モン族系

 

400万~500万人
居住地域
中華人民共和国の旗 中国 3,000,000
ベトナムの旗 ベトナム 1,068,189 (2009)[2]
ラオスの旗 ラオス 460,000 (2005)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ 260,073 (2010)[3]
タイ王国の旗 タイ 151,080 (2002)
フランスの旗 フランス 15,000
オーストラリアの旗 オーストラリア 2,190[4]
フランス領ギアナの旗 フランス領ギアナ 2,000[5]
カナダの旗 カナダ 830[6]
アルゼンチンの旗 アルゼンチン 600
ドイツの旗 ドイツ 500
言語
モン語
宗教
Ub Dab (モン族のシャーマニズム), 仏教キリスト教

 

 

歴史

モン族はミャオ族と同様に三苗に民族的起源があり、古代には洞庭湖付近から揚子江下流域にかけて居住していたと考えられる[7]18世紀初頭から、漢族に押し出される形で徐々に南や南西方向へ移動を始めた。

第一次世界大戦期の1918年から1921年にかけて、インドシナ北部でフランスタイ族領主からの収奪に反抗し、モンの独立を究極の目標としたパー・チャイの反乱英語版)を起こしている。

第一次インドシナ戦争第二次インドシナ戦争のときに、フランスとアメリカはお互いに北ベトナムおよび共産主義者パテート・ラーオの武装勢力と闘うため、ラオスのモン族を数十万雇った。

ラオス領内におけるアメリカの反共破壊工作は「ラオス秘密戦争」と呼ばれ、CIAが指揮を執った。ラオス領内には、北ベトナム軍が南ベトナムのベトコンに支援物資を送るための「ホーチミン・ルート」と呼ばれる補給路が存在した。ラオスは中立国だったが、米軍はこの補給路を断つため総量で200万トン以上におよぶ爆撃を行った。ラオスへの爆撃はニクソンによる北爆停止宣言後も行われるほど執拗なものだった。

この爆撃と並行して行われたのが、バン・パオ将軍率いるモン族部隊による補給路の破壊工作である。CIAは金属すら見たことのないモン族に銃の使い方から戦闘機の操縦法まで、ありとあらゆることを教え込んだ。モン族の部隊は破壊工作のほか、「サイト85」とよばれる米軍のレーダー基地の守備にもあたった。彼らはラオスの首都ヴィエンチャンから北へ約200キロほどの場所にあるロンチェンの秘密基地を本拠地とした。この基地は1960年代〜70年代当時は地図にも記載されておらず、「世界で最も秘密の場所」と呼ばれた。前述のバン・パオ将軍の家もこのロンチェンにあった。

アメリカがベトナム戦争に敗れると、モン族は見捨てられ行き場を失った。彼らの多くはベトナム軍、ラオスの共産勢力、パテート・ラーオの三者による掃討作戦で返り討ちに遭い、女、子供も含めて虐殺された。数十万のモン族が政治亡命を求めタイに逃げた。これらの難民数千人が1970年代後半から欧米諸国、主にアメリカ、またオーストラリア、フランス、フランス領ギアナカナダ、および南米に移住している。その他は国連の本国送還プログラムのもと、ラオスに戻った。ベトナムとカンボジア内戦をめぐって対立したタイや、中越戦争でベトナムやラオスと敵対した中国によって支援されたモン族による反政府活動も起きた[8][9][10]

ラオス国内ではゲリラ化したモン族による抵抗闘争や、山賊化したモン族による犯罪が散発的につづき、この問題がいまだに解決していないことを示している

 

Wiki

 

 

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金メダリストはモン族系 逆境はねのけ初の快挙 米体操女子スニーサ・リー

配信

時事通信

体操女子個人総合で優勝した米国代表のスニーサ・リー選手=7月29日、東京(AFP時事)

 

 

 

 東南アジアの少数民族「モン族」にルーツを持ち、体操女子個人総合で優勝した米国代表のスニーサ・リー選手(18)。

 

 

  【選手プロフィール】スニーサ・リー選手  

 

 

自身の故障や身内の不幸などが重なり、逆境と重圧の中で東京五輪を迎えたが、モン族系として初の金メダルの栄光を手にし、「移民の国」に興奮をもたらした。  「まるで夢のよう。まだぴんときていないもの」。リー選手は7月29日の記者会見で金メダル獲得の感想を語った。家族に起きた不幸などで「ここ2年は大変だった」と振り返り、「やり切った自分を誇りに思う」と述べ、両親やコーチへの感謝を口にした。  モン族は中国南部やベトナム、ラオスなどで暮らす少数民族。米メディアによれば、リー選手の両親はそれぞれ1970~80年代に家族と共にラオスから米国に移り住んだ。現在、モン族系の人々はカリフォルニア州やミネソタ州、ウィスコンシン州を中心に30万人を超えるという。  ラオスでは75年に社会主義政権が誕生し、迫害を恐れた人々が数多く国外に脱出した。リー選手の祖父は75年に終結を迎えるベトナム戦争で、共産主義勢力と敵対していた米軍に協力。ラオス新政権下の弾圧を懸念し、米国への移住に踏み切ったとみられる。  リー選手の父ジョンさんは「モン族が厳しい生活をくぐり抜けてきたことを理解している人は少ない」と語る。移民として米国でたくましく生きるモン族は、クリント・イーストウッド監督の映画「グラン・トリノ」(2008年)で取り上げられた。最近では新型コロナウイルスの感染拡大で、アジア系住民への嫌がらせや暴力などのヘイトクライム(憎悪犯罪)も増えている。  親子の二人三脚で歩んできたが、ジョンさんは19年、はしごから転落して下半身不随に。リー選手も足を骨折したほか、新型コロナ感染で親族を亡くすなど、「(体操を)やめようと思うこともあった」と苦しかった日々を振り返る。  さらに、リオデジャネイロ五輪4冠を達成したチームメートのシモーン・バイルス選手が精神面への負担回避を理由に欠場を表明。メダルへの期待や重圧がリー選手に一気にのし掛かったが、「自分のために頑張るんだ。楽しめ」という父の言葉を胸に逆境をはねのけた。  出身地であるミネソタ州セントポールの近郊では家族や友人が大勢集まり、金メダルが決まると大歓声を上げ、喜びを爆発させた。リー選手はメダル獲得後のインタビューで「モン族の人には夢がかなうことを知ってほしい。決して諦めないで」と訴えている