単純です。「いきなり!ステーキ」はやらない理由ーーーー「まずいからです!」



あちらこちらで、この話題は、過去数年、あちらこちらで、述べておりますし、

このブログでも、3~4回以上、コメントしているはずです。


1) 肉の品質が、凄く悪くて、まずいからです。

2) まずいのに、高いからです。(特に、アメリカの価格)


3) 30年前、フランスの、パリなどの高級店は、「二段階くらい落とした、キャジュアルな”ビストロ”」が、ブームになりました。

そして、マンハッタンでは、成功したレストランでは、

17年位前から、

2軒目は、絶対に、「高級(専門、そして、内装も重厚で、豪華)ステーキ・レストラン」と、、開店ラッシュなのです。


理由も、
    A) リスクも少ないし、

    B) 技術も、簡単だし(高級なフレンチや、アメリカンに比較して、という意味です)、


    C) 高級店の本店みたいな「優秀なシェフたちもいらないし」


    D) 在庫管理が少ないし、楽だし


    E) それでいて、高級な赤ワインを飲んでくれるし、

    F) 利益率は、グルメ、高級志向の本店のレストランより、、格段に上だし、

    G) しかも、大ブームだし、
       といって、高級(どこでも、大変、おいしいです)ステーキ・レストランが、大盛況なのです。



要は、おいしい・贅沢な高級ステーキを食べるなら、


年に一度であろうと、年に3回くらいであろうと、

食べるなら、おいしいお店―ーーー要は、高級ステーキ専門店、に行く。という構図です。

(ここが、日本の「いきなりステーキ」の、小成功や、高級すし屋 VS 回転すしの『大成功』のような、傾向には、ならなかったわけです)(しかも、ニューヨークの「いきなりステーキ」は、中途半端な価格設定だからです)






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で、マンハッタンでは、皆さん、高級ステーキ・レストランを、ここ15年、オープンしているのです。
しかし、安くもなく、高品質でもない「いきなりステーキ、ニューヨーク」は、
贅沢な、高級ステーキ専門店とは、格段に、味が落ちるし、
いくら、「座る席が作られた」とはいえ、この値段に合わない「インテリアの安普請」だし、

結局、なんやかんやで、3~5千円、使うなら、
家で、通常の(ま、大しておいしくないですが、腹を満たせば安いので、良い、というアメリカ人感覚です)
肉を、焼いて、たらふく食べたほうが、良い。

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4) この社長は、料理人的(味と品質を追求する、という意味です)な、トップでなく、


億万長者になることが夢なのです。

よって、たまたま、日本で、30~100店舗くらいまでは、「まあまあ、評判がよかったり、メディアに取り上げられて、
”錯覚”(いい気になる)してしまい、この成功フォーマットで、超・スピードで、出店するんだ」

となったわけです。

そして、200店舗くらいから、たくさん、たくさん出店して、しかも、超・超急いで、出店して、

自分自身も、欲が出て、成功したと勘違いして、

500店舗くらいになったら、「どこかに売って」数百億円、自分の懐に入れよう???

と、「企んで(ビジネス計画)あるいは、事業計画」

して、引退しよう???

と、考えていると、


「噂?」


されているわけです。


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もう少し、食べた感想を言いますと、

 お肉は、脂分が、おいしいので、赤い身に、たくさん、白い脂のところを、残して提供するーーー――
これが、私が言うところの、----「世界のイナカッペ」あるいは、「日本の常識は、世界の非常識」---
という、世界で、ほぼ、日本だけの、「ずるさが、グルメや、専門家の常識になった、”嘘”」です。

ステーキに、脂肪分は、つけては、だめです。-----この常識を知らないで、アメリカに進出するのは、


小学生か、子供の知識です。

『フィレ』も、食べられない、筋や、変な部分が、ついてきます。―ー――これは、世界で、「いきなりステーキ」だけです。
”Firet Mignon" , で、食べられない部分がある何て、「言いたくありませんが、「詐欺」に等しいです。
(これは、絶対に、絶対に、許されません)

それじゃあ、国産・和牛の肉なら、イクラなんでも、「まずくはないだろう???」

と、お思いになるでしょう???


それが、国産・和牛(いきなりステーキで、一番高い奴です)は、多分、日本全国で、


一番、価格に、似合わない『まずさ、品質』です。


アメリカで、いちばんおいしい「リブ・アイ」と呼ばれる、似たような部位が、

日本の「いきなり」では、3種類ありますが、「リブ・ロース」と、いきなりでは、読んでおりますがーーーー????

こっれまた、最悪の、3種類の、「アメリカ・リブ・アイ」です。

一番安い、『お得な「ワイルド・ステーキ」だけは、必要のない、まずい、スープが付いてきますし、


『超・小さい、けちなつまらないレタス・サラダ』も、ついてきますが、

私が食べた450グラムのうち、約、150~180グラムは、食べられない、

脂肪分や、


筋で、

実質的には、280~300グラムの、お肉です。―ー―「これも、大・インチキ」です。---

「いきなりステーキ」改め、
「いんちきステーキ」????


と、私の心の中では、そう呼んでおります。----口外しておりません。

こういうところが、アメリカでは、通用いたしません。

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話は飛びますが、

もう一つ、「何も知らない」社長さんに、教えてあげたいのは、

「チキン」は、提供しておりませんが、勉強の一つとして、聞いてください。

35年位前からは、アメリカ大都市では、


もう、「黙っていても、ーーーー」


チキンは、


部位は、


胸(ブレスト)のみです。


そして、もう一つは、


チキンの皮は、「言わなくても、ストリップしてあります」(皮なしです)


チキンをオーダーして、『皮」が付いてくるのは、日本だけです。


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とちゅから、立ち食いがダメと、理解してから、いす席を作りましたが、


それだけでは、まだ、理解しておりません。


アメリカは、値段が安くても、


「外食は、エンターテイメント」なのです。


これが、いきなりステーキの社長は、90%、理解していなかったのです。

エンターテイメント―ー―と、いう意味は、「インテリアには、お金をかけないと、だめなのです」

15年前ころ、進出した、「ラーメンの一風堂」さんの


社長さんのように、「頭脳明晰」では、

ないのです。

一風堂の社長さんは、

アメリカと、

アメリカ人を、勉強いたしました。

おsレに引き換え


「勢い」だけで、

不勉強で、進出した、

この経営者さんは、


というか、

「井の中の蛙」であると同時に、

アメリカを、知らなすぎ、であり、


アメリカに対する勉強が、『ほぼゼロ」

という、経営者です。

バブルのころに、なにがなんでも、といって、

何も知らずに、アメリカに進出し、99.9%失敗・撤退した、数千の企業家と、同様です。


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NYで「いきなり!ステーキ」が流行らなかった理由

2/28(木) 12:13配信
Wedge
 2月14日、「いきなり!ステーキ」がニューヨークから一部撤退というニュースが報道された。2年前にマンハッタンに進出を果たした11店舗のうちの7軒を閉店するという。

 筆者も、ミッドタウンで何度か「いきなり!ステーキ」の前を通りかかったことはあるが、実を言うと毎回ほとんどお客が入っていないことに気がついていた。日本では人気店と聞いていたし、ナスダック上場など話題性もあったので、少し意外ではあった。

 だが正直に言うなら、40年間ニューヨークで暮らしてきた筆者にとっては、「いきなり!ステーキ」はおそらくこの街に定着しないだろうという予感があった。

 少なくても現在のニューヨーカーにとって、「ステーキイコールご馳走」という観念は、ほとんどないからである。
いまどきのニューヨーカーは ステーキよりも寿司を好む?
 ニューヨークで未だに根強く人気があるレストランガイド、ザガットニューヨークの2018年版を見ると、人気レストラントップ50の中に入っているステーキハウスは、老舗のピーター・ルーガー1軒のみだ。

 残りはフレンチ、イタリアンが主流だが、寿司屋が6軒、それ以外の日本食レストランが1軒入っている。トップ50の中に、ステーキ専門店が1軒で、寿司屋が6軒。これが今のニューヨークのグルメ志向の現実なのである。
 もちろんフレンチやイタリアンの店に行って、肉料理を頼む人も少なからずいるだろう。でも少なくとも60年代生まれの筆者の周辺では、友人同士が集まって「ステーキを食べに行こう」という声は、このところ耳にした記憶がないのだ。

 唯一の例外は、日本から知人が遊びに来た場合である。

 「何か食べたいものはありますか?」と聞くと、ほとんどの人がこう答える。

 「ステーキ!」

 なるほど日本の人たちにとっては、今でもステーキがご馳走なのだなと実感する。

 逆に日本に行ったアメリカ人は、一刻も早く本場のお寿司が食べたいと張り切るので、そのあたりはまあお互い様ではある。



肉の人気が下がってきた理由
 アメリカ人の肉バナレ、というか厳密に言うと牛や豚などを主に指すRed Meatを避ける傾向は80年代から少しずつ広まっていった。

 2017年3月には、ニューヨークタイムズ紙のコラムの中で、2005年から2014年の10年間で、アメリカ全体の牛肉の消費量がおよそ19%減少したという統計が掲載されている。

 その理由はいくつかあるが、もっとも大きなものはもちろんアメリカの、特に知的階級の人々の間でヘルシー志向が増えたことである。

 もともと食べたいものを食べたいだけ食べる、飽食文化の国であったのが、それではいろいろ健康上の不都合があることがわかってきたのだ。

 加えて牛、豚、鶏などを育てるために使用されているホルモン剤、過剰な抗生物質などが人体に及ぼす悪影響についても、多くのリサーチ結果が報告されてきた。

 WHO(世界保険機関)も、肉および加工された肉製品は、各種ガンのリスクを高めると正式に報告したことも、大きなニュースになった。

 20年ほど前に、低炭水化物、高脂肪、高タンパク質の摂取を推進したアトキンズ・ダイエットというのが大ブームになり、一時はステーキの人気が復活しかけたこともある。

 だが2003年に提唱者のアトキンズ博士が何度か心臓発作を繰り返した後に急死し、ブームは瞬く間に去った。
人道的な観点からも
 ついでに言うなら、何でも動画で簡単に社会に発進できるソーシャルメディア社会も一役買っている。

 肉を柔らかくするために身動きできないよう、鉄の鎧のようなものをつけさせられて一歩も歩くことのできない仔牛の悲惨な姿がSNSで拡散して以来、仔牛肉の人気がガクッと落ちた。

 いずれは食肉になる運命ながらも、その日が来るまでのんびりと動物たちが牧場で草を育んでいたのは、すでに過去の話。現代の非人道的な工場畜産業に対する非難の声も高まって、肉を食べるのをやめたニューヨーカーも少なくない。

 そういった工場内部で生産した家畜たちと区分するために、きちんと太陽の光を当てて身動きがとれる環境で「人道的に育てた」という「Humanely raised meat」トレードマークまで登場している。

 さらに牛や豚を飼育することで大量のメタンガスが発生し、地球温暖化が加速されるという統計も出ているのである。人々が週に1日、肉を食べない日を作るだけで環境保護に貢献できるという。

 こういった様々な理由から、一般的にニューヨーカーにとってステーキというのは「Coolな/カッコいい」食べ物ではなくなったのだ。



ステーキは保守派の食べ物?
 それでも中には、ランチからステーキを食べる一部のニューヨーカーたちもいる。

 ちょっと出始めたお腹をばりっとした仕立ての良いスーツの前ボタンでしっかり隠した、エリートビジネスマンたちである。

 ステーキハウスといえば昔から、保守派の中年男性たちがたむろする場所と相場は決まっていた。メイクアメリカグレイトアゲイン、というスローガンが好きそうな、(今は飲食店全て禁煙になったのでさすがに見なくなったもののかつては葉巻をくわえていた)中年男性たちである。

 こういう人々は、健康志向などほとんど気にしない。たとえ病気になったところで、一流の医者にかかる財力もある。命はお金では買えないんですけど、などというのは大きなお世話なのだろう。

 こういう人々が行くのは、前述の老舗Peter LugerやBenjamin Steak House, Quality Meatなど、高級なステーキハウスである。食前酒にマーティーニ、巨大なステーキと一緒に高価な赤ワインを堪能する。そういえば、知人がトランプ一家がKeen Steakhouseに勢ぞろいしたところに遭遇した、と言っていた。

 そもそも接待経費で食べている彼らは、懐の心配など無用なのである。
安いステーキの需要が薄いニューヨーク
 「シズラー」「アウトバックス」「テキサスBBQ」など、安くて気軽にステーキを食べられるチェーン店もあるものの、入っているのは地方からやってきた観光客ばかり。ほとんどのニューヨーカーにとっては、無縁の場所だと言って良い。

 だから「いきなり!ステーキ」で、お手ごろ価格で美味しいステーキが立ち食いできる、と言われても、喜び勇んで食べに行くという社会層がニューヨークにはあまりいないのだ。むしろダラスやアトランタなど、地方都市のほうが向いているかもしれない。

 それよりこのところ「Omakase」ブームで高級化していく一方の寿司を、気軽に美味しく食べさせてくれる高品質の回転寿司チェーンでも進出してくれないだろうか。というのが、大部分のニューヨーカーにとっての切実な願いではないだろうか。
田村明子 (ジャーナリスト)