは、誤解はチャンスと見ることもできるのではないでしょうか。 誤解は頭痛の種ではありますが、人の話をもっと注意深く聞いたり、もっと深く質問したりするためのインスピレーションのもとにもなります。
ケイト・マーフィ