「ロックダウン再開」のドイツで国民の団結が崩れかけている理由
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4週間のロックダウン
10月29日、国会議事堂の演壇の前で、メルケル独首相は言葉に詰まった。 前日に州の首相たちと定めたコロナ対策について説明していたところ、AfD(ドイツのための選択肢)の議員たちの激しいヤジが飛び、話を続けられなくなったのだ。メルケル首相のスピーチがこれほど妨害されることは珍しい。
【写真】「ロックダウン再開」のドイツから日本に帰って感じたこと
前日に決まったのは、11月2日から4週間の予定で宣言されたロックダウンで、飲食店は閉鎖、ホテルは観光客を泊めてはいけない。旅は日帰りもダメ。また、劇場、映画館、遊園地、美術館、プール、ジム、体育館などもすべて閉鎖、美容院以外のビューティーサロン(ネイルサロンなど)も閉鎖。 仕事は、できる限りオンラインに切り替える。そして、家での飲み会やパーティーも、最高2世帯、計10人まで。ただ春のロックダウン時と違い、学校と幼稚園、通常の店舗は閉鎖しない。外出も規制しない。 メルケル首相は、これらの厳しい措置は感染者の増加を抑えるために「適切で、必要で、(防疫効果との)バランスが取れた」ものだとし、コロナの危険を軽視する人たちのことを、「嘘、歪んだ情報、憎悪は民主的な議論だけでなく、ウイルスとの戦いをも妨害する」と弾劾した。「今冬は厳しく、長い季節となり」、防疫対策には「人間の命がかかっている」。 それに対し、AfDのガウランド氏は政府のやり方を、「戦時中のプロパガンダ」と攻撃。政府が行う「毎日の『新規感染者数』の発表は、『爆撃速報』さながらで、国民を恐怖に陥れる」と。 さらに、政府が国会の頭越しに重要な決定を下していることを指し、メルケル首相に向かって、「我が国の主権は国民にあることを思い出していただきたい。それは、つまり、ここ、国民の代表者の集う国会です」と言った。 この日、メルケル首相に異議を申し立てたのはAfDだけではなかった。FDP(自民党)の党首リントナー氏も演壇に立つと、「メルケル首相、あなたは議論が民主主義を強化すると言う。それは正しい。しかし、議論は決定の前に行われなくてはならない」と首相を名指しで批判した
三権分立が溶解してしまう
今回の問題は、言うまでもなく、1)規制が国民の基本的人権を制限するものであること。さらに、2)そのような重要な決定が、民主主義を無視した形で行われたことにある。 まず、1)だが、飲食店やホテル、アーティストなどの営業禁止、さらには旅行や家で人と会うことまで制限するのは、憲法で保障されている人権を侵害する可能性が高い。 基本的人権の制限については、ドイツの基本法(憲法に相当)により例外的に認められているものの、それは、制限が、ある合法な目的を達成するためにどうしても必要で、かつ、効果がある場合に限るとされる。つまり、今回の場合で言えば、ロックダウンがコロナの防疫のためにどうしても必要で、しかも、効果との相関性が明らかでなくてはならないということ。 しかし、実際問題として、相関性の有無は疑問だ。すでに感染経路の75%は不明だし、政府の下部組織であるロバート・コッホ研究所でさえ、ホテルやレストランがコロナの感染源になっている証拠はないと言っている。 また、人的交流を制限すれば一時的に感染者は減るだろうが、制限を解けば、また増えるというのが、春のロックダウンをした国々が、現在、体験していることなのだから、ロックダウンが長期的なコロナ防疫に役立つとは言えない。 2)の国会の頭越し問題も根が深い。 そもそも、連邦首相が州首相を招集して重大事項を決定するという政治システムは、ドイツに存在しない。元々、ドイツの首相はフランス大統領のように大きな権限を持たず、非常事態を宣言する権利もないし、それどころか、政府さえ非常事態は宣言できないことになっている。 そこで、春のロックダウン時は、ごくありきたりの「感染防止法」を加工して、保健大臣と政府に大きな権限を持たせるという方法を使った。しかし、その権限がいつのまにか、保健大臣からメルケル首相に移行している。 国会までが無力化され、このままでは本当にドイツの三権分立は溶解してしまう。なのに、不思議なことに、会議の前はロックダウンに反対していた州首相も、何故か突然、まったく何も言わなくなっている
ロックダウン再開は正しい対策か
一方、ニュースでは、集中治療室で医療関係者に囲まれながら生死の境を彷徨っている半裸の患者など、皆を怖がらせる映像ばかりが毎日流される。そして、メルケル首相や保健相は、「国民の総力結集が必要」とか、「これが最後のロックダウンである保証はない」とか、「規則を守るか、死者の数を増やすかのどちらか」などと盛んに脅しを掛ける。 では、実際の状況はどうなのかというと、検査で陽性反応の出る人は増えているが、病状のある人が急増しているわけではないらしい。死者の数は、これまでの総計は10,812名(11月4日現在)。2017~18年のインフルエンザの死者は21,500人だったので、その約半分だが、そんなことはもちろん報道されない。 いや、その反対で、コロナ患者の集中治療用ベッドが6割以上空いているという情報が出れば、すぐさま、「ベッドは空いていても看護師が足りないので、このままではすぐに医療崩壊する」。感染してもほとんどは軽く済むと言えば、「治った後、ひどい後遺症がある」。どれが正しいか私にはわからないが、いずれも、ロックダウンを正しい対策として肯定する理由は乏しいように感じる。 そこで、今になって、これらに反対する人たちが声を上げ始めた。 コンサートはダメなのに、なぜショッピングモールの雑踏はOKなのか? あるいは、通勤電車は満員のままなのに、なぜクラスターである証拠もないホテルや飲食店が標的となっているのか? あるいは、この措置で感染者を減らしてクリスマスを凌いだとしても、その先はどうなるのか? という質問にも、政府は答えられない。ロックダウンを繰り返すわけには行かないはずだ。 また、複数の医師会や、ウイルス研究者、心理学者たちも、現在の政府の防疫政策を非難し始めた。 このままでは経済的不安や孤独からの鬱や自殺、家庭内暴力、アルコール依存、また、感染が怖くて病院に行かず病気を悪化させるなど、他の弊害が大きくなりすぎる。高齢者や健康上のリスクを持つ人々を集中的に保護する形に、早急に変えるべきだというのが、彼らの主張だ。
国民の団結は崩れかけている
つい最近まで政府やメディアは、コロナ政策に反対するのは極右や極左や陰謀論者であると決め付けていたが、今はもう、そんな風に片付けるわけにはいかない。現在、私のところにも、オペラやコンサートを解禁するよう当局に要請するための署名運動を始めた団体から、オンラインの書類が送られてきている。 特に、多くのホテルや飲食店は、春以来の苦しい経営の中、営業を続けるために厳しい防疫基準を守り、新しい換気フィルターなどにも投資していただけに、今回の営業禁止で裏切られたように感じており、雪崩を打って裁判に訴え始めた。 それだけではない。普通の市民も、休暇で滞在していたホテルから強制的に退去させられたり、親族と集まることさえ制限されたりと、だんだん行動の自由が狭められ、私生活まで監視されているように感じている。 春の頃は、まだコロナが未知のものであったため、国民はロックダウンに対する理解を示したが、今は不満が膨張し、団結は崩れかけている。 そこで、政府は急遽、新たに100億ユーロの支援を追加し、被害を受けている事業者の11月の粗利(去年の同月の最大75%)を保証することにしたが、コロナ不況は11月で終わるわけではない。 また、パートで職を失った人たちは、この恩恵もどのみち受けられない。このままでは零細企業やフリーランスは近い将来、公金依存状態に陥り、政府の権限はさらに強まるだろう。片や、すでに巨額の補助や融資を受けている大企業も、コロナが収束した暁には、国営企業のようになっているかもしれない。 国民の不満に気付いたメルケル首相は、11月2日、慌てて記者会見を開いた。これも稀なことで、焦っているのがよくわかる。 そこで、対策の正統性を主張しようと思ったらしいが、「今回のロックダウンは感染拡大を遮断するきっかけになるかもしれない」とか、「皆でマスクを付け頑張っているのだ。きっとうまく行く」など、裏付けのない話に終始した。彼女が長々と行った感染学的な説明に対しては、すぐにある医師が反証をあげたビデオをアップしている。 いずれにしても、国民は団結を要請されながら、ソーシャル・ディスタンスでバラバラにされていく。家族にさえろくに会えず、教会のミサでは、礼拝者はベンチの右端と左端に一人ずつ座らされ、サッカーの試合は観客なし。可哀想なのは学校の生徒たちで、授業中もマスク着用のうえ、頻繁な換気のため、毛糸の帽子と毛布で凍えながらの授業だ。 また、店では、20平米あたり一人のみという規則だから、スーパーの外には行列ができる。これから本格的な冬が到来したら、あちこちで皆が風邪を引くだろう。 こういう国民の日常を、メルケル首相が本当にわかっているとは思えない。ここに私はドイツ政府の本質的な問題があると思っている。
川口 マーン 惠美(作家)