古代の馬は薄命、皮は武具材料に…良馬は都や官道向けに選別、大量の駄馬を民間に払い下げ
9/30(月) 12:11配信
軍記物に登場する武田信玄の騎馬隊を始め、日本史の中で「馬」は重要な役割を担ってきた。東京都内で開かれた古代交通研究会で、帝京大文化財研究所の植月学准教授が、古代の馬が最も「薄命」だったとする研究成果を報告し、動物考古学の進展で見える各時代の馬の飼育実態を明らかにした。
馬は、古墳時代中期に本格的に日本に輸入され、生産も始まった。5世紀後半には東北から九州まで広がったとされる。
植月准教授は、東日本の様々な遺跡で出土した馬の骨や歯から各時期の年齢構成を調査した。出土した馬の年齢構成で最も多かったのは、古墳時代は6歳で、古代では4歳頃だった。中世は8~12歳、近世は18~20歳と長生きになっていた。
古墳時代は、働き盛りの頃に副葬用に処分されたとみられる。植月准教授は「有力者の墓によぼよぼの馬は不適当とされた」と推論する。古代には、さらに若い頃に処分される例が多く、文献から推測すると、武具や馬具の材料に皮が利用されたようだ。
藤原宮跡で出土した駄馬は全て雄で大半が3~5歳。造営用の資材運搬の役目を終え、すぐ処分されたと想像される。これは、
馬の生産が進み、市場に大量に放出されたことが背景
にある。というのも、平安期の朝廷直轄の牧場では、雄は3歳頃になると、良馬は都や官道での使用向けに選別され、漏れた馬が駄馬として民間に払い下げられた。日本では去勢による管理をせず、種馬以外の雄は牧場から出す必要があったからとみられる。
中世は、体力のピークの10歳頃までは使用された。武家の都・鎌倉の馬の多くは乗用馬で、比較的大切に扱われたのだろう。殺すことがタブーになった近世になり、寿命を迎えられるようになったようだ。
皮や肉だけでなく…脚の腱を切り取った痕跡も
平安時代の青森・林ノ前遺跡では、皮や肉だけでなく、脚の腱(けん)を切り取った痕跡も国内で初めて確認された。コラーゲンが豊富なので、にかわの材料になったことなどが想定されるという。
ちなみに、古来の日本の馬の体高はほとんどが140センチ以下で、160センチ以上のサラブレッドよりかなり小さい。このため戦国時代には騎馬隊はなかったとの説も流布するが、植月准教授は「ユーラシア大陸を席巻した
モンゴル帝国の馬も日本の馬と似たサイズ。
小さいから貧弱だったとは言えない」と主張している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190930-00010000-yom-sctch
(文化部 辻本芳孝)