【MLB】元ハム右腕、メジャーで初の複数年契約を勝ち取った理由 「日本での成功で自信増大」

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バースは今オフ、マーリンズと2年総額500万ドルで契約

昨季はブルージェイズに所属していたアンソニー・バース【写真:Getty Images】

 

 

 

 

 2016年に日本ハムに在籍して日本一に貢献した右腕アンソニー・バース投手はこのオフ、マーリンズと2年総額500万ドル(約5億2300万円)で契約を結んだ。2017年にMLBに復帰してからは毎年違うチームでプレーしてきた33歳にとって今回がキャリア初の複数年契約。米データサイト「ファングラフス」は来日前と後の成績を比較し、日本ハムでの成功体験が自信になったと指摘している。 

 

 

 

 

 

 

 

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 バースは日本ハムで37試合に登板。先発、救援など様々な役割をこなして8勝8敗6ホールド、防御率3.65の成績を残しチームのリーグ優勝、日本一に貢献した。17年にはレンジャーズへ移籍してメジャー復帰を果たすと、昨季までカブス、マリナーズ、ブルージェイズと渡り歩き、マーリンズとの複数年契約を手にした。  同サイトは近年球界で話題になっていることとして「米国で仕事を確保することに苦労するベテラン選手が日本や韓国など海外に出向くこと」を挙げて、次のように説明する。 「彼らは現地である程度の時間を過ごしながら自分のプレーを再発見し、米国に戻ってメジャーリーグで過去よりも遥かに素晴らしい成功を手にする。5年間で3球団に所属したアンソニー・バースは2016年に日本に渡った」  アジアで最もハイレベルとされるNPBで優勝を経験して米国に戻ったバースは徐々に力を発揮する。2017年はレンジャーズで2試合、2018年はカブスで16試合に登板し、2019年5月にマリナーズとメジャー契約を結ぶと上昇気流に。同年は44試合、60試合に短縮された昨季はブルージェイズで26試合に登板した。

 

 

 

 

 

日本ハム入団前と後ではMLBでの成績に大きな変化が

「日本で得た成功によってバースの自信は大幅に増大した。精神的な困難を乗り越えることはフィールド上での才能に気付くことへの重要な一歩となった」。同サイトはこのように解説して日本ハム入団前と後の成績を比較した。 (年度/投球回/奪三振率/与四球率/ゴロ率/防御率/FIP/WAR) 2011-2015 278 1/3 15.7% 9.0% 47.8% 4.40 4.26 0.2 2017-2020 94 2/3 20.7% 7.6% 53.7% 4.09 3.71 1.2  すべての指標において成長を見せたバース。奪三振率は5ポイントアップし、与四球率を下げ、ゴロで打ち取った回数を増やし、守備から独立した失点率を推定・評価した指標FIPの数字も下げた。全体的なストライク率は下がったものの直球のストライク率は34.6%から52.9%にアップ。さらに2019年にマリナーズに移籍した後、変化球をシンカーとスライダーに絞るスタイルにしたのも功を奏したようだ。  昨年は特にシンカーを増やしたとし、「空振りを奪うボールではなく、真の強みはゴロの山を築く能力にある」と記事は指摘。バースのシンカーを捉えた打球の約3分の2はゴロであることに言及している。  日本での経験を血肉とし、メジャーでさらに進化を遂げて複数年契約を手にしたバース。今季も活躍が期待できそうだ。

Full-Count編集部

 

 

 

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経歴

プロ入りとパドレス時代

サンディエゴ・パドレス時代
(2011年7月15日)

2008年MLBドラフト5巡目(全体165位)でサンディエゴ・パドレスから指名され、プロ入り。

2011年6月13日のコロラド・ロッキーズ戦で先発し、メジャーデビューを果たした。

2012年は先発ローテーションに入り、6月20日のテキサス・レンジャーズ戦でダルビッシュ有から2点適時打を放つなど打撃でも活躍したが、その試合を最後に肩を痛めて約2ヶ月半離脱した[2]

アストロズ時代

2013年12月11日に金銭トレードで、ヒューストン・アストロズへ移籍した。交換要員は後日発表となり、パトリック・シュスター英語版)に決定した[3]

ヒューストン・アストロズ時代
(2014年7月2日)

2014年11月20日に40人枠外となり[4]、12月6日にFAとなった。

レンジャーズ時代

2014年12月11日にレンジャーズとマイナー契約を結んだ[5]

2015年4月5日にメジャー契約を結び、開幕をメジャーで迎える事となった[6]。この年は自己最多の33試合に登板、通算100試合登板を達成した。投球内容は、2年ぶりに0勝に終わったが、防御率を3年ぶりの5.00未満となる4.50まで引き下げた。WHIPも、同様に3年ぶりの1.40未満となる1.34とした。

日本ハム時代

2015年11月16日にトム・ウィルヘルムセンジェームズ・ジョーンズ、後日発表のパトリック・キブルハン英語版)とのトレードで、レオニス・マーティンと共にシアトル・マリナーズへ移籍した[7]が、2016年1月7日に自由契約となった[5]

その翌日の1月8日に北海道日本ハムファイターズと契約合意に至ったことが発表された。背番号は「52[8]。開幕一軍入りを果たし、3月30日の対オリックス・バファローズ戦で初登板初先発(3回途中5失点で敗戦投手)。3・4月こそ5試合に先発して1勝4敗、防御率も5点台と振るわなかったが、5月半ばにリリーフに配置転換されてからは安定した投球を見せるようになり、以降は谷間の先発、ロングリリーフ、セットアッパーと役割を選ばないユーティリティ性で重宝された。シーズン終了まで一度も一軍から離脱せず、37試合に登板(うち14試合は先発)して8勝(8敗)6ホールドを記録し、日本ハムの優勝に貢献した。広島東洋カープと対戦した日本シリーズでは、5試合にリリーフ登板して3勝を挙げ、防御率も0.00。日本シリーズで同一選手が3勝以上を挙げたのは1964年ジョー・スタンカ以来52年ぶり9人目で、すべて救援で記録したのは史上初だった[9]。更に第6戦では打席にも立ちリードを広げる適時安打を放つおまけ付きであった。オフの11月15日に退団することが発表され[10]、12月2日、自由契約公示された[11]

レンジャーズ復帰

2017年2月11日に古巣のレンジャーズとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[12]。レギュラーシーズンの開幕はAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎えたが、4月20日に昇格して2015年以来となるMLB復帰を果たした。8月31日にミゲル・ゴンザレスの加入に伴ってDFAとなり[13]、9月3日にマイナー契約に切り替わった[5]

カブス時代

2017年12月20日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。

2018年の開幕は傘下のAAA級アイオワ・カブスで迎え、6月11日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[14]。8月12日に40人外枠となった(AAA級アイオワに所属)[5]。オフに自由契約となった。

レッズ傘下時代

2018年12月26日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。

2019年開幕前の3月25日に一旦自由契約となるが、28日にマイナー契約で再契約した[5]。開幕から傘下のAAA級ルイビル・バッツでプレーしていたが、5月21日に自ら選んで契約を途中で放棄する「オプトアウト」を行使した[15]

マリナーズ時代

2019年5月21日にシアトル・マリナーズとメジャー契約を結んだ[16]

ブルージェイズ時代

2019年10月29日にウェイバー公示を経てトロント・ブルージェイズへ移籍した[17]

2020年オフの11月1日にFAとなった[18]

マーリンズ時代

2021年1月28日にマイアミ・マーリンズと2年総額500万ドルの契約を結んだ