より見えにくい差別の構図も存在する。  

 

例えば今日でも、アジア系が重役に昇進する可能性は白人の半分に過ぎない。

大手法律事務所では、アジア系は最大のマイノリティ集団ではあるが、パートナー(共同経営者)とその補佐役であるアソシエートの比率は、黒人とヒスパニック系が1対2、白人が1対1であるのに対し、1対4と最も低い。  

 

大学の学長数に占めるアジア系の割合はわずか2%である。

 

ハーバード大学のラリー・バコウ学長はアトランタでの事件の翌々日に、同窓生を含めた大学の全コミュニティに対して、アジア系の学生やスタッフへの支援を約束する声明を発したが、学生の21%をアジア系が占めるのに対し、

終身教授はわずか11%に過ぎない。

終身教授の80%は白人である。

 

 

ハーバード大訴訟が示すもの

 露骨な暴力や差別であれば善悪の判断は容易だが、こうした見えにくい差別の是正はより問題が複雑だ。  その好例が、ハーバードなどの有力大学を相手に行われたアジア系差別の是正を求める裁判だ。  非営利団体「公正な入学選考を求める学生たち」(SFFA)は2015年、ハーバードがアジア系に対して不当に高いハードルを課し、事実上の人種割当制度を採用しているとの訴訟を起こした。

 

具体的には、アジア系の受験者に高い学力基準を課す一方、「好感度」「適合性」「勇気」などの個人的資質に関して消極的評価を下すことで、意図的に合格率を下げているとの主張がなされた。  

端的に言えば、「ガリ勉でテストのスコアは良いが、没個性的で、社会性や創造性、リーダーシップに欠ける」というアジア系に対する偏見を、そのまま入学選考の場に持ち込んでいるというわけだ。  

 

実際に高校の成績やSAT(日本の大学入学共通テストに相当)のスコアがほぼ満点で課外活動にも積極的だったにもかかわらず、不合格になったアジア系の受験者も原告団に加わった。  これだけならもっともな訴えに聞こえる。 

 しかし、話はそう簡単ではない。  

 

SFFAを設立したのは、公民権拡大の土台となった投票権法やアファーマティブ・アクション(マイノリティに対する積極的差別是正措置)の撤廃を長年求めてきた白人男性だったのである。

 

  彼からすると、アジア系の受験者を「被害者」に見立てることで、自らが「人種差別主義者」とのレッテルを貼られることなくアファーマティブ・アクションの正当性を揺さぶることができる。

 

要するにアファーマティブ・アクションは一見、「差別是正」を掲げているようで、実際は「逆差別」に加担している悪しき制度というわけだ。  

 

一方、リベラル派は、この男性がそのための戦略としてアジア系に対する偏見を巧みに逆利用していると批判した。

どこまで本当にアジア系に寄り添った行動なのか疑わしいというわけだ。  

数字の上でも、同大のアファーマティブ・アクションがアジア系に差別的とは言えない。

 

全米の約6%にすぎないアジア系だが、

ハーバードでは学生の21%を占めている。

 

 

入学選考の倍率は20倍以上で、高校の卒業生総代に選ばれた受験生だけで定員の倍に及ぶ(合格者の半数は卒業生総代)。アジア系のみならず、成績やスコアが優秀であることは合格を保証するものではない。  加えて、アジア系を対象とする民間調査会社「AAPIデータ」の昨年9月の報告書によると、

 

アジア系の有権者の70%がアファーマティブ・アクションに賛成し、

反対(16%)を大きく上回っている。  

 

2019年には地方裁判所、連邦控訴裁判所のどちらも同大の立場を支持する判断を下したが、この一件は米国という多様性を重んじる社会において「差別」をめぐる問題が決して一筋縄ではないことを例示している

 

 

 

 

キャンセル文化とウォーク文化

 とりわけこの2、3年は、人種やジェンダーをめぐる発言を「差別的」だと糾弾して謝罪や辞任に追い込む(保守派の言うところの)「キャンセル文化」と、

 

そうした差異や差別への意識の高さを誇る(リベラル派が言うところの)「ウォーク文化」(ウォーク=wokeは“⦅社会正義への意識が⦆覚醒した”の意)が激しい議論を呼んでいる。

 

  そして、そうした風潮の中、社会的リスクを恐れ、こうした問題への関与や発言を控える向きも見られるようになっている。  声高な発言が社会の対立や分断を煽ることもある。しかし、沈黙は差別を黙認することにつながりかねない。両者のバランスをどう取るべきか。いや、そもそもバランスを取るべきことなのか――。  米国にとってのジレンマであると同時に、人権への関心が高まる日本においても重い問いになりつつある気がしてならない。

慶應義塾大学SFC教授。 渡辺靖