四国の伝説的なお話の

 

ベートーヴェンの第九同様に、

 
やはり、ドイツ人、
 
 
しかも、この時代に、
 
 
この写真のようなユニフォームが、揃えられた????
 
 
なんて、凄いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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サッカー王国・静岡100年の歴史…源流は第1次大戦ドイツ人捕虜、師範学校に蹴球部誕生

10/31(木) 11:02配信

スポーツ報知

 

 NHK静岡など静岡県の地元ラジオ3局による静岡県サッカー100周年をテーマとした「ラジオで応援 サッカー王国静岡」発表会見が30日、静岡市内で行われた。今年の通年事業「静岡サッカーのあゆみ百年祭」の一環として、12月14、15日にエコパで「静岡ウルトラサッカーフェスティバル」を開催する。アテネ五輪代表監督のスポーツ報知評論家・山本昌邦氏(61)らを招き、トークショーや試合を行う。来年の1月12日には草薙総合運動場球技場で「サッカーレジェンドマッチ in Shizuoka」を開催。出場者は未定だが、県ゆかりのレジェンドが登場する。

 「百年祭」を機に、スポーツ報知は、静岡県のサッカー源流をさぐった。起源は1919年に静岡師範学校(現静岡大)での蹴球部創部とされる。

 創部のきっかけとなったのは、第1次世界大戦で捕虜にされ、静岡の赤十字病院にいたドイツ人から伝えられたと言われる。19年に静岡師範学校の学生だった小花不二夫さん(1976年に死去)がサッカーに興じていたドイツ人を見て、始めたのだという。長男の公生さん(82)は「父は寡黙な人間だったが、ドイツの方に教えてもらって、蹴球部創部に至ったのではないか」と話す。

 21年に師範学校は第6回関東蹴球大会に初出場。選手には手ぬぐいと銅製メダルの参加章が贈られた。公生さんは「手ぬぐいは、父が趣味である油絵の筆をふくために使っていた。洗わずにたたんでしまってあった」と笑った。

 メダルは主将だった不二夫さんが預かった。製作元は今も都内の銀座で店を構える宮内庁御用達の銀製品を扱う宮本商行。こちらは「大切に保管してあった」という。県協会の竹山勝自副会長は「静岡サッカーの歴史を示す貴重なもの」と話した。(山田 豊)

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191030-00000278-sph-socc