「僕はイニエスタの偉大さをずっと…」アビスパ福岡スウェーデン人DFが母国メディアに語った日本での生活
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日本への扉を開くきっかけをくれたのは元清水監督のヤンネ・ヨンソン氏。
福岡で2年目を迎えるサロモンソン。母国メディアに日本での経験を語っている。写真:滝川敏之
アビスパ福岡で2年目を迎えた元スウェーデン代表のエミル・サロモンソン。今季開幕前、日本での3シーズン目を迎えるにあたり、彼は母国メディア『Sportbladet』に、日本での様子を語っていた。いったい32歳のスウェーデン人DFは、どのようにして日本との接点を持ち、Jクラブとの契約にこぎつけたのか。そして、初めてスウェーデン以外の国でプレーした彼は、極東の島国でのプレーや生活をどう感じていたのか? 現地記者がサロモンソン本人から知られざる舞台裏や率直な言葉の数々を引き出している。
写真で振り返るJリーグの28年間――歴代の年間王者、MVP、得点王、ユニホームに、美女チア、マスコットまで一挙公開!
取材・文:エリック・ニーヴァ
text by Erik Niva(『Sport bladet』)
翻訳:鈴木肇 translation by Hajime SUZUKI
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IFKヨーテボリとの契約が終わりに近づいていた時、新しいことを試してみたくなった。それまでとは別のサッカー環境に身を置く、つまり国外で生活しながらプレーをしたくなったんだ。だけど30歳を間近に控えていたし、僕がプレーしたことがあるのはアルスヴェンスカン(スウェーデン1部リーグ)だけ。だから現実的に考えた。いわゆる知名度のあるリーグは僕が行く場所ではない、と。 日本への扉を開くきっかけとなったのは、ヤンネ・ヨンソンが清水エスパルスで監督をしていたことだった。最初は、清水が興味を示しているという話だったんだけど、サッカー選手にとってはよくあることで、それ以上の進展はなく清水行きの話はたち消えとなったんだ。だけど、ヤンネは清水の監督に就任する前にサンフレッチェ広島で指揮を執っていた。彼はサンフレッチェのスポーツチーフがサロモンソンという名前を覚えてくれるよう、事あるごとに僕のことを口にしていたんだ。 サンフレッチェには10年近く在籍していた右ウイングバックがいた。ミハエル・ミキッチ。サイドから幾度となくクロスを上げて存在感を放っていた選手だ。そのミキッチが退団することになり、広島は後釜を探していた。そこでヤンネは僕のプレースタイルと特徴をサンフレッチェに説明し、そのおかげでクラブは僕がミキッチの穴を埋めてくれると信じてくれたんだ。僕にとって断る理由はなかったよ
日本の選手はみんなとても親切。だが親密な関係を築くのは難しい。
日本での最初のチームは広島だった。開幕の清水戦では豪快なボレーシュートを決めた。写真:川本学
初めて日本の地に足を踏み入れた時の印象は、いろいろな意味でとても新鮮な感じがしたよ。まるで、タイムマシンで2050年に連れてきてもらったような。そのくらい、見るもの全てが新鮮だった。最初の頃はただただ口を開けながら、文字通り何から何まで写真を撮っていた。その時になって初めて、カメラで写真を撮ってばかりいる日本人観光客の気持ちが理解できたんだ。日本に来て間もない頃の僕は、欧州の都市を観光する日本人そのものだった。 チームは、それまで僕が経験してきたものとは異なっていた。選手に問題があったというわけでは決してない。みんなとても親切だったよ。だけど、スウェーデンの時とは違っていた。スウェーデンだと、チームメイトとは友人になって、お互いの趣味や家族構成について知るようになるよね。日本ではチームメイトの名前は覚えるけど、それ以上親しくなることはなかった。 日本の選手はとてもシャイなうえに、ほとんど英語を話せない。だから親密な関係を築くのはとても難しい。スウェーデンではチームメイトと同じテーブルに座って会話をしながら昼食をとるのに慣れていたけど、日本ではチームメイトが何を話しているのか分からなかったから遮断されているような感じだった。 開幕戦の相手はヤンネ・ヨンソン率いる清水エスパルスだった。つまり、僕に対して最初に興味を持ってくれたチーム、それに日本行きのチャンスをくれた指揮官と対戦することになったんだ。そして、何と言ったら良いのかな……。僕は信じられないようなプレーを披露したんだ。チームはリードされて前半を折り返した。それで、試合から1時間ほど経過したときだったと思う。僕のゴールで同点に追いついたんだ。それも、ペナルティエリア隅のファーサイドから狙って逆サイドのネットに決めるという、信じられないようなボレーシュートだった。夢のようなゴール。それ以外に言いようがない。後にも先にも、あんな得点は決めたことがないよ。ああいうシュートを練習でトライしたことはあるけど、ボールは全て枠外だった。100回中100回ね。 日本では、結果に関係なく試合が終わったら必ずスタジアム内を一周することになっている。観客も僕たちと一緒に戦ってくれたということを表すために頭を下げて感謝するんだ
イニエスタにユニホーム交換を申し出るも試合後になかなか会えず…
日本では憧れのイニエスタとも交流を持ったサロモンソン。ユニホーム交換の内幕も打ち明けた。写真:塚本凜平(サッカーダイジェスト写真部)
僕は若いころバルセロナのサポーターで、アンドレス・イニエスタに憧れていたんだ。そのイニエスタはいまヴィッセル神戸でプレーしている。開幕してから数か月経って、サンフレッチェは首位でアウェーのヴィッセル戦を迎えることになった。イニエスタは2つのアシストをマークしてヴィッセルに2度のリードをもたらしたんだけど、結果はサンフレッチェの逆転勝利。しかも決勝点をアシストしたのが僕だったんだ。 サンフレッチェが2点をリードしてから、僕は終了直前に交代でベンチに退いた。イニエスタの前を通り過ぎてピッチを去る時に、試合が終わったらユニホームを交換してくれないかという仕草みたいなことをしたんだ。イニエスタは頷いてくれたとその時は思ったんだけど、確信は全くなかった。ベンチに座って、不安になったんだ。「イニエスタは僕の意図を分かってくれたんだろうか?」とね。 試合が終わってピッチからロッカールームに引き上げる時はイニエスタと話をできなかったんだ。不安で仕方がなかったよ。ロッカールームを出て、もう一度イニエスタの姿を探してみた。だけどもう彼はいなかった。「うーん、もうどうしようもないな」と思って、僕は自分のユニホームを洗濯に回してシャワーを浴びた。 スタジアムを出る準備をしつつも、僕は諦めきれず、通訳を連れてヴィッセル神戸のロッカールームに向かったんだ。用具係らしき人が出てきたから、彼に聞いてみた。ユニホームを交換したいとイニエスタにお願いしていたんだけど、そのことを彼は分かってくれているのだろうか、とね。用具係の人はロッカールームに戻り、それから出てきてこう言ったんだ。 「もちろん! イニエスタはちょうど今マッサージをしてもらっているんだ。待たせてしまって申し訳ないと言っていたよ」 そして僕は彼にこう返したんだ。 「とんでもない。好きなだけマッサージをすればいいんだ。申し訳なく感じる必要なんてまったくないよ!」
憧れの選手との対面。「僕はイニエスタの偉大さをいろんな人に話すと思う」
しばらくしてイニエスタがロッカールームから出てきて、僕たちは少しだけ雑談をした。イニエスタの英語は流暢というわけではなかったけど、僕の出身地とかいろいろと聞いてきた。そしてとうとう、イニエスタは自分のユニホームを手渡してくれたんだ。だけど、その時になって思い出したんだ。「しまった。僕は自分のユニホームを洗濯に回してしまったんじゃないか」。 イニエスタは僕のユニホームを欲しいなんてこれっぽっちも思っていなかったんだ。とにかく、僕は自分のユニホームが手元にないことをただひたすら謝った。それから、イニエスタには何も渡すことなく僕は彼のユニホームを持ち帰ることができたんだ。 その日の体験はファンタスティックだった。憧れの選手と対面できたというだけでなく、試合で対戦して勝つことができたんだからね。イニエスタは僕が思っていた通り、とても謙虚で落ち着いた人だった。僕はイニエスタの偉大さを、これからずっといろんな人に話すと思う。実を言うと、サッカー人生においてユニホームを交換したのはその時が初めてだったんだ。
(後編に続く/※5月16日に公開予定)
取材・文:エリック・ニーヴァ text by Erik Niva(『Sport bladet』) 翻訳:鈴木肇 translation by Hajime SUZUKI