Slave trader statue thrown into river in Bristol during protests

 

 

Protesters in Bristol pulled down a statue of a noted 17th century slave-trader on Sunday, shortly before it was dropped it into the city's river. The demonstrations in the city in the U.K's south-west took place amid similar protests across the country and worldwide, supporting the Black Lives Matter movement in the wake of the death of George Floyd. The statue of Edward Colston had been a focal point of local controversy for years, with many citizens, including a former Bristol MP calling for it to be taken down. Read the full story: https://www.telegraph.co.uk/news/2020... Telegraph.co.uk and YouTube.com/TelegraphTV are websites of The Telegraph, the UK's best-selling quality daily newspaper providing news and analysis on UK and world events, business, sport, lifestyle and culture.

SHOW LESS

 

 

エドワード・コルストン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3

 

 

 

エドワード・コルストン

 

(Edward Colston, 1636年11月2日 - 1721年10月11日)はイギリス商人トーリー党の国会議員、篤志家奴隷取引家である。1340年代からブリストルに住む商人の家系に生まれ、長じてから自身も商人となり、当初はスペイン、ポルトガル、その他のヨーロッパの港を中心に、ワイン、果物、布などの貿易を行った。1680年には、イギリスのアフリカ奴隷貿易独占していた王立アフリカ会社に加入したことで、奴隷貿易に大きく関与するようになった。彼は1689年に会社の最高職である副総督に就任した。彼の資産のうちどの程度が奴隷貿易に由来していたのか正確な所は不明であるが、彼が奴隷貿易に関与して財を成したことは事実である[1][2]

コルストンは奴隷貿易で得た資産を元手に、ブリストルロンドン、その他の場所で学校病院救貧院教会を支援し、寄付した。彼の名前は、ブリストルのいくつかのランドマーク、通り、3つの学校、そしてコルストンパン英語版)によって記念されている。彼が設立した慈善財団に触発されて設立された財団は現在でも存続している

 

 

現代における再評価

少なくとも1990年代以降、奴隷貿易におけるコルストンの役割の認識が高まるにつれ、ブリストルにおけるコルストンの顕彰に対する批判が高まっている[16]

銅像

詳細は「エドワード・コルストンの銅像」を参照

ブリストルのザ・センターにあったエドワード・コルストン像(1895年建立、2020年破壊)

コルストンの死から174年後、ジョン・キャシディ英語版)制作の像は、コルストンの慈善活動を記念して1895年にブリストル中心部に建てられた[17]

エドワード・コルストンを記念した銅像建立のアイデアは、地元実業家であり錨協会英語版)の会長でもあるジェームズ・アローズスミスの物だった。

遅くとも1990年代以降[18] 、この像の撤去を求める運動が行われ、コルストンが奴隷貿易で利益を得ていたことを考慮すると不名誉な記念碑であると表現してきた[19]。 請願書が流通し、2018年にはブリストル西英語版)選挙区の労働党議員であるタンガム・デボネール英語版)がブリストル市議会英語版)に書簡を提出し、像の撤去を求めた[19]。 2018年10月18日、イギリスの反奴隷の日英語版)にちなみ、コルストンに代表される歴史上の奴隷取引と現代の奴隷を対比した非公式のアートインスタレーションが像を取り囲んだ。それはフルーツピッカー英語版)やネイルバーワーカーなどの現代の奴隷が典型的に行っている仕事のリストのボーダーで囲まれた奴隷船のように配置された約100人の仰臥位の人物を描いたもので、数ヶ月間残った[20] 。 別のインスタレーションでは、ボールと鎖が像に取り付けられていた[19][21]

2018年には、地域社会の関与を得てコルストンの歴史をより多くの人々に知らせるために、像のために公式の銘板が手配された[22] 。 保守党のリチャード・エディ議員とマーチャント・ベンチュラー協会英語版)(コルストンが所属していた組織)はこの文言に異議を唱え、とりわけ、トーリー党議員としてのコルストンの役割と彼の慈善活動の選択的な性質についての言及を削除し、彼が人身売買した数千人の子供たちの正確な数と年齢について異議を唱える事で成功をおさめた[22]。 この銘板はマーチャント・ベンチュラー協会の大きな関与を得て書き直されたが、その文言はブリストル市長英語版)のマーヴィン・リース英語版)によって拒否され、同協会がプロセスに多くの発言権を持ちすぎていると見た同市長は、銘板の作成に地域社会のより多くの部分が関与するよう指示した[22]

2020年6月7日イギリスにおける2020年ミネアポリス反人種差別デモ英語版)の抗議活動中にデモ隊によってコルストン像が倒され、ブリストル湾に投げ込まれた[23]。 歴史家でありテレビ司会者でもあるデイビッド・オルソガ英語版)は、もっと早く取り壊されるべきだったとコメントしている。「像は、『この人は偉大なことをした偉大な人だった』と言うためのものだ。それは真実ではない。彼(コルストン)は奴隷商人であり殺人者だった。」[24] 内務大臣プリティ・パテルは、像の破壊を「全く不名誉な事」と呼び、「人々が実際に抗議している大義名分から目を逸らす無秩序、公共の混乱の行為を語っている」と述べた[25]

像が撤去された後、ポール・スティーブンソン英語版OBEの像を建立しようとする請願が始まった[26]。ブリストルの元青年労働者は、1963年ブリストル・バス・ボイコット英語版)に尽力した黒人である。この運動はアメリカのモンゴメリー・バス・ボイコット事件に触発された物で、ブリストルのバス会社での違法な有色人種雇用禁止に終止符を打った[27]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

================================

 

 

 

バンクシー、奴隷商人像で代替案 「引きずり倒す抗議者像も」 英

配信

時事通信

バンクシーが公表した、英南西部ブリストルでデモ隊に倒された奴隷商人像の代替案スケッチ=バンクシーの公式インスタグラムより

 

 

 

 

 【ロンドン時事】

 

米国で起きた白人警官による黒人暴行死事件をきっかけに世界中で抗議デモが続く中、正体不明の路上芸術家バンクシーは9日、英南西部ブリストルでデモ参加者によって海に投げ捨てられた奴隷商人の銅像をめぐり、代替案のスケッチを公式インスタグラムで公表した。  「銅像を海から引き揚げて元の場所に戻し、首に縄をかけて引きずり倒そうとする抗議者の等身大の銅像も一緒につくろう」と呼び掛けている。  ブリストルでは7日の黒人差別に反対するデモで、奴隷貿易で巨万の富を築き、慈善活動に積極的だった17~18世紀の商人エドワード・コルストンの銅像が引きずり倒された。銅像は街を引き回された後、海に投げ捨てられた。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/daa5ce995118efc519ea1ab7cc55d4ff68ebe578