お隣のモロッコ出身で、同じ民族の、
”Guess"なんかの4人兄弟なんかと同様に、
これらの地方から、フランスに移住して、LAに来て、大成功を収めた、似たような境遇・経歴の民族たちです。




素晴らしいファッションをたくさん提供してくださって、ありがとうございました。
(私も、20年以上前くらいですか、リーズナブルで、LAぽかったので、結構たくさん買って、日本にプレゼントで、良く、送っていました)

『ご冥福を、お祈りいたします!」

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「BCBG」創業者マックス・アズリア氏が肺がんのため死去

5/8(水) 16:00配信
WWD JAPAN.com
マックス・アズリア(Max Azria)「ビーシービージーマックスアズリア(BCBGMAXAZRIA以下、BCBG)」創業者が5月6日、肺がんのため米ヒューストンの病院で死去した。70歳だった。

【画像】「BCBG」創業者マックス・アズリア氏が肺がんのため死去
1949年にチュニジアで生まれたアズリア氏は、ティーンエージャーの頃に家族でフランスに移住。アメリカから輸入されたジーンズを販売するアルバイトを経て、両親が持つアパレル製造会社の経営に携わった。83年にロサンゼルスに移り、ブティックの「ジェス(JESS)」を設立。89年に「ビーシービージーマックスアズリア」を設立した。なお、「BCBG」はフランス語で“シックで趣味のよいスタイル”を意味する“bon chic, bon genre”の頭文字を取っている。
アズリア氏はフランスの洗練されたデザインを現代的に解釈し、ファッションを日常的に楽しむコンテンポラリースタイルを確立した。ルバ・アズリア(Lubov Azria)夫人は、「マックスが『BCBG』を設立した当時、コンテンポラリー市場は存在しておらず、価格帯やデザインのタイプなどを一から決めていった。コンテンポラリー市場はマックスがつくったようなものだ」と語った。イルゼ・メチェック(Ilse Metchek)=カリフォルニア州ファッション協会(California Fashion Association)プレジデントは、「アズリア氏はブランド開発やイメージづくりに長けていて、小売りの開発にも積極的に取り組んだ。彼が手掛けたブランドが一つも入っていないショッピングモールはアメリカにはないのではないか」と述べた。
最盛期には、「BCBG」に加えて「ビーシービージェネレーション(BCBGENERATION)」や「マックス アズリア アトリエ(MAX AZRIA ATELIER)」「エルベ レジェ バイ マックス アズリア(HERVE LEGER BY MAX AZRIA)」を展開し、世界47カ国に合計595店を運営。売上高はおよそ20億ドル(約2220億円)だった。歌手のビヨンセ(Beyonce)や女優のドリュー・バリモア(Drew Barrymore)、セレブのキム・カーダシアン(Kim Kardashian)などに愛され、歌手のマイリー・サイラス(Miley Cyrus)とのコラボコレクションも発表した。


しかし、実店舗からオンラインへのシフトやブランド志向の減退などのマクロなトレンドと、卸やライセンスビジネスの不調、海外事業やディストリビューター契約のコスト増などで失速した。最高経営責任者だったアズリア氏は2016年8月に辞任し、同ブランドは17年に日本の民事再生法に当たる連邦破産法第11条を申請。マーキー ブランズ(MARQUEE BRANDS)が「ビーシービージーマックスアズリア」の商標権を取得した。日本では1996年9月に千葉県柏市に第1号店をオープンしたが、2018年1月末で銀座旗艦店やアウトレット店を含む全11店舗の営業を終了し、日本市場から撤退している。
マーキー ブランズは、「アズリア氏の訃報に接し、深い悲しみを覚えている。彼には先見の明があり、コンテンポラリー・ファッションを確立した。ブランド名の通り、“シックで趣味のよいスタイル”を体現していたアズリア氏に敬意を表し、その遺産を受け継いでいきたいと思う。ご家族に心からのお悔やみを申し上げる」とコメントを発表した。