結論的に言いますと、

大相撲協会や、


その他のほぼ全スポーツや、

日本の「何々道」(華道、茶道、ETC.)----

格闘技や古武道


ほぼ、全てに置いてですが、


1) 悪い風習は、100%、断ち切る

2) もう長い間、そうやってきたからーーーー!!!-----長くやってきても、悪いものは、悪い、平等でないものは、平等でない、民主的でないものは、民主的でないわけです。

3) 落語会は、悪い風習や、民主的でない風習でも、「すべて、笑いで、”胡麻化してしまう”」

ので、-----余計に、なかなか、改善されません。

4) 企業でも、そうですが、

新人だから、

下っ端だから、

1年目だから、



そんなの関係ありません。

便所掃除は、彼ら”だけ”の仕事では、ありません。

アウトソーシングするか、

社員全員で、交代で、順番にするべきです。

5) 下っ端だから、新人だから、1年目だから、

      (A) 全てにおいて、不当な扱い

   (B) ブラック企業的な待遇
これらは、許されません。



総括いたしますと、


今まで、長い間(600年~20年???)そのように、伝統として、

やってきたから、!

は、もう、この時代、当てはまりません。

自分たちだけは、「あまり変えません」

というのは、「絶対に、許されませんん!』

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一之輔が語る落語家の“移籍”事情 「なさそうで意外とある」〈週刊朝日〉

2/24(日) 16:00配信
AERA dot.
*  *  *
 思わず「あれ? なんであなたがここにいるの?」って言ってしまいました。

 相手は某落語会の楽屋で会った前座さん。以前は○○師匠のところにいて、故あって破門に。「どこかの一門に入って復帰したらしい」と噂には聞いてました。半年前より顔色もよさげ。

「今は△△師匠のところにおります」「……なるほど、そうですかー。頑張ってねー」「ありがとうございます! 今後ともよろしくお願いいたします!」

 なんて当たり障りのないやりとりをして、周りも事情には深くは立ち入らない。どうやら旧・師匠も新・師匠も双方納得していることらしく、お互い挨拶も済ませ仁義は通したそうです。それならなにより。誰も文句を言えるこっちゃないです。

 落語家が「師匠を変える」ことは、なさそうで、意外とあるのです。戦前の落語界ではかなりあったらしい。

 東京の芸人が師匠をしくじって上方へ逃げたり。師匠が存命でも、ケツをまくってよそへ行っちゃったり。でもほとぼりが冷めたら、また元の鞘に戻ってみたり。話だけ聞くとけっこうおおらか。『移籍』という表現で合ってるかわからないけど、そんなライトな感覚だったのかもしれませんね。

 現在の落語界では、「師匠を変える」なんて相当な一大事です。たとえ前座であれ、楽屋でもちょっとしたゴシップネタとしてあることないこと言われたり、『移籍』という言葉のイメージよりはるかに重たい十字架であることは確かです。

 破門になり、いろんな師匠に再入門を願うもみな断られ、そのままこの世界から去る、という人ももちろんいます。

 入門を乞われた側の師匠も、たやすく引き受ければ元の師匠との関係が悪化することも考えられるわけで、ましてや「破門になる、もしくは自ら辞める」ということは多かれ少なかれ何かしら当人にも問題があったのかもしれない。それを当人の口から聞いて、受け止めた上で、元の師匠への筋も通して、その「子」の新たな「親」になるというのは……想像しただけでかなりの重圧です。間に入るエージェントなしにこれをやるんですからねえ……。師匠って大変。

ある二つ目さんの昇進披露の会のチラシに、「なぜこの師匠が?」というゲストの名前が載っていました。「そいつ、もともとA師匠の弟子で、破門になってB師匠に拾われたんです。自分の会のゲストに破門になった師匠を呼ぶってなかなかないですよねー」と後輩。

 いや、ゲストの依頼を快諾して出演してくれる元の師匠ってホントにカッコいい。それを許可する今の師匠も素敵です。無下に断られてもおかしくないものを、勇気を出して頼み、口上で現・師匠と旧・師匠に挟まれお祝いの言葉を頂く当人もなかなかのもの。

 落語家にとって本来あるべきではない『移籍』も、結果的に師弟がお互い幸せになるカタチがあるようです。

 それにしても頼んだわけでなく勝手にきた弟子を無償で育ててくれる師匠っていうのはホントにありがたい。弟子を持つようになって改めて思いましたよ。オイ!! ウチの弟子、わかってんのかよ!!

 ……いや、今のは独り言ですわ。

※週刊朝日  2019年3月1日号