天才賞を受賞した日本人女性科学者「推理小説よりわくわくする謎解きの瞬間」

3/27(水) 18:00配信
Forbes JAPAN
米国で天才賞とも言われるマッカーサー・フェローシップ賞を2011年に受賞し、ネイチャー誌をはじめとする様々な著名科学雑誌で発生生物学に関する研究成果を相次いで発表するミシガン大学の山下由起子教授。ハワード・ヒュー・メディカルインスティチュートにも所属し、教授職でありながら今も研究室で最先端の研究を続けている。

世界の最前線を走る彼女が最もわくわくする瞬間とは? 科学者として真理を探究する喜びの発見から、米国に渡って初めて気づいた自らに課していた制約、セルフメイドウーマンならではの子育ての秘訣まで、たっぷりと語ってくれた。

──現在の仕事内容について簡単に教えてください。

私は大学教授ですが、ハワード・ヒューズ・メディカルインスティチュートの研究者でもあり、仕事の75%を研究に費やしています。学生に教えることもありますが、科学を進歩させるための研究をすることが主な仕事です。教授になると実験はしない人が多いのですが、私は実験が好きで今もしています。

──研究の内容はどのようなものですか。

もともとは幹細胞の研究者です。細胞は分裂して1個が2個になる、これが最も基本的な生命の根幹です。人間も含めて生命は皆、この世に誕生した瞬間は細胞が1個で、それが2個、4個、8個、16個と増えていって私たちができています。

細胞分裂で重要なのは、全く同じものを複製する機能です。そうして2個目の細胞ができます。しかし、完全に複製するだけでは私たちはできません。肌の細胞、脳の細胞は同じDNAを持っていても一つ一つ違いますよね。たった1個の細胞から様々な細胞ができるのは、非対称分裂というプロセスがあるからです。

例えば、レシピ本があったとして、それを読んだ人が全く同じものを作っていたら何の個性も生まれません。でも、マスター版のレシピ本をコピーして、コピー自体は全く同じものが受け継がれても、ある人は和食のページを主に使うようになったり、別の人はイタリアンのページを読むようになると、多様化、違いが生まれてくる。そういうプロセスに近いですね。

細胞は同じDNAをコピーしているのに、それを受け継ぐ中で細胞がどのように変わっていくのかがまだ分かっていません。それを主に研究しています。

──山下さんがわくわくする瞬間を教えてください。

一つ目は、純粋に科学的な発見の瞬間です。発見の瞬間というのは、目の前に何かがぱっと出てくるものではありません。目の前にデータが出てくるのですが、その意味を理解するために、頭の中で考えないといけない。思った通りのデータが出るときは、もともとのアイデアがあるということなので、私にとっては喜びの瞬間ではありません。

むしろ、何だこれ?というのが出て来たときがいい。間違った実験の仕方はしていないはずだから、おかしな結果が出て来たら、そこに何か意味があるはずだと思います。それで、その理由をずっと考えていくと、ピカンという瞬間があります。「ああ!そういうことだったのか!」という。一番素晴らしい推理小説を読んだときよりも、わくわくする謎解きの瞬間です。それが一番やっぱり楽しいです。

もう一つは人が育つことです。私は科学が楽しくて楽しくてずっとやってきてました。研究室には、自分の10年前、20年前のような大学院生や、博士研究員が来ています。学びというのは、自分でしか達成できないものですが、周りから少しヘルプすることができるんです。

ヘルプしながらその人たちが学んでいくのをみるのは、子供を育てるのに似ています。自分の子供のように、研究室の人も「いつの間にかこんなに大きくなって」、と思う瞬間がある。「こんなにすごいこと考えるようになっているわ!」とか。それが一番楽しいですよね。

──わくわくの原体験はありますか?最初にピカンときた瞬間を教えてください。

初めてピカンと来て、これは本当に面白いと思ったのは、顕微鏡で分裂中の幹細胞を見た博士研究員の時です。分裂する際、並んだ2つの細胞の構造が一定の方向に必ず向いているのですが、その理由は当時まだ分かっていませんでした。しかし、実際に目で見た瞬間、「これは」と。その理由が直感的に理解できました。それが最初の衝撃です。

科学が好きになった影響は父親から来たと思います。理系の父は大学の時に物理学を学び、アインシュタインを崇拝していました。私は小さい時からアインシュタインの話を聞かされ、真理を探究することは一番面白いと勝手に思っていました。3歳ぐらいの時には、大学教授という職業があることも知りませんでしたが、科学をやっている人は楽しくて面白くて素敵だ、自分は科学をやりたいと思っていました。



自分が「移民」になった体験
──博士号取得後に山下さんは米国に行きました。

米国に行ったことは、私にとってコペルニクス的な大転換でした。博士号を日本でとった時はかなり辛かったです。閉塞感や研究以外の社会的プレッシャーがありました。日本にいた時は気づかなかったのですが、米国に来てから、そういったものに煩わされていたと気づきました。

米国は決して完璧な国だとは思いませんが、自分が移民になったことはとても良かったと思います。移民になると言葉も通じないですし、もちろん大変です。しかし、自分がよそ者になると、ステレオタイプの期待をされなくなります。私は何も期待されていない、ああしろ、こうしろ誰にも言われない。ものすごく自由になりました。それが良かったです。

研究について考える時も、重要なこと以外なことは考えなくて良くなりました。自分が生まれ育った国にとどまると、私は今までクラスでトップだったから、ちゃんと教授にならなくっちゃ、とか思うかもしれない。そうすると、研究テーマを考える時にもこの研究でいい雑誌に載せられて、履歴書が良くなって、教授職が取れるのか?と恐れがでてきてしまう。

でも、私は移民だったので教授になろうと思いませんでした。どうぜ外国人だし、自分の好きなことや興味を持ったことを突き詰めよう、という自由を与えてくれた気がします。

──山下さんが考える、「来てほしい、面白い」未来とはどんなものですか?

偏見のない世界です。皆に平等な機会が与えられる世界です。異質なものを排除する傾向は、人間の性(さが)というよりも、保身という「動物の性」だと思います。分からないものを受け入れることに必ずリスクは伴います。「動物の性」に従っていると、異質なものが排斥される世界は変わらないでしょう。偏見のない世界を作ろうとしたら、多くの人が学び、恐れを克服できないといけない。だから非常に難しいですね。

自分が捉われているものから解放されて、やりたいことができる時は本当に楽しいです。できるだけ多くの人にその楽しみを味わってほしいから、そういう世界が来て欲しいと思います。自分の好きなことを仕事にするのは、とても幸せなことですよね。

今は、偏見があるために自分が捉われてしまっている人がたくさんいると思います。例えば、女性は仕事をしなくていいよと言う人は、そこから満足を得ている部分はあると思います。僕の方がえらいんだ、と。でもその人も、それが不必要なプレッシャーになっていて、楽しくもない仕事をしているかもしれません。

偏見は諸刃の剣です。満足感が得られる部分があるから、しがみついてしまいますが、不必要な拘束をうけてしまう部分もある。それがなくなれば、みんなが幸せになるのではないでしょうか。

──「子育て」のフィロソフィーや習慣があれば教えてください。

14歳で中学校3年生の娘がいますが、基本は放置です。日本と同じように、アメリカでも幼少期からいい大学に行けるようにと様々な習い事や勉強をさせる、競争的な環境にいます。でも、それで何かできるようになる、というのは結局犬に芸を教えるのと一緒で、何かを達成できることにはならないと思います。何々ができるからいい大学に行ける、という風に生きていると、自分の好きなものを選べなくなってしまうと思うんです。

私も自分で選ばせてもらったので、これをしなさい、これを勉強しなさい、というのは言いませんでした。娘には小さい時から、「自分の好きなことをやって生きていくのが一番楽しいよ。そうじゃないと後がしんどくなるから、自分の好きなことが職業にできるように、自分の好きなことを探せるようにしなさい」とずっと言ってきました。

好きなことだったらなんでもできる、ということを学んで欲しかったのです。嫌いなことを辛い辛いと思いながらやっても、身につきません。「自分が苦にならない、努力できるところを探しなさい」と言ってきました。私自身がそういう人だからです。科学がなかったら、ベッドからも出てこないですね。娘は、それなりに強いパーソナリティになっていて、自分で決めて自分で勉強できる自律性が身についているようです。

山下由起子◎1971年生まれ。ミシガン大学生物学教授。ハワード・ヒューズ・メディカルインスティチュート研究員。京都大学で生物物理学の博士号取得後、2001年からスタンフォード大学に留学。専門は発生生物学。マッカーサー・フェローシップ(2011年)など多数の賞を受賞。現在は幹細胞から生殖細胞に研究範囲を広げ、多数の著名雑誌で研究成果の発表を続ける。
Forbes JAPAN 編集部