大変でしたねえ!

ご苦労様でした。

 

 

ところで、

 

女優 吉本多香美さん

 

といえば、日本の女優の中でも、トップテンに、

 

いや当時ですと、

 

TOP3に入るほどの、美人さんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、イクラ、Googleしても、

 

若いころ、10代のころ、20代前半のころ

 

 

の写真が、ほとんどありません。

 

 

お父様は、あの有名な、初代、ウルトラマンで、

 

 

超・ハンサムな、黒田進さん。

 

お父様が、ハーフっぽい、色男ですから、

 

吉本多香美さんも、相当、エキゾチックな、お顔立ちです。

 

彼女は、自分が、『超・美人だ』

 

と、言うことに、全然、気が付いていない女性です。

 

 

だから、相当、素朴っぽい(?)

 

英語で、「ダウン・ツー・アース」

 

という表現をしますが、

 

本当に、感じの良い娘さんです。

 

 

というものの、もう、

 

 

何と、

 

 

ナント、

 

ナントは、フランスの西部の都市。

 

ではなくて、

 

 

50歳だそうです。

 

日本一、お美しい、50歳です。

 

 

 

 

 

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[女優 吉本多香美さん]逆子で陣痛35時間 自然分娩にこだわった理由…今は島の自然に囲まれ子育て

10/27(日) 7:10配信

読売新聞(ヨミドクター)

ウェルネスとーく

 初代ウルトラマンのハヤタ隊員役・黒部進さんの長女で、ウルトラマンティガでのレナ役で知られる吉本多香美さん(48)。テレビの海外リポーターや女優として活動してきましたが、38歳で出産してから、「自然豊かな土地で子育てを」と沖縄県の石垣島に移住しました。昨年には、島内にハーブ園をオープンして、ハーブ摘みやコスメ作りなど体験講習会を開いています。自然を愛する自分の感性に正直に生きてきた吉本さんの過去、そして現在への思いを聞きました。(聞き手・渡辺勝敏)

 

ウルトラマンティガのレナ役、今もファンから声が届く

――大学生時代にJR東海のCMで注目されて、芸能活動を始めたんですね。

 兼高かおるさんの番組(1990年まで約30年間放送されたTBS系「兼高かおる世界の旅」)を家族でいつも見ていたんです。世界をいろいろ見て、知らない人とお友達のように楽しんでいるのを見て、「私、こういう人になりたい」と思っていました。そうしたらCM出演の後、ニュース番組の海外レポーターに抜てきしていただきました。ずっとこの仕事をやりたいと思って、芸能界に進みました。

――TVシリーズ「ウルトラマンティガ」(TBS系、1996年)に女性隊員のレナ役で出演して女優として知られるようになりましたね。

 始めは女優をやらせていただけるなら、情景が印象に残るような映画がいいなぁと思っていたので、ウルトラマンは子供番組のような印象があって、少し抵抗がありました。父がウルトラマンだったのは私が生まれる前で、再放送で見かけることがあってもほとんど興味はありませんでしたから。

 やってみると、撮影の現場がとても居心地よくて。スタッフのみなさんが父をよくご存じで、とてもかわいがっていただきました。あれから20年以上たっていますが、今でも私のインスタに「僕の少年期の恋人です」なんて、中国やインドネシアの方からもメッセージが届くんです。うれしいですね。

――その後に子供たちのヒロインから大人のヒロインへ仕事の幅を広げていきましたね。

 私がやりたかったのは、兼高さんのように「地球ってこんなに面白いんだよ。土地が変わっても人間って同じようなことで喜んだり、悲しんだりしているよ」ということを伝える仕事でした。それで考えてみたんです。ドラマで人間を演じるのも、人間を知って伝えるという意味ではドキュメンタリーと同じかなって。

 女優としてやっていきたいと思ったので、様々な役柄に挑戦していきました。私は我が道を行くタイプ。映画、テレビ、舞台、ドキュメンタリー……私なりに、その時に納得感のあるお仕事をさせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

逆子が戻らないまま出産、時間がかかり赤ちゃんの心拍低下

――芸能界で様々な仕事をしてきたわけですが、やはり出産というのは大きな転機でしたか。

 子供が生まれたら、子育てを人生の最優先課題にしたいと思っていました。自然な出産がしたくて、愛知県岡崎市にある、その世界では知られた産科診療所に行きました。出産3か月前から、産院にご縁のあるご家庭で、寝食を共にさせて頂き、毎日のように産院で身体を動かし、先生、助産師さんにサポートを受けたおかげで、逆子でも自然分娩ができました。

ただ、陣痛が始まって35時間もたち、赤ちゃんの心拍が落ちてきて、このままでは危ないというので救急車で搬送されて、大学病院での出産でした。大変でしたが、翌日には、産院に戻り、生まれたばかりの子どもとの親密な時間を自分らしく過ごすことが出来たことにも感謝しています。

――逆子だと帝王切開を選択することも多いと思いますが、自然分娩にこだわりがあったんですか。

 私も妹も逆子だったので、帝王切開で母から生まれました。母は「傷が痛くて、生まれてすぐは抱っこできなかったのよ」と話していたので、自分は自然分娩をしたいと思いました。時間はかかりましたが、自然分娩で産めて良かったと思っています。

 

出産の翌年、震災から1か月で石垣島へ

――赤ちゃんを授かった翌年、2011年3月11日、東日本大震災で人生が大きく変わったんですね。

 地震は、東京都内の夫の実家で子育てをしていた時でした。まず頭に浮かんだのは、「この子を守らなければ」ということでした。元々、子育てをするなら自然豊かな所、生命を感じられる所でという思いもあったので、場所を探しながら西へ向かいました。

――どうして石垣島を選んだのですか。

 沖縄本島へも行きましたが、びっくりするくらい都会。主人がその18年前にサトウキビ刈りの仕事で半年間、石垣島で働いたことがあって、そのころの友達に電話をすると、「すぐ来い」って言ってくれたんです。私もダイビングに行ったことがあって、あそこなら自然が豊かだと思って、4月8日にたどりつきました。それ以来、石垣島で暮らしています。

――石垣島は子育てには良いところですか。

 渡り鳥が来るし、庭にハコガメがいたり、夜はミミズクが鳴いていたりします。子供が命をリアルに感じていると、人の命も自分の命も大切にするかなって思います。9歳になった息子も石垣島が大好きで、元気で地元の小学校に通っています。震災は石垣にたどりつくきっかけでしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

自然や命へのこだわりの原点

――自然の中で子供を育てたいということで、石垣島で暮らすようになったわけですが、自然志向はいつ頃からですか。

 父に連れて行ってもらったアフリカでの体験からですね。父がウルトラマンに出演したのは27歳の時だったんですが、その後もウルトラマンのイメージが強すぎて役者として苦労していたようです。この先、どう生きるか考えるつもりで、31歳の時に6か月の私と母を残して、テントをバイクに積んで半年間のアフリカ横断旅行に出かけちゃったんです。

 その旅の経験があまりにもすごくて、アフリカを家族にも見せたいと思ったようなんです。アフリカ旅行に行くために、自宅ではアフリカ貯金と呼んで、みんなで貯金箱にお金を入れていました。私が15歳の時、家族4人、アフリカに行って、車にテントを積んで国立公園のルートを1か月かけて旅をしました。あの時のアフリカ体験がなければ、今の石垣島での生活はなかったと思います。

命が別の命を養う姿を目の当たりに

――どんな体験だったのですか。

 初めて地球っていうものを見たと思いました。地平線から太陽が上がってくる。見渡す限りの平原をヌーの群れが埋め尽くして大移動をするんです。目の前でライオンがヌーをハンティングして、ハイエナやジャッカルが来て、ハゲタカが血だらけになって、おなかの中に首を突っ込んでいる。3日後には骨だけ。ひとつの命が別の命を養っている。両親がアフリカで私に伝えてくれたのは、命ということだと思います。高校生の時にも1回、大学生の時に2回と計4回、アフリカに連れて行ってもらいました。私が両親から教えてもらったように、息子に石垣島で命を感じてもらいたいと思うんです。

どうしようもない悩みも自然の光の中で癒やされた

――マウンテンバイクやダイビングなどのアウトドアの活動もお好きですね。

 自然の中で体を動かすのって自分に合っていたんです。多摩川をさかのぼって奥多摩まで行ったり、山を登ったりしていました。ダイビングも好きです。人生いろいろあって、親にも友達にも相談できないような時、やっぱり自分を救ってくれるのは自然の中だって思う経験もしました。

 子供が生まれる2年ほど前、どうしようもない悩みがあって。一人でハワイ島に行ったんです。たまたま行ったビーチにイルカがたくさん。イルカと一緒に泳いで、その時に水の中から水面を見た時にすごくきれいで、こんなに美しい光があるんだって思いました。そんな経験をしたら、すっかり元気を取り戻しました。

 ジャングルの中の木漏れ日とか、アフリカでもとってもきれいな光を見てきました。自分の子供が人生で壁にぶつかった時も、美しい光を見に行って欲しいなぁって思うんです。

――そんな思いを込めて息子さんの名前をつけたんですね。

 そうです。摩光(まこう)という名です。「摩訶不思議(まかふしぎ)」の「摩」と「光」。自然界の美しい光をいっぱい見てほしいという夫婦二人の思いを込めました。海には1歳半ぐらいから入れてきましたが、今は9歳。モリで魚を突く人がする海人(うみんちゅ)泳ぎっていうのがあるんですけど、それでいつまでも泳いでいますよ。優しい子です。

 

 

 

 

 

 

 

ネイティブアメリカンの治療師にあこがれ、ハーブを学ぶ

――ハーブについて勉強をしてきたそうですが、強い関心を持つようになったきっかけはあるのですか。

 10年余り前ですが、NHKのシートン動物記に関係した番組の取材で、カナダの先住民、クリー族に出会ったのがきっかけです。シートンは子供のころ、先住民と仲良くしていて、自然へのまなざしを学んだんですが、その軌跡をたどって、メディスンマン(治療師)の治療を見せてもらったんです。じっくり話を聞いて、ブッシュに入っていろいろな植物を採ってきて煎じて飲ませて、その人のために祈るんです。寄り添って、話を聞いて、共感して人を癒やす。私、こういう人になりたいって思ったんです。それからハーブについて深く勉強するようになりました。

 

昨年秋、石垣島でハーブ園をオープン

――石垣島でハーブ園をオープンしたそうですね。

 4年前から2000坪の土地を耕運機で耕して、地元のおじいと2人で島ハーブを作ってきました。グァバに月桃(げっとう)、レモングラスやハイビスカスです。地元の人にそういうものを作っていると言うと、「雑草じゃないか」って言われるんですが、「雑草が宝なんです」と私は言っています。

 ハーブ園は「自然栽培ハーブガーデンFresh&Wild」( https://yoshimoto-takami.com/)

 という名前で昨年秋にオープンして、ハーブの体験会を開いています。来てくれた人と一緒にハーブガーデンを歩きながら、ハーブを摘んで、ナチュラルコスメを作ったり、ハーブクッキングをしたり。思い思いにハーブを摘んで、ハーブボールを作って体を温めるハーブヒーリングやセルフケアも教えています。欧米では流行(はや)っているリトリートもやっています。日常から離れて、自分を見つめなおすことを言うのですが、ハーブ園での3泊4日プログラムです。このお仕事を軌道に乗せようと思って頑張っています。

 

子供がもう少し成長したら舞台の仕事に復帰したい

――随分、日に焼けていらっしゃいますね。

 毎日朝、夕は、畑に出て汗をかいていますから。それでもできる限り、きれいでいたいとは思っています。女優ですから。長袖を着て帽子をかぶって日焼け止めを塗ってハーブ園に出ますが、しょうがないですね。保湿クリームなどの化粧品は自分で作っています。こんな私でもできるお仕事があれば、女優の仕事もやらせていただきます。映画で農家のおばちゃん役とか(笑)。

――今はハーブの仕事に力を入れているということですね。

 もう少し、子供が落ち着いたら、舞台をやりたいと思っています。舞台は大好きです。みんなで1か月ぐらいかけて作りこんでいくのは、人生劇場みたいです。観客の方と一緒に泣いて笑って感動してっていう場が本当に好きです。このハーブガーデンも舞台みたいだなって思うんです。お客様と一緒にお花を摘みながら、いろんなお話をお聞きして、一緒に泣いて、笑って。

――これからも石垣島でずっと暮らしていくつもりですか。

 今は、子供が石垣島の暮らしを気に入っているし、ハーブのお仕事がありますから、離れるつもりはありません。出会った人たちが、自然に自分らしくしていられるハーブ園にしたいって思っています。

 

よしもと・たかみ

 1971年、東京生まれ。女優としてテレビ、映画、舞台、CMで活躍するほか、ハーバリストとして、自然と人間の共存をテーマにしたドキュメンタリーやトークショーに力を入れ活躍している。趣味は、海で泳ぐこと、子供と遊ぶこと。料理、ボディーボード。昨年、石垣島に自然栽培の島ハーブガーデン、Fresh & Wild yoshimoto-takami.com をオープンした。初代ウルトラマン役の俳優、黒部進の長女。