「電子国家」なのに不便? エストニアに住む日本人が見た、電子国家の本当の意味

5/31(金) 15:00配信
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 北欧に位置するエストニアは、「電子国家」として世界の注目を集めている。しかし、実際の生活がテクノロジーでどう変化しているのか、その実態は不明な部分もあるのではないだろうか。この記事では、エストニアに移住した筆者が見る電子国家のリアルを紹介していく。

【写真】エストニアの電子サービス「e-Residencyのキット」の中身

この記事について

この記事は、オウンドメディア「tsumug.edge」からの転載です。

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筆者紹介:高木泰弘

セントラルオクラホマ大学マーケティング専攻。リクルートを経てコワーキングスペースsharebase.InCを創業。現在はWCSの取締役CFOとしてエストニアと日本を拠点に活動中。
生粋の名古屋人の僕が、なぜエストニアに住んでいるのか
 僕は、名古屋にあるWCSという会社でCFOをやっている。「世界コスプレサミット」というイベントを行っている会社だ。外務省を含む多くの官公庁と実行委員会形式で展開しているイベントで、現在42カ国が加盟しており、各国の予選会を勝ち残った代表2名が決戦地名古屋に集結する。海外加盟国の統括も僕の仕事の1つなので、年に数回海外に視察しに行く。

 僕自身は生粋の名古屋人だが、大学はアメリカのオクラホマという場所でカウボーイたちと共にし、帰国後はリクルートという会社で全く英語を使わない仕事をしていた。友人たちとコワーキングスペースを起業し、そこで電子国家エストニアについての話で盛り上がったところ、まさかのエストニア人と名古屋で出会うことになった。

 コワーキングスペースは譲渡し、今はWCSの仕事一本だ。出会ったエストニア人は、妻になった。妻は日本での生活が苦手なこともあり、エストニアに住みたいという僕へのプレッシャーは時を経るごとに増していった。会社としても、欧州に拠点を持ちたいという意思はあったので、妻はエストニアに住み、僕自身は日本とエストニアを行ったり来たりの生活を実験的に行っている。



電子国家のはずが……日本より不便な? エストニア生活
 エストニアに初めて降り立ったのは、妻と結婚した後だった。義理の母親と義理の妹へのあいさつはSkypeだ。初対面には冷たいとされるエストニア人だが、この家族は祝いがあれば歌い、ポテトサラダを作っては踊るような明るい人たちだった。

 電子国家エストニアというと、何だかサイバー空間のイメージだったが、実際はかなり違う。森と雪とサウナと歌を愛する人々。国民総森ガール・森ボーイの国。ただ、国家は確かに電子。そういう、僕が事前に持っていたイメージと実際のギャップについて話をしたいと思う。

 エストニアのタリン空港に着き、真っ先に妻が案内してくれたのは某楽天のロゴ(色が違うだけ)にしか見えないコンビニ「R-kiosk」。市内を移動するには、ここでSuicaのようなものを買ってチャージしないといけない。

 タリンの市民はIDカードだけでバスや電車に乗れるが、僕は観光客属性なのでこのカードが必要だ。Suicaと違うのは、チャージするためにはこのR-kioskの店舗に行かないとダメなことで、自動券売機はない。また、コンビニの店員さんは基本的に冷たく英語もしゃべりたがらない。ちょっとストレスを感じる部分だ。

 店の支払いはクレジットカードで済む。日本でSuica文化に甘やかされた僕はスマホでピッとしたいところだが、ピッとする先はない。カードを自分でガシャッと入れて暗証番号を打つ。こちらもちょっとストレスで、あれ? 電子国家どこいった? という気分だ。

 タリン空港は、荷物取ったら2分で外に出られるほど小さい。出てすぐのところからバスに乗ってタリン市の逆サイド、カラマヤに行く。バスにはピッとするところはあるのだが、電車だと改札もなく、乗っている時に車掌さんが一人ひとりIDカードをピッとして回る。「これ、車掌さんが来る前に降りなきゃいけなかったらどうするの?」と妻に聞いたら、「そんなのは、来るのが遅い車掌が悪い」と言っていた。謎ルールだ。

 来る途中でスーツケースが壊れてしまったため、買い換えようと思ってAmazonを使おうとしたら、友人にやめておけと止められた。エストニアは人口が少ない(約130万人)ためAmazonの流通センターがなく、なんやかんやで遅いらしい。だからショッピングセンターに行けと。おいおい電子国家! と言いたくなる。

 いやいや、この国の人はプログラミングも小学校からやっているしリテラシーが高いんだろうと思い、テクノロジーのトークで盛り上がろうとしたが、そんな話では盛り上がらない(人によるが)。

 それよりも、週末サレマー島(エストニア人にとっての沖縄みたいな島)に行ったとか、サウナに行ったとか、沼地に行ったとかそういう話の食いつきは半端ない。夏は野いちごを食べ、川に飛び込み、冬はグルッグ(ホットワイン)やブラッドソーセージを食する。ビニール袋はみんな嫌いで、マイバッグか、最低でも紙のバッグを使う。完全に自然派集団みたいだ。

 楽しいは楽しいが、僕の電子国家のイメージからはかけ離れている。一体どのあたりが電子なんだろう? と考える中で気づいた。彼らが考えている電子国家と日本人(少なくとも僕)が考える電子国家が、絵的に大分違うことに。




では、エストニアの電子国家とは何か?
 エストニアの電子サービスとして紹介されることが多いのは、ネット投票だったり電子カルテ、学校と親の電子連絡票だったり電子裁判などだろう。また、最近では「e-Residency」で外国人を部分的に国民化している。

 エストニアは、みんながVRヘッドセットをつけていたりAIが友達だったりするような国ではない。上記のようなサービスが整った国だ。そしてこのサービス群に共通するものは、「安全で信頼できる個人情報管理」だ。

 個人が複数回投票できたり、実在しない人物が投票できたりしてはネット投票の意味がない。医療情報は漏えいした瞬間に保険会社の社員がクビどころでは済まないセンシティブな情報だ。子供の学校での情報もかなりデリケートで、学校とその子供の親だけで共有する。そこに手違いがあってはいけない。漏えいがあってもいけない。裁判で証拠のねつ造や判決の手違い、改ざんがあってはいけない。外国の資産家が自分の情報を偽ってマネーロンダリングできないように、ちゃんと身元をチェックできないといけない。

 日本では、こういった個人情報やその認証を安全に電子化できておらず、そのため僕らは日常的に結構不便を強いられている。

 例えば、携帯電話を解約する時、契約者本人が電話口に出ないと解約できない。僕の親の介護サービスを申請する時は、わざわざ親を役場まで車椅子で連れていかなくてはいけない。「本人確認のために」かなりの時間を奪われている。でもそういうルールがなければ不正利用がはびこってしまうのも事実。安全にはコストがかかっている。

 この「安全で信頼できる個人情報管理」は、一介の企業が行うことはできない。企業がパスポートを発行したり、出生登録や死亡届を受け付けられないようにしたりだ。逆にいうと、もし将来、企業が発行するパスポートが認められれば、その企業はすでに国家になりつつある、といえるかもしれない。国の根幹が国民だとするなら、その国民に関するデータは国そのものともいえる。それを守るのはやはり国家だ。つまるところ、国家の代替できない役割とは「個人情報銀行」であることではないだろうか。

 国民の安全を守るために防衛力、軍事力が必要だとすると、国民の一部である個人情報を守ることはむしろ国家として必要不可欠だ。エストニアの個人情報銀行を支える技術として、よく取り上げられるのがX-Roadだ。分散したデータベース間の情報共有を安全に行う技術で、Academy of Science of Estonia(エストニア科学学会)が設立したCybernetics研究所を前身とするエストニアの企業Cyberneticaが導入した。今エストニアにある個人情報サービスはこれに加えて、国産スタートアップであるGuardtimeが提供するブロックチェーンのサービスなどをAPIなどで活用している。




国がなくなるかもしれない危機感……電子国家で「国を守る」
 旧ソ連であるエストニアは、独立回復時にデータベースが散在していた。しかし大きなデータベースを作るお金もなかったため、分散したデータベースを結合するしかなかったといわれる。政府は一度入力されたデータを二度と入力させない、というのをモットーにしているらしく、日本のように何度も手書きで住所を書かされることはない。

 それが住民にとって便利というだけではない。何よりも、電子国家にすることで国としての安全性を高めているという面が大きい。エストニア民族の歴史は凄惨(せいさん)で、若い子たちでも話す時には暗い顔になってしまうほどだ。デンマーク、ドイツ騎士団、スウェーデン、ロシア帝国と次々に支配者が変わり、独立したと思ったらソ連とドイツの挟み撃ちにあい、同じ国の友達同士がソ連側とドイツ側に分かれて殺しあう、ということがつい最近まで起きていた。1990年以降、独立を回復させた後もロシアからのハッキングがしょっちゅうある。

 ヨーロッパとロシアの境目にあるという立地条件もあり、国がずっと存続するという楽観は基本的にできない。だから物理的に国が奪われたとしても、電子的に国を存続させることでエストニア民族を守る、という気持ちが根底にあるようだ。
“それは夜明け”
 2月24日にはエストニアの独立記念日がある。こちらは1918年のロシア帝国からの独立日だ。エストニアには独立回復記念日が別にもあって、1991年にソ連から独立した8月20日だ。後者は、みんなで手をつないで歌って無血革命(歌唱革命と呼ばれる)したという伝説の日。歌う民族と呼ばれるエストニア人ならではという感じで圧巻だ。この日は毎年ラウルピドゥというフェスのようなイベントが行われる。先日妻がこのチケットを取ってくれたのだが、発売当日にダッシュで買って、最後列しかなかった。国民の3分の一が集まるイベントともいわれる。

 ここで毎年歌われるコイト(夜明け)という歌は、自由を獲得したエストニア人の心の叫びだ。

“それは夜明け、王の言霊。大地を呼び起こす勝利の光。”

 国を、民族を永続させるためにエストニア人がとった方法が国家の電子化であり、国民の切望でもある。それは単に生活を便利にするというだけではなく、自分たちの森や大地を守るためであり、夏の庭で野いちごを食べられる幸せ、自由を守るためである。日本人の僕には想像できなかった「電子国家」だった。

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