こういう記事は、可哀そうすぎて、

 

読みたくありません。

 

 

 

この記事では、イギリスでは、

 

ヴェトナム人は、ネイルサロンで、簡単に働けて、稼ぎもよい、と

 

書いてありますが、

 

シリコン・ヴァレーやサンフランシスコでも、やはり、ネイルサロンは、

 

ヴェトナム人です。

 

しかし、マンハッタンは、95%、赤くて辛くて臭くて酸っぱい漬物の国の女の人

 

ですし、しかも、 その多くが、インチキ(?)保険請求で

(要は、彼らの同族の医者に行って、”さかまつげ”という症状で訴えれば、

二重の手術が、保険で、してもらえるのです)

 

 

二重にしている人も、相当多いです。

 

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ベトナムの経済発展と海外労働者派遣

ベトナムは2019年までの5年間、年平均7%近い国内総生産(GDP)の成長を実現した。製造業の工場など北部と南部に外国企業の投資が集中し、大都市では富裕層が現れている。

だが、農業が中心の中部は発展が遅れ、政府は失業対策や経済対策の面から海外への出稼ぎを奨励してきた。16年の統計によると、ハティン省とドータインがあるゲアン省からの海外出稼ぎ労働者は合計約2万7000人。63ある省と市のうち、この2省で海外派遣労働者全体の5分の1を超える。英国の事件では、亡くなった39人のうち31人が両省の出身だった。

日本は昨年まで3年連続最多の派遣先で、コロナ前の19年には全体の半数を超える約8万人が日本向けの労働者だった。欧州への不法入国者は、17年の国連の推計によると年間1万8000人。2番目の労働者派遣先の台湾に次いで多い。

世界銀行によると、20年に海外のベトナム人が自国に送金した金額は約170億米ドル(約1兆8500億円)でGDPの5%を占める。東アジア太平洋地域では中国とフィリピンに次いで3番目に多い額だった。

 

 

 

 

 

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「ごめんなさい、失敗です」母にあてた最後のメッセージ 日本より稼げるとイギリスへ密航、26歳ベトナム人女性に悲劇は起きた

GLOBE+

日本にいた時のチャー・ミーさん。白い線でサインした写真が母親のフォンさんに送られてきた=家族提供

 

 

日本での技能実習を終えて一昨年6月にベトナムに帰国したファム・ティ・チャー・ミーさん(26)は、家族の反対を押し切って4カ月後、今度は英国で働こうと密入国を試み、身を隠したコンテナの中で命を落とした。なぜ英国だったのか。ベトナムの家族が明かした理由とは。(宋光祐) 

 

【写真】着物姿のチャー・ミーさんと、日本語でつづられた作文「私の夢」

 

 

 

両親によると、2019年10月3日午前、チャー・ミーさんは自宅近くのバス停から家族に見送られて、ハノイ行きの長距離バスに乗った。翌日昼には、父親のティンさんのスマートフォンにメッセージが届いた。 「車で中国に向かっています。他にもベトナム人が乗っているから心配しないで。無事に到着したら知らせるから、電話しないでください」 彼女はハノイで数時間休んでから中国に移動し、そこで10日間滞在した。具体的な滞在場所は言わず、宿泊先は快適だとだけ伝えてきたという。その間に偽造した中国のパスポートをブローカーから受け取り、空路でフランスに向かった。 ティンさんによると、17日ごろには、フランス側のブローカーの手配で英国への最初の密航を試みた。この時はコンテナの中には隠れずに乗用車で移動しており、入国後間もなく警察に捕まって、フランスに送り返されたという。 悲劇は2度目の密航で起きた。英国の警察当局や現地での報道によると、チャー・ミーさんは22日午前、フランス北部の町ビエルヌで他のベトナム人38人とトラックのコンテナに乗り込んだ。密閉されたコンテナはベルギーのブリュージュの港から船で8時間かけて英国に運ばれた。中から遺体が見つかったのは23日午前1時40分ごろ。密航を手配したグループのリーダー格で、北アイルランド出身の男がトラックの運転手に酸欠の危険を知らせ、空気を吸わせるように指示した。しかし、コンテナの扉を開けた時には、すでに全員が死亡していた。 死因は酸欠と熱中症だった。狭い空間に大勢の人が詰め込まれて内部の酸素が不足し、温度が上昇したせいだ。現場付近の防犯カメラには、運転手の男がコンテナの扉を開けた瞬間に、中にこもっていた熱気による湯気が出ていく様子が映っていたという

 

 

 

借金負った家族を助けるために

チャー・ミーさんのお墓で遺影をなでる父親のティンさん=2021年4月14日、ベトナム・ハティン省ゲン、宋光祐撮影

 

 

所持していたパスポートから、当初は全員が中国人だと考えられた。ベトナム人だと判明したのは、チャー・ミーさんがコンテナの中から母親にSNSで送った最後のメッセージがきっかけだった。送信は22日午後10時半ごろ、まだ海の上にいた時間だった。 「お母さん、ごめんなさい。私の渡航は失敗です。お父さん、お母さん、心から愛している。息ができなくて死にそう」 フォンさんは今も、そのメッセージを消せないでいる。 「日本で待ってくれている人たちに申し訳ないと思っていた」。日本の会社の同僚たちがチャー・ミーさんの死を心から悲しんでいたと伝えると、母親のフォンさんは日本ではなく英国に行くと決めた時の娘の気持ちを振り返った。チャー・ミーさんの代わりに、再会を楽しみにしていた日本の人たちに謝りたいとも言った。 チャー・ミーさんは10歳のころから、働いている両親の代わりに家事を引き受けてきた。日本での技能実習を考え始めたのは専門学校で会計を学んでいたころ。自立することを望み、卒業しても就職先がないことに悩んだ末だった。いったん大学に進学したが中退し、経済的に家族を助けられる日本行きを決心した。 英国への密航も、困難に陥った家族を自分の力で救うのが目的だった。日本での3年間では、農村部の平均月収の数倍にあたる5万円から10万円を家族に毎月仕送りした。しかし、日本に行くために借りた資金の返済や、古くなった家の修理に使うと、お金は大して残らなかった。それどころか、自営のタクシー運転手として働くために父親名義のローンで買った弟の車が事故で全焼し、家族は当時100万円を超える借金を背負った。 市場で雑貨店を営んでいるフォンさんの月収は3万円程度。父親のティンさんは工事現場や飲食店、港湾で働いてきたが、ここ数年は病気でそれもままならなくなっていた。今は目を患っており、手術を待っている。 両親は当初、チャー・ミーさんが再び外国に行くことに強く反対した。だが彼女はうんとは言わなかった。家の負債を返済するために海外に再び出稼ぎに行くと決めていた。 日本にもう一度行っても、次は滞在期間が2年と短くなる。技能実習生として働くだけでは、家族の経済的な困難を好転させられる希望を見いだせなかった。 そんな時、英国にいる友人や現地で働いたことのある知り合いから、英国行きを勧められたという。不法滞在でも、ベトナム人女性ならネイルサロンで簡単に仕事が見つかる。捕まらない限り滞在期限はなく、年収も300万円前後で日本より高い……。困窮から抜け出せなくなった両親を目の前にして、チャー・ミーさんは日本ではなく英国を選んだ。 フェイスブックやベトナム人向けのSNSで検索すれば、欧州への出稼ぎ希望者を募る広告はすぐに見つかる。ブローカーがチャー・ミーさんに提示した渡航経路には、山の中の中国との国境を自力で歩いて越える「草の根ルート」と、車や飛行機での移動が保証された「VIPルート」があった。 彼女は父親と相談して体力的に負担が軽く、より安全だとされるVIPルートを選んだ。ただし、計画が固まっているのはフランスまで。英国への入国は現地に着いてから決まると言われた。フランスまでの費用2万2000米ドル(約240万円)とは別に、英国入国の時点で成功報酬を追加で払う約束だった。費用は、両親が家や土地を担保に銀行から借りて工面した。 「この町から英国に出稼ぎに行った人はみんな無事に入国していた。危険があるなんて想像もせず、とにかく渡航費用を用意することだけ考えた。1%でも危ないと分かっていたら絶対に行かせなかった」。ティンさんはそう悔やんだ。 チャー・ミーさんがバスで旅立った時、家族全員が将来への希望を抱けることに喜んだ。今は事故で失った車のローンに加えて、渡航費用の借金がのしかかる。フォンさんは「利子を払うのも苦しい。娘を亡くし、負債だけが残った」と泣いた。

 

 

 

朝日新聞社