イエナプラン教育(イエナプランきょういく、ドイツ語 Jena-Plan)とは、ドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターゼン(Peter Petersen, 1884 - 1952年)が 1924年に同大学の実験校で創始した学校教育。 子どもたちを『根幹グループ(英語ではファミリー・グループを訳されることが多い)』と呼ばれる異年齢のグループにしてクラスを編制したことに大きな特徴がある
ドイツにおける発展[編集]
ペーターゼンは、第2次世界大戦前、イエナ大学の実験校で、6歳から15歳までの子どもを対象にした学校教育、幼稚園、特殊教育でイエナプラン教育を実践した。ナチスの支配期には同校は政治的圧力のもとに置かれつつも閉校されることなく存続し、それが、今日まで、ペーターゼンの政治的立場を批判する論評の原因ともなっている。第2次世界大戦後、ペーターゼンは大学実験校の存続と、再編成を試みるが、イエナが共産圏に置かれ、ペーターゼンは共産主義政府当局に対立し、同実験校も1949年に閉校となった。その後、ペーターゼン自身は西ドイツに亡命し、1953年に亡くなっている。西ドイツでは、1950年代と60年代にいくつかのイエナプラン校が設置されたが、ペーターゼンの死亡や東西ドイツ対立などのために、ドイツ国内ではあまり大きな発展をしなかった。むしろ、下記に述べるように、オランダでの発展が先行し、現在、ドイツにおけるイエナプラン教育は、再興運動として行われているものと、オランダでの実践に倣って設立されているものとがある。ただし、オランダに比べると学校数は少なく、教育界における影響力も比較的小さい。
オランダにおける発展[編集]
現在、イエナプラン教育が最も盛んなのはオランダである。また、オランダにおけるイエナプラン教育は、ペーターゼンが打ち立てた基礎に基づきつつも、さらに、フレネ教育や欧米各地の無学年制の学校や異年齢学級の実践からの影響も大きい。 オランダに初めてイエナプランを紹介したのは、スース・フロイデンタール・ルッター(Suus Freudenthal-Lutter, 1908‐1986)で、彼女は、当時オランダの新教育運動の母体組織であった「養育・教育刷新研究会(de Werkgemeenschap voor Vernieuwing van Opvoeding en Onderwijs、WVOと略)』の国際交流部門の秘書だった。スース・フロイデンタールがイエナプラン教育に出会ったのは1950年代であると言われているが、イエナプラン教育がオランダの教育者たちに公的に広く知られるようになるのは、1964年に「イエナプランによる教育刷新」というテーマでWVOの全国総会が行われてからである。この総会には、生前、夫ペーターに協力してイエナプラン教育の発展に努めたエルゼ・ペーターゼンも招かれていた。その後、1969年には『イエナプラン教育財団』が設立され、財団関係者の交流のために、季刊誌「ペドモルフォーゼ」が刊行された(1981年に廃刊)。オランダで最初のイエナプラン校は1962年に設立されている。以後、オランダ憲法第23条の「教育の自由」により認められた『教育理念の自由』『学校設立の自由』『教育方法の自由』などの好条件に支えられて、イエナプラン教育を採用する学校は順調に普及発展を遂げ、現在では、オランダ国内に約220校のイエナプラン小学校(4‐12歳児)があるほか、数校の中等学校もある。現在は『イエナプラン教育財団』に代わり「オランダ・イエナプラン教育協会」が設置されており、毎年、参加校の教員及びイエナプラン教育の専門家を集めて全国総会を開催するほか、「メンセン―キンデレン」という季刊誌を発行して、イエナプラン教育関係者の間の交流を深めている。
オランダ・イエナプラン教育の特徴[編集]
ドイツに起こったイエナプラン教育とオランダのイエナプラン教育の最も大きな違いは、後者が「オープンモデル」を強調している点である。それは、イエナプラン教育を、形式的・原理主義的に模倣する「メソッド」としてみなす立場を否定し、ペーターゼンが打ち立てた基本的な考え方を『コンセプト』として共有しながら、教育関係者が独自の個別の状況に合わせて、自分自身で応用的に実践することを勧めるものである。そのために、オランダ・イエナプラン教育協会では、独自に『イエナプランの20の原則』を考案、1991年の全国総会で文言を全会一致で承認。以後、オランダのすべてのイエナプラン校は、この「20の原則」を学校要覧に掲載し、生徒や保護者に明示して教育活動を展開することとなった。
日本における紹介と運動[編集]
ペーター・ペーターゼンの「小さなイエナプラン」は、1984年に明治図書出版が刊行した『学校と授業の変革:小イエナ・プラン』(三枝孝弘・山崎準二訳)で紹介された。オランダにおけるイエナプラン教育の実践については、長く知られていなかったが、2004年に、リヒテルズ直子が『オランダの教育―――多様性が一人ひとりの子どもを育てる」(平凡社)の中で紹介し、さらに、2006年に「オランダの個別教育はなぜ成功したのか―――イエナプラン教育に学ぶ」で詳細を紹介している。
2010年10月11日、日本でイエナプラン教育に関心を持つ学校教育関係者、研究者、一般市民らが集まり、リヒテルズ直子を代表として「日本イエナプラン教育協会」が設立されている。2016年夏には、初の全国大会を名古屋で開催した。2019年には長野県佐久穂町で日本で最初のイエナプランスクールが開校し、注目を集めている
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生徒の76%が移住者」入学希望が殺到する"長野県の小学校"の授業内容
配信
■「子どもの76%が県外地からの移住者」 そんな小学校が、長野県は佐久穂町(さくほまち)にある。2021年で開校3年目を迎えた、「学校法人茂来(もらい)学園 大日向小学校」である。
【図表をみる】大日向小学校の1日のスケジュール。時間割は教科で区切られておらず、「あそび」の時間もある。
開校当初、佐久穂町内から大日向小へ通う子どもは8人しかいなかったが、今では38人に増えた。それに伴い、長年減少傾向にあった町の人口がわずかながら増えた月もあるという。 多くの世帯が移住するほど魅力的な小学校とは、一体どんな場所なのだろうか? 開校当初から校長を務める桑原(くわはら)昌之(まさゆき)氏と教頭の宅明(たくみょう)健太(けんた)氏※、そして娘が大日向小に通う保護者のやつづかえりさんに話を聞いた。 ※肩書はいずれも取材当時
■日本で唯一の「イエナプラン」認定校 大日向小は、1924年にドイツで発祥し、オランダで発展した「イエナプラン教育」をベースにした私立小学校だ。イエナプランとは、子ども一人ひとりの違いや個性を尊重し、社会で自立しながらも、他者と共生できる人物を育てていくことを目指す教育の考え方である。 2021年6月時点、日本でイエナプランを採用し、専門の機関から認定を受けている小学校は大日向小のみだ。 桑原校長はこう話す。 「学校は地域の公共財。子どもだけじゃなく保護者も教職員も地域の方々も、学校を中心にして皆が幸せになれる、そんな場所を目指しています。いわゆるクラスは『ファミリーグループ』と呼ばれ、異学年で構成されています。現在は、1年生~3年生まで交ざった教室が3クラス、4年生~6年生まで交ざった教室が2クラス。中等部(フリースクール)に通う中1~中2の生徒も9人、同じ教室で学んでいます」
■「サークル対話」「仕事」…時間割も独特 大日向小の1日はどうなっているのだろうか。 保護者のやつづかさんによると、毎朝スクールバスで8時30分までに登校し、「サークル対話」で一日が始まる。これは、グループリーダー(担任教員)と子どもたちが円状に座り、あるテーマについて話し合ったり、週末の出来事や一日の予定を共有したりする。日によっては読み聞かせもあるという。 時間割は教科で区切られておらず、カリキュラムは、学習指導要領にのっとって編成されている。 ワールドオリエンテーションは“イエナプランのハート(核)”と呼ばれる「教科横断的」な学習で、カリキュラムの中心となっている。1週間のうち7時間が充てられ、2年で7つの領域について学ぶという。 その学びに必要な事柄や基本的な学習事項は、ブロックアワーの時間に学ぶ。子どもたち自らが「仕事」と呼ばれる課題をスケジュールに落とし込み、1週間ごとに振り返りを行う。
■「自分以外はすべて外の世界」という考え方 「ワールドオリエンテーションは、『自分以外はすべて外の世界』という考えなので、決してワールドワイドという意味ではないんです。道端に咲いている植物を観察したり、学校法人でお借りしているプルーン畑で摘果から収穫、販売までのルーティンを体験したり。 例えばプルーンの果実ひとつとっても、なぜここにプルーンの実がなって、なぜ畑があるのか? という問いにつながります。すると、大日向地区の農業や歴史、気候という理科的な要素にまで関わってきますし、販売では国語や算数の力も必要です。探究活動と教科学習を連動して行う、そんなサイクルを大事にしています」 また、公立小と違うのは「何時間目」という区切りがない点だ。1年生~6年生まで全学級が15時10分(水曜日は13時10分)に授業を終了する。
■宿題はなし、ゲームでも自然でも遊べる ある日の校内では、このような声も飛び交う。来客に「校長先生はいますか?」と問われた児童が、「校長先生はあっちです。くわまーん(校長のあだ名)!」。「ねぇ、たくみょう(教頭のあだ名)ってさ、苗字なんていうの?」「……宅明が苗字だよ」(教頭)。教師と子どもが同じ目線にいるのも特徴だ
普段はもちろん、夏休みなどの長期休暇にも宿題は出さない。やつづかさんは、子どもたちの様子についてこう話す。 「ゲームやポケモンカードなど都会の子と変わらない遊びもしつつ、学校や学童の時間では、身近な自然の中でよく遊んでいます。最近娘のクラスでは、校庭にある使われていない動物小屋にいろいろなものを持ち込んで、秘密基地づくりを楽しんでいるようです」 保護者のひとりが運営する学童は、ほかの保護者も「サポーター」として関わり、アットホームな雰囲気だという。
■全校生徒136人のうち104人が移住者 もうひとつの大きな特徴は、移住者の割合が高いことだ。全校児童生徒136人(小学校127人+中等部9人)のうち104人が移住者で、うち96人が県外からの移住。もともと佐久地域に住んでいる児童は、残りの30人ほどだという(2021年6月時点の情報)。 桑原校長によると、「北は北海道から南は九州までさまざまですが、東京から佐久平(さくだいら)まで新幹線で1時間20分で来られることもあり、やはり首都圏からの移住が多い」そうだ。 北陸新幹線の佐久平駅から佐久穂町までは、車で20~30分。移住組の児童104人のうち約3割が、母子移住または父子移住だという。「仕事の関係でお母さんが東京にいるご家庭もあるし、それぞれのライフスタイルに合わせて選択されている」そうだ。
■「東京に多様性はあるのかな」と考えるようになり… 2020年春に東京から母子移住したやつづかさんは、娘の進学先に大日向小を選んだ理由をこう話す。 「最初は、『公立小学校で多様なお友達と仲良くなれば、それでいい』と考えていたんです。横浜の公立校で育った夫も同様の考えでした。けれど、娘が大きくなるにつれて、『今の東京の環境に多様性ってあるのかな? 』と考えるようになって」 ある日近所の人と話した際、小学校卒業後に私立中学を受験するのが当然という空気を感じとったという。 「小学校生活のどこかで受験をする、しないの選択をせねばならないという実情を知ったんです。『しない』という選択肢もあるにしろ、多くの親が受験を選ぶと。これはきっと、3~4年生になる頃には周りの子が塾へ行き始めて、娘も私も影響を受けそうだな、と思いました」 夫に相談すると、そうした事情に同じ懸念を示した。また、やつづかさんには、子育てにある“こだわり”があったという。 「娘には、受験勉強をさせるよりも実体験から学んでほしいんです。学校だけでは得られない、さまざまなことを」
内気な娘に小学校生活がこなせるのか 娘は内気で周囲に気を遣い、自分の考えをすぐに言葉に出すことが苦手な性格だったという。0歳から通う保育園はゆったりとしていて、自分のペースで過ごせていたが、小学校ではそうもいかない。周囲に合わせて動かねばならない小学校生活が気がかりだった。 そんなとき、当時はまだ開校前の大日向小理事の長尾(ながお)彰(あきら)氏と仕事を共にしたことから、大日向小に興味をもった。夫妻で入学体験や説明会に参加し、出会った教職員の雰囲気や言動からも、イエナプラン教育の理念を具現化しようと努力していることが感じられたという。 「もともと『学校と深く、ポジティブに関わりたい』という気持ちがあったんです。イエナプランはそもそも対話や社会との関わりを重視しているので、親の関わりも歓迎されていて、そういう意味でも『ここなら娘に合いそう』と夫と話しました」 娘を大日向小に通わせるためには、当然移住するしかない。夫は都内の会社に勤務しているため、母子2人での引っ越しだ。娘が自分のことを自分でできるようになってきていたことや東京との行き来のしやすさから、迷いや不安はほとんどなかった。「夫は、ゆくゆくは長野で副業先を見つけて東京との2拠点居住なども視野に入れつつ、ひとまずは東京に残ることになったんです」
■「卒業したら東京に帰る」という選択肢も 夫も大日向小への進学に前向きで、移住することに不安はなかったが、それでもやつづかさんには心配ごとが1つあった。それはやはり娘の気持ちだ。娘は当初、「引っ越したくない」「保育園のみんなと同じところに行きたい」と、友達が誰もいない学校へ行くことに後ろ向きだったという。 「実際の授業を見学させてもらえる“学校見学”の日の朝は、『行きたくない! 』とふてくされていたんです。そこで、娘にこう話しました。 『大日向小は、いろいろな人がお互いに話し合って、協力し合って生きていけるようになるための練習を大事にしているんだよ。それは、大人になってからも大切なことだから、小学校で練習できるのはすごくいいことだと思う』 『あなたは、心の中ではたくさん考えていても、なかなかほかの人に言えないことがあるでしょう。イエナプランの学校だったら、自分の気持ちを話せるようになるんじゃないかな、と思うんだ』」 やつづかさんは、イエナプランのコンセプトを娘にも分かりやすいようにかみ砕き、「なぜ必要だと思うのか」を丁寧に説明した。娘は最後まで納得こそしていなかったものの、「じゃあ、小学校だけだよ。小学校が終わったら東京に戻るからね」と言うようになったという。 「そうだね。卒業して、東京に帰りたかったら帰ろう。それまでの間に、どうしても合わなければほかの小学校へ行ってもいいよ。夏休みには、保育園のお友達にも会いに行こうね」

