宮間利之&ニューハード
チャーリー石黒と東京パンチョス
スマイリー小原とスカイライナーズ
小原重徳とブルーコーツオーケストラ
小野満とスイング・ビーバーズ
有馬徹とノーチェ クバーナ
朝比奈五郎とダウン ビーツ
野村良と東京ユニオン
松本文男&ミュージックメーカーズ
見砂直照と東京キューバン・ボーイズ
などなど、
私の記憶が、正しければ、
今、この年になって、思い出しただけでも、
上のいくつかのバンドが、思い浮かびました。
昭和の戦後は、
いくら、貧しかったとはいえ、
信じられないほど、
たくさんの、ビッグバンドが、日本には、存在したものです。
l
l
l
l
l
原さん、「ご冥福を、お祈りいたします」
===================
ジャズのサックス奏者・原信夫さん死去、94歳…「シャープス&フラッツ」リーダー
ジャズのビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」のリーダーとして活躍したサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名・塚原信夫=つかはら・のぶお)さんが21日夜、肺炎のため東京都内の病院で死去した。94歳だった。告別式は近親者で行う。
富山市出身。海軍軍楽隊に入隊し、終戦後は進駐軍相手にクラブで演奏、1951年にシャープス&フラッツを結成した。カウント・ベイシーやデューク・エリントンらの米国の一流楽団の演奏スタイルを吸収。躍動感のある演奏が海外の音楽家からも注目され、60年代にはアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズやベイシー楽団と共演。ナット・キング・コールらの来日公演時には、バックバンドを務めた。
その一方で、「日本人ならではのジャズ」の確立を目指した。67年には、米国ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。「ソーラン節」などを演奏し、高い評価を得た。江利チエミさんや美空ひばりさんと共演し、原さんが作曲したひばりさんの「真赤(まっか)な太陽」も大ヒット。60~70年代にかけ、NHK紅白歌合戦で紅組の伴奏を務めるなど、歌謡曲の世界にも貢献した。
バンドは2006年に結成55周年記念コンサートを成功させ、10年にグランドフィナーレ公演を行った。1988年に紫綬褒章、98年に旭日小綬章を受けた